エペソ6:18~20 祈りと宣教

 祈りと宣教。この二つはどういう関わりがあるのでしょうか。

1、とりなしの祈り

 信仰者にとって祈りは必携の武具です。その祈りについて一番最後に触れました。ただし、たとえで説明せず、そのままストレートに語りました。
 
 「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ6:18)

 18節は、とりなしの祈りの勧めです。パウロが使ってきた戦場のたとえを使うなら、とりなしの祈りとは援護射撃です。窮地に陥った戦友を救ったり、前進できるように敵の注意を引き付け、敵の攻撃を一時封じるために攻撃することが援護射撃です。

 もうひとつたとえで説明します。とりなしの祈りは、重い荷物をみんなで運ぶようなものです。若い頃、移動式パイプオルガンの輸送を助けたことがあります。移動式とは名ばかりで信じられないほど重いものでした。コンサート会場が二階だったとき、階段を使って持ち上げましたが、私はパイプオルガンと階段の間に挟まされて重さを支えていて、死ぬかと思いました。
 どんな荷物でも、持つ人が一人増えると一人分楽になります。同じように、とりなしの祈りによって、誰かの悲しみや悩みを一緒に担うことができます。
 私たちは一人で戦っているのではないのです。

 とりなしの祈りがただの気休めなら、時間の無駄です。止めたほうがいいでしょう。でも、とりなしの祈りは、実際に力があります。

 思い出してください。あなたが、「祈ってください」と必死にお願いして、問題が解決したことを。守られたことを。無事に済んだことを。とりなしの祈りは、確かに実際生活を動かすものなのです。

 「どんなときも御霊によって祈りなさい」とパウロは言いました。新共同訳では「霊に助けられて祈り」と訳しています。御霊なる神が、私たちのとりなしの祈りを応援してくださるのです。聖霊に押し出されているので、とりなしの祈りができるのです。

 「どんなときにも」とパウロは注意書きを入れました。祈るのが困難なほど辛い時にも祈れと取れます。また、跪いて静かに祈るという状況にない場合にない、とも取れます。雑踏の中でも、車の運転中でも、あらゆる状況で祈れます。

 とりなしの祈りを続ける秘訣が二つあります。第1の秘訣は、祈りのノートを作ることです。祈りの課題を聞いたらすぐにメモします。そして、朝の祈りの時にそれを見ながら祈ります。かなえられたときは、項目の左にチェックの印を入れましょう。

 もう一つの秘訣は、その場ですぐに祈るということです。私はこれを、<どこでもドアの祈り>と呼んでいます。ドラエモンの道具ではありませんが、祈りによって世界のどこの問題にも神の介入を求めることができます。
 悪い知らせを聞いたすぐに祈る。祈りの課題を聞いた瞬間に、心の中で祈り始めるのです。手紙やメールで祈っています、と書いたら、必ずその場で祈るのです。

 さあ、あなたの番です。

 この文章を読んでいるあなた。今、そこで、誰かのために祈ってください。病のいやし。救い。困難の解決。和解。成長。悔い改め。さまざまなことを祈りましょう。

 あなたのとりなしの祈りを必要としているのは、神です。だから、神はあなたに聖書を通して語りかけているのです。神のみわざの完成のために、あなたの祈りがどうしても必要なのです。だから、目をさまし、聖徒のため、忍耐の限りを尽くして祈りましょう。


2、宣教の情熱
 
 パウロは牢獄にいます。じゃらじゃらと音のする鎖につながれています。その状況で祈りのリクエストをするなら、普通は、牢屋から出られるようにと要請するはずです。ところがパウロは、伝道できるように祈ってほしいと言ったのです。

 「また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」(エペソ6:19~20) 

 牢獄の看守に伝道できます。囚人にも伝道できます。手紙を書いて伝道できます。とりなしの祈りで伝道を応援できます。伝道の情熱は衰えをしりません。
 
 あなたに伝道の情熱がありますか。

 伝道を恐れる理由は、たいてい以下の6つの理由です。
1)自分は口下手だ。
2)自分は立派なクリスチャンではない。
3)聖書を全部理解していない。
4)福音を語って、相手に嫌われたり、馬鹿にされるのがいやだ。
5)伝道して、断られるのが怖い。
6)信じたばかりだから

 あなたは、どの理由が一番強いですか。

 私は高校3年のときクリスチャンになりましたが、伝道する事を恐れていました。断られるのが怖い。うまく話せない。勇気がない。人に話そうとするとドキドキして尻込みしました。そんな私が今、牧師になっています。実に不思議ですね。

 仲間のクリスチャンと一緒に、高校の校門でキリスト教のパンフレットを配りました。4つの法則を使って友達に福音を伝えました。高校の文化祭で、聖書の展示をして、部屋に入って来た人に福音を伝えたり、理科室で伝道集会を開きました。一人だと臆病ですが、仲間がいたので実行できました。
 大学に入ると、聖書研究会に入り1ヶ月に1回伝道集会を開き、休み時間には知らない学生を見つけて伝道しました。教会では、仲間と一緒に近所の家を回りパンフレットを手渡ししました。駅前でスピーカーを使って伝道集会の案内をしたこともありました。駅や電車の中でもトラクトを配ったこともあります。

 恐れと心配でびくびくしていた私が伝道できた理由を考えてみました。
 第1のポイントは、伝道の情熱に燃えた牧師やリーダーたちが伝道する機会を作ってくれたことです。
 第2は、一人ではなかったことです。もしかしたら、全員がドキドキして、みんな伝道が苦手だったかもしれません。でも、仲間がいたからできました。
 第3に、伝道する方法や具体的な技術やルールを学んだことです。伝道のためのトレーニングはどうしても必要です。
 第4に、最終的には、聖書から学んで、伝道したいという強い内的モチベーションが与えられたことです。

 私たちの役割は、聖霊の助けを頂きながら、分かりやすくイエス・キリストの福音を語り、結果は神に任せることです。

 救うのは神です。どんなに雄弁で博学で経験豊かなパウロでも、人を救うことはできないと知っていました。だから、祈ってくださいと要請するのです。伝道は誰かと力を合わせてするものです。

 「また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。」(19節)

 さあ、あなたの番です。

 あなたも伝道しませんか。伝道できるように祈り始めましょう。語るチャンスが必ずきます。そのとき、勇気をもって主イエスの福音を語りましょう。そして、「あなたも、今、ここで、信じる祈りをしませんか」と招きましょう。

 →あなたの番です
□福音を伝えたい人をリストアップしましょう
□仲間と力を合わせ、伝道しましょう