神の子供へ エペソ1:5~6

 神が与えて下さった霊的祝福の第二は、神の子供になることだ。

 「神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」(エペソ1:5~6)

1、「ここがあなたの家だよ」

 神の子供とされたことの意味は、究極的な帰属場所が与えられるということだ。多くの人は、まるでクラゲのようにさまよっている。自分が誰で、どこから来て、どこに行くのか分からない。誰かの真似をして取り繕っているが、落ち着く場所もなく、帰る場所もない。

 埼玉県の三崎さんを私は尊敬している。毎朝の早祈祷会を欠かさない祈りの人であり、また、多くの里子や養子を受け入れる、愛の人だ。初めて家にやって来た子供に対しては、夜、添い寝をしてあげるという。ここがあなたの家だよ、私があなたのお母さんだよ、と全身で伝えてあげる。

 神も、ここに来なさい、ここに休みがある、と私たちに言っておられる。安全、安心、平安、完全な受容、自分が神に属している意識、それが神の子とされる意味だと思う。


2、「死んではいけない」

 人が、神の子供でないなら、それは、神から離れた罪人の状態だ。つまり、神を無視し、悪を重ね、罪の奴隷になっている。その行き着くところは永遠の滅びだ。だから神はあなたを救おうとする。たった一人の愛する息子、イエス・キリストを地上に送り、十字架で死ぬことにより私たちを罪から救い、神の子の身分を与えて下さった。
 神からのメッセージは、死んではいけない、という切実なものだ。

 宮城県の産婦人科医師、菊田昇氏は、1973年新聞に「生まれたばかりの男の子を我が子として育てる方を求む」と広告を出し、賛否両論が噴出、大変な話題となった。当時合法とされた8ヶ月未満ぎりぎりで中絶処置をすると、元気な産声を上げる赤ちゃんもいた。そんな赤ちゃんは、積極的あるいは消極的に命を奪うしかなかった。悩んだ末菊田医師は、望まれない妊娠をした子供を元気に産ませ、子供を望む夫婦に養子として斡旋し、にせの出生証明まで書いたが、合法的に子供を救う道が必要と判断、自身の人生や名誉、命をかけて戦うことにした。除名処分を受けたり、営業停止命令を受けたりしながらも、4年後、法律改正を勝ち取った。合法的中絶の月齢を下げ、養子縁組しても戸籍上で実子扱いできるようになった。キリスト者の菊田医師の悲願が実った。その後の人生で、600人の赤ちゃんの命を救った。あなたが、その子供であったかもしれない。

 神は、私たちが滅びに向かうことをゆるせなかった。それで大きな犠牲を払う決意をされた。大切な、たった一人の息子、イエス・キリストを十字架にかけるという決断だ。「私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと」という言葉は、そういう意味だ。

 私たちが神の子供にされた背後には、こんなに大きな犠牲が払われている。


3、「大好きだよ」

 神の子とされた理由をもし神に問うたなら、神はこう答えるだろう。わたしの心だ、愛しているからだと。それが神のみこころだ。

 「神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」(エペソ1:5)

 養子をもらう人も、里子を育てる人も人の子で、かわいい子や素直な子を選びたいものだ。神が私たちを神の子とする場合は、まったく違う基準で選ぶ。愛しているから神の子にしてくれた。それが神の心であるから、私たちを選ばれた。

 ボニー・ウィラー著『愛と喜びの家族』という本を私はかなり昔に読んで、深く心が動かされた。3人の子供のいる家庭に、3人の養子が加わる実話だ。クリスチャンのウィラー夫妻の長女は10歳のジュリー、小児麻痺で足に補助器具を付けていた。2番目は7歳のティミー、落ち着きのないADHD(注意欠陥・多動性障害)の子。ロビーは4歳で小児麻痺、足にギブス。奥さんは4回流産したが、それでも子供がほしかった。家族で話し合い、養子の条件を決めた。3歳以下で、混血児で、身体に障害のある子。結局、家にやって来たのは、病気をたくさん持っている子や耳と目の不自由な子たちだった。ウィラー家はその後も温かい家庭となっていった。

 私たち夫婦の話をしよう。二人の子供が与えられた後、望まれない妊娠で生まれた子を引き受けたいと夫婦で祈った時期があったが、主は道を開かれなかった。妻は大病をして、もう次の子供の出産は無理と言われたが、主の恵みで治癒され、第一子から10年後に3番目の子が宿った。高齢出産で障害のある子が生まれるリスクが高いと産科医は判断、羊水検査を勧めた。家内は、「どんな子供でも産みます」と答え、医師はいぶかしげに「どんな子供でも産みます」とカルテに書き込んだ。生まれた子供が、今の末っ子だ。

 神は、御子イエスがヨルダン川でバプテスマを受けた際、天から大声で愛を表された。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(マルコ1:11)

 この言葉は、あなたにも同じように適応できる。なぜ? 父なる神は、あなたを見るとき、身代わりになった「その愛する方」、御子イエスの命を私たちの内に見出すことができるので、愛しているよ、喜んでいるよと、躊躇なく言える。

 「私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。」(第1ヨハネ3:1)

 USCのフットボールコーチ、ジョン・マッケイは、次のようにインタビューに答えたことがある。息子が昨シーズン活躍したことを喜んでいます。よくやりました。でも、息子が試合にひとつも出られなくても私は息子を誇りに思います。神も、同じように言われる。あなたを誇りに思う。あなたは、間違いなく私の子だと。
 
 「それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」(エペソ1:6)


 あなたの番です。
→あなたが神の子とされている事を味わい、感謝し、神をたたえましょう。
→あなたの子供をあなたの子としてきちんと認め、喜び、愛を伝えよう。
→あなたは神の子です。その身分にふさわしく胸をはって生きていこう。