キリストにゆだねる   マルコ9:9:20~27

 自分の無力さに気づき、神に希望があると知るだけでは不十分です。神とあなたをつなぐものが必要です。それが、信仰です。今日はシリーズ「やり直せる」の3回目です、

1、キリストを信じられない理由

 日本人がキリストを信じられない理由をいくつか取り上げましょう。

1)神についての知識が乏しい

健全な信仰は、信じる対象を理解し、それを土台に信じるというプロセスを踏みます。「いわしの頭も信心から」というのは、キリスト教の信仰とは相容れません。日本人の多くは聖書を知りません。まずは、聖書を読んでみましょう。信じる対象を知りましょう。

2)宗教は怪しい、という先入観がある

 オウム真理教の騒動の頃、私は自分が作ったキリスト教のパンフレットを教会の近所に配っていました。すると、ひとりのおじさんが、「なんだキリスト教か、オウムとかわらねえな」と紙を覗き込みながらつぶやきました。宗教に凝ると怖いことになる、と日本人は思っています。そんな先入観が、健全な信仰への門を閉ざしています。

3)周囲に合わせないと落ち着かない

 日本語は語尾で主張が決まる特徴を持っています。会社の上司の顔色を見ながら、臨機応変に自分の意見を変えられます。「私は、その事に関しては、賛成(顔色を見る)、ということは申し上げられません」大多数が信仰を持っていない日本では、多数派に所属することによって、安心感が得られます。真理は多数決によって決まるものではありません。

4)信じ始める事と、完璧な信仰を混同

 信仰をもったとたん、マザー・テレサにならないといけない、と勘違いする人が多いです。私にはマザー・テレサになれないと勝手に土俵を降りてしまうのです。信仰は成長するものです。はじめから完全な信仰などありません。

5)プライド 

 男はプライドが強いです。(女にも意地というものがあります)「俺は、宗教に頼るほど軟弱ではない」と男は言いたいのです。
でも、プライドの本質は人間の本質と重なります。つまり、自分は神を認めたくない、神なしで生きていく、という本音がプライドとなって表れているにすぎません。神を認めないことは、聖書で言う「罪」の本質なのです。
 「愚か者は心の中で、『神はいない。』と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。」詩篇14:1

6)生きた神、人格を持った神がいるとは思ってもみなかった

 日本人の神観は浅薄です。子供が生まれて神社に出かけ、子供の受験の時には神頼み、結婚式は教会で、死んだときにはお寺。これで何の問題もないのです。まるで自動販売機のように、お賽銭を入れて、ボタンを押して、ご利益をいただく程度の神しか想定していません。
 聖書によると、神は生きた神です。今も私たちに語りかけ、私たちを愛し守る神です。宇宙、世界を創造した全能の神できよい神です。日本人は、そんな神を受け入れたくないのです。自分の今までの歩みが音をたてて崩れるようで、怖くてたまらないのです。

 こうした様々な障害物を取り除ける方法は、子供のような心で神を信じるという一点に尽きるのです。聖書をしっかりと読んで、健全な信仰を持ってください。

2、主イエスを信じる

「信じます。不信仰な私をお助けください。」マルコ9:24

 マルコ9章には、子供の病気を直してもらいたい一心で主イエスを訪れる父親の記事があります。弟子たちが直せなかったので、疑心暗鬼になっている父親に対して、主イエスはその姿勢の中途半端さを戒めました。
ビシッと叱られた父親は、目が覚めて、「信じます」と心から言いました。と同時に、自分の内側にある不完全さを正直に認め、不信仰であることを告白しました。信じると言いながら、不信仰である、この矛盾こそ人間の姿とも言えます。
 信仰の最初の一歩はこれでもいいのです。あなたがもっている信仰でまずスタートしましょう。あなたが聖書から学んだ主イエスを信じましょう。その一歩が尊いのです。

 主イエスを救い主として信じると、あなたは変えられます。自分で変化するのではありません。「信じます」との決断を神が受け入れて下さると、あなたの中に神の力が発揮されるのです。信じたあなたには次の3つのことが起きます。

 ①あなた自身が新しくなる
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。」第2コリント5:17

 ②神のみこころを行うことが喜びとなる
「私は御心を行うことを喜びとします。」詩篇40:8

 ③日常生活や自分の内に働く神の力を体験するようになる
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」ピリピ4:13

 私は礼拝メッセージの最中に会衆のみなさんに尋ねました。「パラグライダーをしたことある人がいますか?」すると、一人の婦人が手を挙げました。斜面を数歩走り下ると、フワッと体が浮いたといいます。私のようにやせた人間でも、自力で空を飛べる人はいません。でも、パラグライダーに乗ると、上昇気流が体を空に引き上げてくれます。飛べるのです。
 信仰の歩みもよく似ています。「イエスさま、あなたを信じます。あなたが私の罪を赦すために十字架にかかってくれたことを感謝します。神の子、イエスさまを信じます。私自身をおゆだねします。どうぞ救ってください。どうぞ、これからいつも共にいて導いてください」と祈りましょう。主があなたを引き寄せてくれます。

 リック・ウォレンはシリーズ第3回の学びの内容を以下のようにまとめています。

 私の人生と意志のすべてを
 キリストの配慮と導きにゆだねることを
 意識的に選択します。

 さあ、あなたの番です。
 クリスチャンでない人に勧めます。主イエスを信じましょう。
 クリスチャンに勧めます。自分自身とあなたの課題を主イエスにゆだねましょう。

 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」黙示録3:20