エペソ6:1~4 親子

 お父さんが好きですか。

 お母さんが好きですか。

 子供が好きですか。

 今日の箇所を読んで、「大好き」と言える人になってもらいたいですね。


1、子供への教え

 御霊に満たされた人は、家庭においてどのように歩んだらいいのか。それが今日の箇所です。

 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。(エペソ6:1)

 子供は、親を尊敬し、親に従う。これが聖書の基本的な教えです。 

 主にあってとは、主を信じているなら、主と共に歩むなら、主の助けをいただくなら、主から受けた恵みを思うならと解することもできますね。

 両親に従うことが、1)正しいこと、2)第一の戒め、3)幸せと長寿の約束が伴うとパウロは説明しています。

 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。(エペソ6:2~3)

 主イエスも12歳の時、両親に仕えていました。(ルカ2:51)

 クリスチャンで小児科医のドブソン博士は『思い切ってしつけましょう』の中で、しつけをされなかった男の子の例を書いています。
 あるお母さんが3歳の男の子を寝かしつけようとすると、息子がお母さんの顔につばをかけました。愛と話し合いだけで子供は育てるものだという教育理論の信奉者だったので、母親はだめよと言っただけでした。すると、息子はまたお母さんの顔につばをかけました。お母さんは最低限の怒りを示しました。すると、3度目のつばをかけました。お母さんは部屋から逃げ出しました。思い起こすとその時から親と子供の関係が決定的に逆転したといいます。
 その息子が13歳になると夜2時前に家に帰らない子となり、親は完全にお手上げとなっていました。

 子供は親を尊敬し、親に従うことを第一に学ぶべきです。なぜなら、子供に最も大切なことを教えてくれるのは親だからです。もし、子供が親を無視したり、馬鹿にするなら、教育を受けずに育ったも同じになります。
 子供は親を尊敬する。親は、親を尊敬するように子供に教えるのです。

 ところで、クリスチャンのあなたにお聞きします。あなたが主イエスを信じてから親に対する姿勢が変わりましたか。
 こう質問すると、多くのクリスチャンは親への思いが変化したと言います。感謝の気持ちが湧いてきた。大切に思える。いとおしく感じる。
 その理由は何でしょう。クリスチャンになると、目に見えない神の愛が分かり、神から受けてきた恵みの深さに驚き、主イエスの十字架の犠牲の愛に感動するので、親の愛が神の愛と重なって理解でき、感謝の気持ちが出てくるのです。

 あなたは、親に汚い言葉を吐いたり。決定的な事を言ったり、泥を塗るようなことをしたことがありますか。
今、静かな気持ちで、親に謝り、また、感謝の気持ちを伝えるときではありませんか。

 感謝の心と笑顔。これが、神を信じる者が自分の親に向かい合うときの姿勢だと私は思っています。
感謝とは、今までしてくれた親の愛と犠牲に対するものです。また、感謝とは、親が子供の非礼に耐え、子供の失敗をゆるし、子供を見捨てずに見守っていてくれたことへの感謝です。
 笑顔とは、親の弱さを知っていても受け入れるゆとりです。また、笑顔とは親の問題発言や問題行動をゆるしているというサインです。笑顔とは、自分もまた問題のある人間だと理解しているという意味です。

 あなたの番です→
□言葉と態度で親を尊敬していることを伝えましょう
□感謝の心を何度でも伝えましょう
□笑顔で親と食事しましょう
□体を動かして親を助けましょう




2、親への教え

 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。(エペソ6:4)

 父たちよとパウロは呼びかけています。教育の責任は、学校にはありません。母親にもありません。教育の最終責任は父親にあるのです。それがパウロの考えです。

 おこらせてはいけないとはどんな意味でしょう。子供を王様にして、親が奴隷になることですか。とんでもありません。それは、さきほどの3歳の男の子の例からも分かりますね。
 親が子供に理不尽な扱いをしてはいけないという意味です。親の身勝手な命令、暴力、子供の意見をまったく聞かない、完全に無視する、などの行為をすると子供は怒りのやり場がなくなるのです。それをしてはいけないと言っているのです。
 親から暴力を受けた子供は、学校で教師に逆らい、暴力をふるい、いじめをするようになります。あるいは、自信を失い、消極的になり、セルフエスティームの極度に低い子になります。

 子供は親の所有物ではありません。詩篇127:3に「子供たちは主の賜物」とあります。十数年の期間だけ神が教育の責任を親たちにゆだねてくださったと理解しましょう。

 4節には、主の教育と訓戒と書いてあります。主の教育とは、何よりも主を子供に教えることです。申命記6:4~9を読んでください。子供に信仰を教えるのは親の責任であり。父親の責任です。

 教育の目的は何でしょう。それは自立です。
 自立とは、悪い誘惑を跳ね返す強い心、正しい事を選ぶ判断力と決断力、親や兄弟や周囲の人を思いやる温かさを持ち、失敗しても立ち上がれる回復力、辛さの中で生きていける忍耐力、主からいただいた賜物を生かして生きがいを持って生きる姿勢といえます。

 4節の「教育」は、口語訳では薫陶、新共同訳ではしつけと訳されています。この言葉は、訓練や懲らしめという意味を持っています。
 ヘブル12:7~11に「教育」と同じ言葉が「懲らしめ」という訳語で使われています。教育の手段としてお尻をたたくスパンクが暗示されています。

 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。(ヘブル12:7)
 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。(ヘブル12:9)

 スパンクは子供にとって痛いことなので親を恨むのかと思うと、懲らしめられても親を敬うとヘブルには書いてあります。正しいことを勇気を持って実行する親は子供に尊敬されるのです。
 日本のお父さんは、子供のしつけを奥さんに任せ責任から逃げています。子供と向き合い、叱るときにはきちんとしかるお父さんになってください。

 「訓戒」という言葉は、おもに言葉による教育のことです。叱責、諭す、警告する、励ます、などの意味を持っています。子供に対する言葉の励ましはとても有効です。

 お母さんが、子供に嫌われることを恐れてきちんと子供をしつけないなら、後で「くそババア」と呼ばれます。お父さん、今、子供と向き合わないなら、十代になった子供はあなたと向き合ってくれません。

 親にとって大事なことは、愛と勇気です。

 主の助けをいただいて、主の教育と訓戒によって子供を育てましょう。


 あなたの番です→

 □子供に対する暴力、暴言を一切やめましょう
 □子供が信仰を持てるように祈り、教えましょう
 □必要な時は、勇気を持ってしつけをしましょう
 □子供に心を向ける時間を、今、取りましょう