父に祈ろう ルカ11:1~4

 今年の教会の標語は「父に祈ろう」です。経済不況が本格化する年に、神を父として親しく呼んで祈っていきたいと思います。 

 今日、取り上げるのは、有名な主の祈りです。主の祈りといえば、マタイ6:9からが有名ですが、ルカ11章も間違いなく主の祈りです。一字一句マタイの主の祈りと同じでないところに味があります。二種類の主の祈りがあるというのではなく、主の祈りに込められた中心思想が一つだと理解すべきでしょう。

 主の祈りといえば、「天にまします我らの父よ」という導入の句が有名です。これは今から120年前の文語訳聖書の言葉です。幼稚園の頃覚えて、大人になって教会に来て、同じ言葉の主の祈りに出会って嬉しかったという人も多いでしょう。英語の主の祈りでよく知られたフレーズはキングジェイムズ訳で、これは今から400年前の文章です。

 「父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。」(2節)

 主イエスの祈りの最も大きな特徴は、神を父と呼ぶことです。

 ところで、あなたのお父さんはどんな人ですか。我がまま勝手なおやじですか。小さいことまで管理したいせこセコイ公務員タイプの父親ですか。あなたに暴力を振るったり、言葉で罵倒するいやな奴ですか。酒飲みで博打好きでろくでもない風来坊ですか。少しも話を聞かない父ですか。
あなたの実際の父親のイメージが悪いと、神を父と呼ぶ場合に抵抗感が生じてしまいます。宗教改革者ルターも怖い父親イメージがあったので、最初は苦労したようです。

 主イエスは祈るとき<父>と呼びかけ、また、私たちにもそれを勧めました。十字架につく前夜、ゲッセマネで祈られた主は、「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。」(マルコ14:36)と祈りました。アバというのは幼児語で、とうちゃんという雰囲気がにじみ出た言葉です。主イエスはそれほどに父と親しい関係をお持ちでした。
 「あなたがたは、……子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ。父。』と呼びかけます。」(ローマ8:15)こうした聖句を見ていくと、私たちが、父さんと呼んでいいのだと分かります。

 2節をものすごく分かりやすく表現してみましょう。父さん、私は父さんが大好きです。みんなが父さんのことを知ってくれたらいいのに。

 あなたが一番言いやすく、親しみを込めて呼べる方法で、神を呼んでください。「父ちゃん」でもいいし、「おとん」でもいいです。神のふところに飛び込むように、父さんと語りかけて下さい。そういう真実な祈りができると、祈りは変化します。

 36歳の主婦が新聞に投稿している文書を読んで、私は心がほんわかしました。結婚10周年の記念の日に、夫がプレゼントをくれました。「好きなように使っていいよ」と封筒を渡したのです。開けてみると、1万円札が100枚。100万円が入っていました。毎月1万円ぐらいを貯金して来たのです。もし、この夫婦に子供がいて、その意味が分かったらきっとこう言ったでしょう。僕のお父さんは凄いよ。100万円をお母さんに上げたんだ。ねえ、すごいよと友達に言って回ったことでしょう。

 あなたの、神を父さんと親しみを込めて呼びましょう。そして、どんなことでも祈りましょう。