使徒2:37~42 聖霊に押し出されて

 今日は、御霊に満たされたペテロの活躍と、御霊に満たされることの意味を考えてみたい。

 クリスチャンとは、聖書を勉強し、暗記し、強い意志の力でそれを実践する人々ではない。聖霊によって内面を変えられ、聖霊に力を頂き、聖霊に押し出さる人々のことだ。

1、教会誕生に関わったペテロ

 主イエスは天に昇られ、地上にはおられない。ペテロと十二弟子、そして、忠実なクリスチャン120人が首都エルサレムに集まって祈っていた。それは、聖霊が下るまでエルサレムで待つようにと主イエスが指示しておられたからだ。(使徒1:4~5)

 「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(使徒2:1~4)

 過ぎ越しの祭りから数えて50日目、その日が五旬節だった。激しい風の音が聞こえた。そこにいたクリスチャンの上に炎のような分かれた舌がとどまり、学んだこともない外国語で神のみわざを語り始めた。
 エルサレムを訪れていた外国暮らしの人々は驚いた。ガリラヤ出身の普通の人々が、色々な国の言葉で神のみわざを語っているのを見たからだ。ペテロは、そこで立ち上がり、この出来事の意味を説明した。ペテロの話はやがてイエス・キリストにフォーカスしていった。主イエスは救い主だ。十字架で死んだがよみがえられた。私たちはその証人だ。悔い改めて、主イエスを信じなさい、とすすめた。その結果、その日、3000人がクリスチャンになった。

 「そこでペテロは彼らに答えた。『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。』ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、『この曲がった時代から救われなさい。』と言って彼らに勧めた。そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。」(使徒2:38~41)

 救われた3000人は、どんな教育を受け、どんな生活に入ったのだろうか。それは、主イエスと十二弟子が過ごした3年間とそっくり同じだった。
 ペテロたちは、信じたばかりのクリスチャンにこう言ったのだろう。何も分からなくても心配いらない。私について来なさい。私と一緒に生活しなさい。そうすれば、主イエスはどんな方か、クリスチャンはどう生きたらいいか、それが分かる。主イエスから学んだとおりのことを、教えただけだった。

 「 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(使徒2:42~47)

 ペテロはこのようにして、見事に<羊を飼う>(ヨハネ21:17)ようになったのです。


2、聖霊に満たされて

 ペテロが用いられた鍵は、聖霊です。聖霊に満たされたゆえにできたことです。

 「聖霊」という言葉は、新約聖書に95箇所にあり、使徒の働きには42回あります。使徒の働きには聖霊様の働きが際立っています。
 <聖霊に満たされる>という用語は、新約聖書に14箇所、そのうち使徒には9箇所ある。その中から主な7箇所を取り上げ、聖霊に満たされるという言葉の意味を考えてみよう。何が共通する要素だろうか。

①使徒2:4
 「すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」

 ペンテコステに起きた特別な出来事は、聖霊に満たされた結果だった。

②使徒4:8
 そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。」

 信じる男性が5000人を越えると、ユダヤ当局はリーダー格のペテロを逮捕して取り調べた。その際、ペテロは御霊に満たされて尋問に応対したが、それはペテロの知識や能力を超えた素晴らしいメッセージになった。

③使徒4:31
 彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。

 ペテロが釈放されて戻ると、仲間のクリスチャンはペテロと共に祈った。たとえ迫害されても主イエスの福音を語らせてくださいと熱い祈りをささげた。そして、聖霊に満たされて、伝道に出かけていった。

④使徒7:55
 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、

 ステパノは、信仰と聖霊に満たされた人。生涯の最後となったメッセージは気迫に満ち、ユダヤ人の怒りを招いた結果殉教した。

⑤使徒9:17
 そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」

 クリスチャン迫害の急先鋒のパウロはダマスコ途上で復活の主イエスに会い回心。主イエスが救い主であると証しすることになるが、ユダヤ人がパウロ暗殺に走るのは必至の情勢だった。どうしてもパウロが御霊に満たされる必要があった。

⑥使徒11:24
 彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。

 彼とはバルナバのこと。迫害で逃げ延びたクリスチャンが外国人にも福音を語り、アンテオケでたくさんの人が救われた。その教会を健全に導くためバルナバが遣わされた。彼は、聖霊に満ちた人だった。困難な状況の中でも素晴らしい働きの実を残した。

⑦使徒13:52
 弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。

 ピシデヤのアンテオケのクリスチャンは、救われた直後に迫害騒ぎに巻き込まれた。伝道者パウロたち一行が去った後も、聖霊に満たされ、喜びは消えなかった。

 使徒の働きで<聖霊に満たされた>おもな箇所に目を通した。7つの箇所に共通する要素は何だろう。3つ考えられる。この3つの要素がそろったときに聖霊に満たされている。

 第1に、問題が起きたり、差し迫った出来事が起きている。そこに迫害や困難がある。伝道の必要性が急に沸き起こっている。

 第2に、特定の人がそれに対処しなければならない。だが、自分の力ではどうにもならない。

 第3に、私を用いて下さい、福音を語らせてくださいという強い祈りを持っている。

 現代の教会では、礼拝や集会の後に、「今日は大変恵まれました。聖霊に満たされる思いでした。では、失礼させていただきます。」という会話が交わされる。使徒の働きでは、そんな例はひとつもない。

 あなたが弱さを感じるとき、怖気づくとき、それでも福音を伝えたいと願うとき、その時が聖霊に満たされる入り口になる。

→あなたの番です
 □聖霊に満たしてくださいと祈ろう
 □自分の無力さを神に告白しよう
 □主イエスの福音を伝えると心で決めよう