エペソ2:1~10 恵みによって

 今日からは、エペソ人への手紙の連続メッセージに戻って2章から再スタートします。救いを説明する用語は新約聖書にたくさんありますが、その中で一番大切なのは、「恵み」という言葉です。ギリシャ語ではカリスといいます。特に8節は大事な言葉なので、ぜひ暗記してください。
 

1、私たちの以前の姿

 普段は元気なのに、血液検査の結果コレステロールが高いとか血糖値が高いなどと言われてびっくりすることがあります。1~3節はその感覚に似ています。神を知らなかった時の私たちの実像は以下の通りです。

 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペソ2:1~3)

 私たちはみな罪の中で生活していたのだと1節で説明しています。その罪のせいで、生きているとは名ばかりで実態は死んでいたと言うのです。2節。神を信じないで生きるのはニュートラルな状態で、自由で自立していると考えがちですが、実は違うのです。気づかないうちに悪霊を信じて生きているのだとパウロはいいます。3節では、人間が欲望に引きずられて生きている、とパウロは指摘します。
 きよい神が私たちの心の「血液検査」をするなら、普通で元気な人間でも、罪に罪を重ねた悪人と診断されるのです。

 どうしても見たい芝居があって、「母が危篤で」と上司に嘘をついた人がいました。幕が開く前にちらりと横を向くとそのボスがいて目が会い、恥ずかしさでその場を飛び出したといいます。動転して数時間歩き回り、喉が渇いて喫茶店に入りました。すると、向かいに先ほどの上司がいたのだそうです。

 私たちが神を知らないときは、罪の中に埋もれ、自分が死んでいることも、自分がやっていることの矛盾も自覚できない状態だったのです。


2、「しかし」の神

 止めると言ったのに酒におぼれる、ギャンブルを繰り返す、麻薬に手が出る、盗みが直らない。そういう人を見たらどんな気持ちになりますか。嘘をつく、裏切る、陰湿ないじめをする、人情がない。そんな人をどうしますか。

 まことの神は、私たち人間と違う反応をします。罪まみれになり悪霊に振り回され欲望の奴隷となった人を見て、神は「しかし」と言われるのです。

 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。(エペソ2:4~5)

 親から叱られるのは間違いないと覚悟した女の子がいました。ところが、お父さんはどこに行きたいかと優しく尋ね、子供は「チャックEチーズ」と答えました。子供用の楽しいレストランです。お父さんはそのお店で、「これが、恵みと言うんだよ」と教えたといいます。

 私たちの神は「しかしの神」です。人が見捨てる場面でも、決して見限りません。愛していると伝えてくれます。
 アメジンググレイスという賛美歌は日本でもコマーシャルなどで知られるようになりましたが、あの歌は神の恵みの偉大さを歌っているのです。信じられないほど神の愛は大きく、神の恵みは図りがたいと歌っているのです。


3、恵みによって
  
 8節の言葉は福音の中核です。聖書が語る救いを端的に説明しています。

 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2:8~9)

 英語の聖書はギリシャ語の雰囲気をよく伝えています。
For it is by grace you have been saved, through faith—and this is not from yourselves, it is the gift of God— (NIV)
 by grace、救いは神からの一方的な恵みによってもたらされます。人間の努力やまじめさによりません。信仰は恵みを受け取るパイプとして機能します。だから、through faithなのです。

 ウイリアム・ニール・ムーアは1974年のある夜、老人宅に忍び込み金品を盗もうとしました。不審者に気づいた老人に撃たれましたが弾は逸れ、反射的に打ち返した拳銃の弾が命中、77歳の老人は死亡しました。わずかばかりの金を掴んで逃走するも逮捕され、死刑判決を受けました。彼は当時22歳でした。
 幼い息子をかかえ、妻は麻薬中毒、貧困のどん底で魔がさした犯行でしたが、ウイリアムは正当防衛を主張せず、自分の罪を認めました。
 刑務所を尋ねた牧師夫妻からイエス・キリストの話を聞きました。キリストはあなたを愛している。もちろんあなたのした罪を知っている。罪を悲しんでいる。しかう、あなたを愛している。あなたを罪から救うために十字架で死んでくださった。こうした言葉はウイリアムの心にしみこみました。
 ウイリアムは主イエスを信じ、洗礼を受け、人生が180度変わりました。多くの囚人を主イエスのもとに導き、被害者の遺族もウイリアムを許すと正式に伝え、助命嘆願運動が起き、17年後死刑判決が取り消されました。こんな例は後にも先にもありません。それも死刑執行直前のことでした。彼は後に釈放され、現在は牧師となり自分の失敗を告白しながら、キリストの愛を伝えています。

 自分は神の恵みを受けるに値しない人間だと、あなたは思いますか。神の恵みは、そういうあなたに差し出されているのです。受け取ってください。恵みを知ったならば、身近な人に恵みをプレゼントして下さい。

→あなたの番です
□罪を悔い改め、主イエスを救い主として信じましょう。
□「しかしの神」に感謝と賛美をささげましょう。
□恵みで救われたのだから、恵みを誰かにプレゼントを今週しましょう。