夢見る者  創世記37:1~8

 これから8回に分けて、ヨセフの人生を見ることにしましょう。大雑把に言って3500年以上前の出来事になります。アブラハムの子がイサク、その息子がヤコブ、その子がヨセフです。

Ⅰ、ヨセフに関わるキーワード

 最初にヨセフのキーワードを3つ取り上げてみます。「17歳」。「そでつきの長服」。「夢」。

1、17歳
 ヨセフは、37章の時点で17歳。2節から分かるように、まだ一人前の羊飼いではなく、手伝いでした。
セブンティーン。まさに青春真っ只中のまぶしい年齢。若さ以外には何も持っていない。人生経験もない、結婚もしていない、勢いはあるが不安定という年頃。

 →あなたは今、何歳ですか。その年齢は何を意味しますか。

2、そでつきの長服
 3節を見ると、ヨセフが「そでつきの長服」を着ていたことが分かる。これは、年老いた父親ヤコブのえこひいきの象徴。ヨセフだけをかわいがっていた証拠。洋服なのでいつまでも同じものは着られない。何年かに一度、豪華で目立つ服を新調したことだろう。今風に言えば、歳の離れた兄さんたちは10年落ちのフォードを買ってもらっただけ。ヨセフは2年ごとに真っ赤なフェラーリを買い与えられたといったところだ。

 →あなたの性格や人生を象徴するものを選ぶとすれば、それは何ですか。

3、夢
 ヨセフは、夢を見た。7節と9節に2種類の夢の話が出ている。ヨセフは得意げに話したことだろう。兄さんたちが、ボクに頭を下げたという夢だ。やっぱり、ボクは特別なんだ。兄さん達なんかより、ボクは偉いんだぞ、という雰囲気が見え見えだ。
 この夢には実は深い意味が隠されていたが、ヨセフにはその意図が分からないまま、ただ有頂天になっていた。ヨセフは17歳、人生を何も知らず、生意気で、わがままで、ちゃらちゃらした嫌なやつだった。

 →あなたの夢は何ですか。神があなたのために立てている計画は何ですか。

Ⅱ、突然の災難

 ある日、ヨセフに事件が起きた。それは37章12節から35節に詳しい。簡単に言えば、兄達が共謀して、ヨセフを奴隷証人に売り飛ばしたということだ。フェラーリから無理やり降ろされて、リヤカーを引く身分に落ちぶれたというわけだ。

 ヨセフは、奴隷商人に拘束されて南に向かっていることは分かる。おそらく、手を縛られ、逃げることは不可能な状態だ。ラクダを連ねたキャラバン隊の一員になって焼ける地面を裸足で歩かされていただろう。ヨセフは、なぜこうなったのか分からない。

 いくら叫んでも助けはなかった。一番の見方だと思った長男ルベンは、肝心な時にどこかへ出かけてしまった。怖い兄たちは、長服を乱暴に脱がせて、穴に投げ込み、一時は殺される事も覚悟した。
 少し前までは、毎日が楽しく、気ままだった。そでつきの長服を着て得意満面だった。かなり歳の離れた兄たちがいたが、少しも怖くなかった。それは、父親に特別にえこひいきされ、守られていたからだった。
 ボクはこれからどうなるのだろう。怖い。僕はまだ17歳だ。あの夢の話をしたのがいけなかったのか。あんな夢、見なければよかった。

 あなたも、ヨセフのような突然の災難の中にいるかもしれない。

 主イエスは、非常に意味の深い言葉を残されている。最後の晩餐前に弟子たちの足を洗われた時、主イエスは以下のように言われた。

「今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
(ヨハネ13:7)

 堀 肇(ほり・はじめ)先生は『百万人の福音』(3月号)で、苦しみに遭遇した人と出会ったとき、自分勝手な解釈をしないようにと勧めている。その人に寄り添い、心の痛みを真実に聴くという<解釈しない優しさ>が必要だと述べている。大切な視点だと思う。

 堀先生が引用されたアイルランドに伝わる祈りは、困難に出会った人に贈ることばとして温かみのある言葉だと思う。

友よ、あなたの行く手の道が、
身を起こしてあなたを迎えるように。
風が、あなたの歩みを励ますように。
太陽が、あなたの顔を温かくてらすように。
雨が、あなたの畑をやさしく潤すように。
私たちがふたたび会う日まで
神が、あなたを大いなる掌(たなごころ)のうちに
おいてくださるように。
               (『祈りの花束』から)


 ヨセフの出会った苦しみを、ヨセフのわがままのせいだと決め付けず、温かい目で見たいものだ。人間に見える事象を越えた神の大きな計画があることは、後になって分かる。ヨセフは、奴隷となって苦しみ、内面的に成長し、神と共に歩む者に変えられていく。
 ヨセフの歩みは、私や、あなたの歩みそのものだ。