祈らない人から祈る人へ

 今日はショートメッセージです。いつもと違って、聖書箇所の解説ではなく、聖書全体から祈りについてワンポイントの考察をしましょう。言いたい事はただ一つ、「祈りましょう」それだけです。

 あまり祈らない人がいます。なぜ、祈らないのですか。
おそらく、祈らない人には理由があります。

・ 祈る必要を感じない。
・ 何でも願うのは自分勝手だし、失礼だと思う。
・ 祈りの言葉が上手ではない。
・ やれることは、自分でするから。
・ 祈って、答えられないと、自分の信仰の薄さが暴露されるから。
・ 神が生きておられると、本当は信じてないから。

 おそらく、最後の理由が最も重要だと思います。
あなたは、神が生きているお方だと、本当に信じていますか。

 第1列王17:1「私の仕えてるイスラエルの神、主は生きておられます。」
 
 預言者エリヤの神は、生ける神です。だから、神に頼り、神に聞き、神に願うことができました。あなたは、本当に生ける神を信じていますか。

 祈りとは実際のところ何でしょう。何でも願いに答えてくれる万能自動販売機のスイッチとしてだけ祈りを捉えるなら間違いですね。
 祈りは、会話です。私たちが生ける神に語り、神がそれを聞いてくださること。神が私たちに語り、私たちが聞くことです。この両方が祈りです。
 
 祈りは、知識として学ぶだけでは体得できません。実際に祈ってみないと、祈りとは何かは分りません。だから祈りましょう。今、祈りましょう。

 一人になれる場所で祈ってください。朝や夜は、心を静めるのに良い時間帯です。私は、散歩しならが、神と自分だけになる中で祈るのが好きです。「神さま」と心を込めて語りかけてください。そうすると、次に何を言ったらよいか自然に分かってきます。

 第1テモテ2:8「男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」

 上の聖句は、男にとって祈るのが困難な行為であることを暗に示しています。男は、道が分らない時でも聞きたいないプライドがあります。神に対しても、祈りたくない本性があるのかもしれません。男よ、祈りましょう。祈らないと何も始まりません。男が、膝をかがめて祈る姿は美しいです。今週、祈ってみましょう。