用いてください マルコ11:1~10

 新年明けましておめでとうございます。新年は私たち日本人にとって、心をリセットするのに良い機会です。
 当教会の今年のテーマは「用いてください」です。私たちが、<主よ私を用いてください>という姿勢でいると、私たちの人生はまったく違うものになります。
 
1、驚き

 今日の聖書箇所には、意外性の気分が漂っています。「えっ!」ロバですか。

 さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、言われた。「向こうの村へ行きなさい。村にはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。
もし、『なぜそんなことをするのか。』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます。』と言いなさい。」(マルコ11:1~3)

 主イエスは都エルサレムに入る際、あえてロバの子に乗って行かれました。救い主の登場、旧約に預言されたダビデの子なら馬に乗ってさっそうと登場してもいいはずですが、選ばれたのはロバでした。

 主イエスがロバを必要とされたのは、旧約聖書の預言の成就のためでした。神が遣わされる救い主は同時にまことの王であり、ロバに乗って来られるとゼカリヤ書に預言されています。

 「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」(ゼカリヤ9:9)

 主イエスは、馬ではなくロバが必要だったのです。

 オリーブ山は、山というより岡で、約4キロにわたる峰です。ベタニヤからエルサレムまでは3キロという近さでした。主イエスは、オリーブ山からロバに乗り、谷を下り、谷を上り、エルサレムの城壁の東側にあった門を目指して進まれたことでしょう。

 主イエスがロバに乗ってエルサレムに向かうと、沿道の人々は「ホサナ」と叫んで喜び迎えました。
 ホサナは、アラム語の「ホーシーアー・ナー」で、元来は「今、救ってください」という意味です。この言葉は、本来の意味が失われて、賛美に伴う感嘆詞として使われ、「栄光あれ」とか「万歳」という意味になっていました。人々が主イエスを救い主として喜んで迎えた場面が生き生きと伝わってきます。

 そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。
 そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」(マルコ11:7~10)


2、忘れがたい言葉

 1~6節は、主イエスがロバを必要とされ、弟子たちがそのために使いに出されたという内容です。全体の話の流れから、それほど必要と思われない挿話です。
 ですが、マタイもルカもこの出来事を記録しています。それも、主イエスが弟子に依頼した同じ言葉を実際に弟子が繰り返している場面まで書かれています。

 こうしてみると、主イエスの言葉は弟子たちにとって忘れがたい言葉になったようです。主イエスの言葉は、私たちの心の中に良い意味で引っかかりを残すものが多いのです。

 「もし、『なぜそんなことをするのか。』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます。』と言いなさい。」(マルコ11:3)

 弟子たちは、ロバの持ち主に正しく伝達するため、心で反復したことでしょう。主がお入用なのです、主がお入用なのですと。
 NIVでは、The Lord needs it. となっています。主はロバを必要としている。ロバは。馬のように速く走れない。馬のようにかっこよくない。ロバとは自分のことではないか、と弟子は考えたかもしれません。



3、あなたの応答

 主イエスは、今日、あなたを必要としています。あなたでなければできない事があるのです。全能の神である主イエスが、あなたを必要としています。どうしてもあなたが必要なのです。

 一人の男の子が1918年、ノースカロライナのシャーロットという田舎町の農家の息子として生まれました。16歳の時、主イエスを信じましたが、背が少し高いくらいでどこにでもいる普通の男子高校生でした。
友達を伝道集会に誘うのに熱心だったので、先生にそのことを皮肉られ、クラスの仲間に笑われたりしました。先輩のクリスチャンに誘われて刑務所伝道にでかけて初めて救いの証しをした時は膝ががくがく揺れて決して伝道者にはなるまいと心に決めたといいます。でも、主イエスを伝えたい熱意が強く、フロリダの聖書学校に入学しました。礼拝の説教を依頼され、一生懸命準備して、何度も声に出して練習し、当日を迎えましたが、メッセージは8分で終わってしまいました。練習では30分かかった内容だったのに。
 そんな彼でしたが、次第にクリスチャンでない大勢の人の前で主イエスが救い主であると力強く語れるようになり、多くの人が信じるようになりました。
 テンプル・テラス・ゴルフコースの18番ホールである晩彼は祈りました。If you want me to serve you, I will. これがビリー・グラハムの20歳の時の経験です。
 ビリー・グラハムはラジオやテレビを含めると20億人に福音を伝えたことになり、250万人の人がクルセードで前に出て主イエスを信じました。
 ビリー・グラハムは、この地上を終えて主イエスにお会いできたときには、「なぜ、私を選んだのですか」と聞きたいと自伝に書いています。取るに足らない農家出身の自分を用いられた主イエスへの驚きがそこにあります。


 さあ、あなたの番です。

 自分が弱くて、罪深いと思っていますか。でも、主イエスはあなたじゃなければだめだ、と言っているのです。主イエスが求めているのは、あなたの能力なんかじゃないのです。「あなたが必要だ」と言われる主イエスの言葉への従順さです。

□あなた自身を、「用いてください」とささげましょう。
□あなたのどんな分野を通じて主に用いていただきたいですか。
□あなたの親友を教会に連れてくるとしたら、どんな教会であってほしいですか。そのためにあなたは何ができますか。
□<幸せの発信地>になるため、あなたに何ができますか。
□用い続けていただくために、毎朝聖書を読みましょう。