わたしのところへ マルコ9:14~19

 失敗や挫折に陥るのは避けられませんが、適切な方法で立ち上がることはできます。そうやって立ち上がった人は、優しい人や謙虚な人になれます。

1、失敗した弟子たち

 弟子達は失敗しました。

 「お弟子たちに、霊を追い出してくださるようにお願いしたのですが、お弟子たちにはできませんでした。」(18節)

 一人の男性が息子を連れてやって来て、治癒してほしいと願いました。17節によれば、おしの霊につかれた男の子で、てんかん発作の症状がありました。あいにく主イエスと3人の弟子ペテロ、ヤコブ、ヨハネは山に登っていて不在でした。そこで残りの9人の弟子たちに願ったのですが、いやすことはできません。
 直せない事から、律法学者らが何かの批判をしてのでしょう。それに答えて弟子たちが反論したのでしょう。いつの間にか、男の子は放置され、議論だけが白熱しました。そこに主イエスが帰ってこられたのです。

 「さて、彼らが、弟子たちのところに帰って来て、見ると、その回りに大ぜいの人の群れがおり、また、律法学者たちが弟子たちと論じ合っていた。」(マルコ9:14)

 実のところ、弟子たちは悪霊を追い出し病気をなおす権威を主イエスから授けられていました。(→マタイ10:1)また、実際にいやしてきたのです。(→ルカ10:17)

 失敗や挫折 → 不安や混乱 → 他人のせいにする

 この悪いパターンに入り込んで、脱出できずにいました。

 副牧師になってすぐ、まだ25、26歳の頃でした。冬の朝、車のガラスが曇ったまま私は教会に急ぎ、T字路で右折しました。その直後、強い衝撃を感じました。やってしまった。停車していた車にぶつけたのです。私が一方的に悪いのです。
 その後、事故処理で大変でした。自分の車も派手にへこんで、相手の車にも損傷があります。その夜、教会の代表役員が一緒に頭を下げに相手方の家に同行してくれました。
 あんな場所にあの車がいなけれが良かったのにと勝手な考えをしていた自分でしたが、畳に頭を擦り付けて謝罪してくださった役員の野村さんの姿を通して、主イエスさまの十字架を深く感じることができました。
 
 あなたはどうですか。弟子達や私のような悪いパターンに入っていませんか。 


2、ためいきをつく主イエス

 主イエスはその父親の話を聞いて、ため息をつかれました。弟子たち、父親、律法学者、群集のことを嘆かれたのです。

 「ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。」(19節)

 29節の主イエスのお言葉は、弟子たちに欠けていたものが何かヒントを与えてくれます。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」

 祈りとは、自分の無力さを告白する瞬間であるとも言えます。一切の活動を止め、ひざまずき、ただ神により頼む。弟子たちに足らなかったのは、こういう謙虚さ、信頼、一途さなのかもしれません。
 主は最後にこう言われました。

 「その子をわたしのところに連れて来なさい。」(19節)

 主イエスのところに問題をそのままもっていくことが鍵です。あなたの抱えている課題を主の手にゆだねよう。5000人の給食の奇跡の際にも、同種の事を主は言われました。

「それを、ここに持ってきなさい。」(マタイ14:18)

 あなたの番です。あなたの課題をそのまま主イエスの御手にゆだねましょう。