エペソ5:1~14 光の子として歩む

 今日のテーマは、クリスチャンの自己意識。
 自己意識は生きていく姿勢と言ってもよいでしょう。アイデンティティーです。私たちの名刺に書くべき肩書きといってもいいでしょう。
 クリスチャンの自己意識とは、「光の子」としての認識です。

 「光の子どもらしく歩みなさい。」(エペソ5:8)

1、自己意識

 ところで、ゴキブリのことを考えると何だかちょっとかわいそうな生き物という気がします。暗い場所でしか活動しない。道の真ん中を歩くことはできず、いつも物陰や壁にそって歩く。人が捨てたものや腐ったものを喜んで食べる。光が当たると数秒は動けない。
 罪の中にいる人間は、ゴキブリの生態にどこか似ています。人に隠れて暗い場所で罪を行う。罪悪感があるので、物陰歩きが板についている。欲望を追及するが、決して満たされない。自分の罪を明らかにする神の光を恐れる。

 パウロは、神を知らない異邦人の生活態度を以下のように描写しています。

 あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です。――こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。ですから、彼らの仲間になってはいけません。(エペソ5:3~7)

 パウロは、救われたクリスチャンに対して強く言いたいことがありました。あなたは、暗闇に住むゴキブリではない、光の中を生きる光の子であると。

 明瞭な自己意識は、私たちを罪から引き離し、前向きな人生へと導いてくれます。

 あなたは、闇にうごめくゴキブリではないのです。光の子としての意識を強くもって、胸を張って歩みましょう。


2、光の子

 光とは何でしょう。光にはさまざまな特徴がありますが、暗闇を照らし周囲を明るくすることがもっとも顕著な働きでしょう。つまり、光とはまわりに影響力を及ぼすものなのです。

 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、
 今は、主にあって、光となりました。
 光の子どもらしく歩みなさい。
 (エペソ5:8)

 イエス・キリストはまことの光です。主イエスを信じる者は、光の子とされます。子供であるとは、その性質を受け継いだ者という意味ですね。

 私たちも、光っています。照らしているのです。
あなたが正しい光を周囲に届けているなら、会社の同僚は汚職も不正はできないのです。あなたが、温かい愛の光を放っているなら、周りの人は笑顔になるし、あなたに相談を持ち込みます。

 あなたには影響力があるのです。もっと光りましょう。主イエスに光らせてもらいましょう。

 神に愛されていることをもっと実感してください。そうすると、もっとあなたは輝きます。

 ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。(エペソ5:1~2)

 基次さんというお年寄りが寿荘というケアホームに入りました。その人のおかげで部屋がとても明るくなったといいます。入居老人は普通、愚痴や悪口、否定的な発言が多いそうですが、彼は違いました。そこで働く職員も、疲れるとこの方の所に行くのだそうです。癒されるそうです。
 基次さんは、若いころからのクリスチャンでした。脳溢血で倒れ、半身不随となり、話すことも困難な状態になり、記憶の一部も失っていました。でも、その基次さんが周囲の人を慰め、いやしていたといいます。彼は、光になっていました。光の子として生きていました。

→あなたの番です
 □神に愛されていることに気付いてください
 □光の子としての意識を持ってください
 □主に喜ばれることを見分けましょう

 「そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」(10節)