奉献式の喜び ネヘミヤ12:31~43

 城壁工事が完成し、いよいよ奉献式当日を迎えた。ネヘミヤは、晴れ晴れとした歓喜と充実感、そして神を賛美する心であふれていたことだろう。今日でネヘミヤ記の学びは終了する。


1、ユダヤ人の信仰を再建したネヘミヤ

 日本の高校で3年間運動部で活動した人は、運動技術だけでなく、根性、努力、忍耐など形に見えないものを身に着けている。アメリカでいえば、4年間マーチングバンドで活躍した人たちもやはり心の筋肉が付いている。

 ネヘミヤ記全体を概観してみると、同じようなことに気づく。ネヘミヤが再建したのは、建物としての城壁だけでなく、ユダヤ人の信仰そのものの再構築であったことが。神を信じて生きる具体的な生活を復活させた。

 以下の箇所見ると分かるが、ネヘミヤがユダヤ人の内面性の向上に大きなエネルギーを使っている。
7章でネヘミヤは、神殿で仕える祭司らの身分確認を行った。正当な系図を持っていない場合は祭司として認めなかった。
9章では、ユダヤ人が大挙して集まり罪の悔い改めをしたことが書かれている。聖書の朗読に耳を傾け、祖先の罪を思い起こし、自分たちの罪を悔い改めた。
10章は、悔い改めた民が、律法を守ると誓約する内容となっている。安息日を厳守する。安息日には商売しない。偶像礼拝を行う外国人とは結婚しない。3つの祭りを守るなど。
11章は、町の指導者、祭司、レビ人などの役割分担や組織の確認。
13章は、城壁完成後の後日談で、何年もたつうちに発生した腐敗や問題に対してネヘミヤが下した処分。城壁妨害の首謀者と懇意になった祭司らの処分。レビ人への給料未払い問題の解決。安息日商売禁止と外国人との結婚禁止の徹底など。

 人々は、今、神に従いたいと願っている。先祖が犯した失敗を繰り返したくないと思っている。ネヘミヤは、目に見える城壁と、内面の城壁の両方を再建したのだ。


2、人々に喜びの賛美を与えたネヘミヤ

 まだ、神を信じていない人が教会に来るようになって、その人がプロの音楽家だと分かると、礼拝で演奏してくださいと頼む人がいるが、私はきっぱりそれに反対する。音楽ができるから、賛美ができるわけではない。学校教師が教会に初めて来て、信仰を持たないのに、来週の礼拝で説教してくださいと依頼することと、同じことなのだ。

 ネヘミヤは、レビ人を探し集めた。(27節)レビ人は、神殿の働きの補助的な仕事や神殿の警備、そして主には賛美の仕事をしていた。歌うたいのレビ人、楽器を演奏できるレビ人があちこちからエルサレムに連れて来られた。聖書に登場する楽器は最低でも22種類はあると言われている。

 30節にあるように、彼らは、自らをきよめた。賛美するにふさわしい心を主の前で整えた。ここが、通常の音楽家と根本的に違うところだ。
賛美する人は、自分の心を置き去りにして、歌うことができない。誰かに対して怒っていたら、神への賛美はできない。神から心が離れたままなら、人々の心から賛美を引き出すことはできない。まず、賛美をリードする人が悔い改める。ゆるす。謙虚さを持つ。信仰に立つことが必要だ。

 私が日本で牧会をしていたとき、礼拝で素晴らしい奏楽奉仕をしてくれた女性がいた。聞くと、彼女は一つの助言を受けて、奏楽の仕方を変えたという。ある礼拝で彼女が奏楽したが、ゲストとして出席した一人の中年男性が、礼拝後に彼女に尋ねたという。「あなたは、礼拝の奏楽をするとき、自分自身も賛美歌を声に出して歌いますか」「いいえ」「私も奏楽をしているが、必ず、声に出して賛美歌を歌います。練習もそうします。本番も声に出して歌います。あなたは素晴らしい奏楽をするから、これからは、声に出して賛美してください」これが、きっかけになって、奏楽スタイルが変わったという。

 12章31節、「そこで私は、ユダのつかさたちを城壁の上に上らせ、二つの大きな聖歌隊を編成した。一組は城壁の上を右のほうに糞の門に向かって進んだ。」

 ネヘミヤは、聖歌隊を2つに分け、完成した城壁の上を賛美しながら行進させた。祭司エズラが先頭に立つグループは、城壁の西側から南を回り、東部へと向かった。
 もう一隊は、ネヘミヤを中心として同じ出発点から時計回りに北方向を回り、神殿がある東側に向かった。二体は、民が集まっていた神殿の広場で合流し(40節)、高らかに主を賛美した。人々は、その賛美リードに合わせ、主に喜び歌った。

 「こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。」(43)

 こうしてネヘミヤは、人々に賛美の心をよみがえらせた。

 ユダヤ人が神を喜んでいることが、エルサレム周囲の人々にまで知れ渡った。これは、すばらしい伝道だ。使徒2章46、47節にも、初代クリスチャンが賛美と喜びを持っていたことが分かり、それを見て周囲の人が好意を持ったことが記録されている。

3、私たちの“再建”を励ますネヘミヤ

 あなたの“城壁”は何ですか。

 私は自分が猛烈に教会のために働いていた30歳代の頃を、後悔と恥ずかしさを抱きながら思い出す。教会外の働きや、海外宣教委員長としても重責があり、ストレスと過労がひどかった。そのため、遠くで会議をしてきた夜など、駅に迎えに来てくれた妻に対して、助手席に乗り込んでもありがとうの一言も言えない愚か者だった。言わなくても当然と思っていた。俺のほうが大変で、一生懸命働いている、と合理化していた。
 こういう状態は、“城壁”が崩れていても気づかない状態だといってもいい。教会の人のためなら何でもする用意があったが、妻の話を親身になって聞く心さえ持ち合わせていなかった。

 あなたの“城壁”は、何でしょう。
あなたの、家庭でいうなら、家族団らんが持てることが、あなたの“城壁”かもしれない。傾いた事業を立て直すことが、“城壁”かもしれない。こわれた人間関係が、“城壁”でもある。あなたは、再建できると信じますか。

 城壁再建の物語は最初、小さく始まった。ネヘミヤがたった一人で泣きながら祈ったことに端を発している。あの麗しの神の都が廃墟となって100年以上たっているのに、瓦礫の山のままだという。エルサレムから直線距離で1000キロ以上離れた異国にいたネヘミヤに、何ができただろう。
けれども、目から流れ落ちた涙一滴一滴が、やがて信仰の小川となって集まり、それが山をも削るほどの大河となって流れ始めた。

 2章12節「私の神が、私の心を動かし」とある。ネヘミヤの情熱や野望ではなく、神がネヘミヤを動かされた。それが、落胆したユダヤ人に希望を与えた。敵の攻撃や中傷がどんなに激しくなっても、槍を片手に工事を続け、ついに完成に導いた。粘り強くなった人々。神の言葉を求めるようになった人々。生活面でも、信仰姿勢を貫き始めた人々。エルサレムの人々は、もはやかつての人とは違う人となった。

 あなたもネヘミヤになれる。今は涙でも、奉献式喜びの歌声と笑顔を必ず経験できる。あなたは、それを、信じますか。

 「女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。」