悲しんではならない ネヘミヤ8:1~12

 ネヘミヤは、エルサレムの城壁をわずか52日間の工事で完成させた。紀元前445年のことである。
 

1、神の言葉を求める心

 人々は神の言葉を強烈に求め、「律法の書を持って来るように、学者エズラに願った。」(1節)

 ネヘミヤは城壁を再建するために帰って来たが、同時に、ユダヤ人の信仰を立て直すために来たと私には思えてならない。人々は神の言葉を自発的に求めた。

 私は高校3年ごろから教会に通い始めたが、教会の高校生の温かさや明るさに心底驚いた。彼らの心の中には神の言葉があったのだと気づくには時間がかかった。

 「夜明けから真昼まで、男や女で理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな、律法の書に耳を傾けた。」(3節)
 
 人々は約6時間、聖書の言葉に耳を傾け、律法学者やレビ人の説明を熱心に聞いた。神の言葉を求める心が、すべての出発点といえる。

2、心砕かれる礼拝   

 祭司エズラが神をたたえ、祈り始めた。すると人々は、一斉にひれ伏した。1人の真実な礼拝者、エズラが、大勢の礼拝者の心を神に向けました。一人の真実な礼拝者は、教会全体が祝福される導火線になる。
 
 「エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな、手を上げながら、『アーメン、アーメン。』と答えてひざまずき、地にひれ伏して主を礼拝した。」(6節)

 オセロゲームで勝ちたければ、四隅を取ることだ。そこを押さえれば、周囲は同じ色に変わっていく。一人の真実な礼拝者がいれば、礼拝の雰囲気は変わる。そして、家族が、社会が変わっていく。
アメリカの歴史には、大覚醒と呼ばれる出来事が何回か起きている。ジョナサン・エドワーズによるリバイバルはその中でも一番有名だ。エドワーズ牧師は、聖書が淡々と解き明かした。すると、人々は、自分の魂の救いについて強い求めを持ち、多くの人が信仰を持っていった。なまぬるい信仰から、生き生きした信仰に変わっていった。

 神の言葉に飢え渇いて礼拝に来るなら、必ず大きな恵みを受ける。真実な礼拝は、時に私たちの心を砕くことがある。生きている神が、私の罪をはっきり指摘することがある。
 「民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。」(9節)

 人々は、聖書の朗読を聞いているうちに、なぜ、エルサレムが崩壊したのか分った。先祖たちが神を離れ、罪を犯したからだ。自分自身の罪の汚れにも気づいた。心の深いうなずきは、悔い改めの涙として結晶した。


3、神を喜ぶことが私たちの力

 「悲しんではならない。泣いてはならない。」(9節)
ネヘミヤは、人々に語りかけた。自分の罪に泣くだけで終わってはならない、神を喜べと。
どんなに深い罪であっても、主の手が届かない罪はない。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」(イザヤ1:18)

 「主を喜ぶことは、あなたがたの力です。」(口語訳)
 「主を喜び祝うことこそ、あなたがたの力の源だ。」(新共同訳)
  “For the joy of the Lord is your strength” (NIV)

 我々はどんな時に喜ぶだろうか。多くの場合、どこからか転がり込んできたプレゼントのような幸運を喜びと理解している。だから、苦しみの時には喜べない。自分の貧しさや弱さに気づくと喜べない。けれどもネヘミヤは、根源的な幸せの秘訣を教えた。神を喜ぶこと、それ自体が力になると。
心から賛美するとき、私たちは幸福で満たされる。それは、心から神を喜んでいるからだ。神を喜ぶ賛美をささげよう。神を喜ぶ祈りをささげよう。神を喜ぶ心と言葉が、我々を強くする。


●あなたの番です
 真のリーダーは、人々の信仰を立て上げることに焦点を当てる。
また、神の言葉を求めるようになり、礼拝する後ろ姿で人々に影響を与える。

 目立つ人にならなくていい。神に感動する人になればいい。
笑いを取る人になる必要はない。神を喜ぶ人になればいい。