エペソ6:21~24 忠実な奉仕者

 エペソ人への手紙の最終回です。今日は、人を励ますことを考えてみましょう。

1、忠実であること

  「主にあって愛する兄弟であり、忠実な奉仕者であるテキコが、一部始終を知らせるでしょう。」(エペソ6:21)

  忠実とはどんなことか、次の例話で考えてみましょう。

 あなたが風邪を引いて熱が出たとします。食べられるものはアイスクリームだけです。そばにいた人にアイスを買って来てくれるよう頼みました。その人は、家庭用アイスクリーム製造機を買って戻ってきました。「これならいつでも食べられます」と言われても、あなたはがっかりするはずです。
 別な人に頼むと、食べ残しのコーンと領収書を出しました。アイスはどうしたのかと聞くと、溶けそうになったので食べてしまった答えました。また別の人に頼みました。願ったアイスを持って帰ってきました。頼まれた銘柄のアイスがなくて3軒目で見つけましたと笑顔で答えました。どの人が忠実な人か分かりますね。

 忠実な人とは、第1に依頼人の願いを正確に把握できる人で、第2に依頼人の心が分かる人で、第3にどんなに困難があっても使命を成し遂げる人です。

 テキコは、パウロから信頼された人で、「忠実な奉仕者」と呼ばれました。テキコがパウロから受けた務めは、3通の手紙と一人の人物を届けることでした。

 「私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう。私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。」(コロサイ4:7~9)

 3通の手紙とは、エペソ、コロサイ、ピレモンへの手紙です。一人の人物とは、ピレモンの家から逃げ出した逃亡奴隷のオネシモです。オネシモはパウロのもとでクリスチャンになり、見事な人物に生まれ変わりました。

 本来は、コロサイの出身で、コロサイ教会を開拓した伝道者(コロサイ1:7)エパフラスが適任者ですが、何かの理由があって行けなかったのでしょう。パウロがテキコを選んだのは、その忠実さが秀でていたのでしょう。

 忠実であることは、愚痴を言わずにつまらない事を繰り返す能力ではありません。主イエスを愛す積極的な生き方です。あなたも、主イエスに対して忠実に生きてみませんか。大切な人に対しても忠実に歩みませんか。

 「忠実な使者は人をいやす」(箴言13:17)


2、励ます人

 「彼によって心に励ましを受けるためです。」(22節)

 パウロは、大事な事や繊細な事柄を手紙の文字には残せません。それで、テキコが使者として選ばれたのです。パウロの健康状態、牢屋の環境、お金の問題、訴訟の見通し、釈放の可能性などを言葉で直接伝えたことでしょう。
 悪い知らせも率直に伝えたはずです。オネシモを主人のピレモンに引き合わせたときは、険悪な状態になったでしょう。それでも、テキコは励ますことのできる人でした。
 テキコがパウロの指示を忠実に実行するなら、そこに励ましが生まれるのです。テキコは、人々を励ますために遣わされたのです。

 今日の箇所を何度も読むうちに、私の心に次ような確信が湧き上がってきました。

 <私たちは、誰かを励ますために生まれた>

 あなたは、人を傷つけるために生まれたのではない、人を呪うためでも、人を無視するために生まれて来たのではない。人を励ますために生まれてきたのです。

 あなたが引っ越すなら、そこで出会う人を励ますために引っ越すのです。あなたが会社で働くのも、社員や顧客を励ますためです。あなたは家族の誰かを励ますことができます。子供の立場でも、親を励ますことは可能です。
 物事がうまくいっているとき、励ます必要はありません。先が見えない時だから、弱っている時だから力づけるのです。今週、誰かを励ましましょう。

 聖書学者ウイリアム・バークレーの詩を紹介します。

人間にとって、最も尊い義務の一つは、
励ましを与えるという義務である。
人の理想を笑って、けなすのは簡単だ。
その熱心さに冷水をかけるのはたやす。
他の人たちを失望させるのは実に簡単である。
だが、私たちクリスチャンの義務は、互いに励まし合うことである。
誉め言葉や、感謝や、好ましい評価、励ましの一言によって、
多くの場合、人は守り支えられる。
そのような一言を語り得る者に祝福があるように。


3、神からの祝福

 パウロの手紙はほとんどの場合、祝祷で終わっています。エペソ人への手紙も例外ではありません。

 「どうか、父なる神と主イエス・キリストから、平安と信仰に伴う愛とが兄弟たちの上にありますように。私たちの主イエス・キリストを朽ちぬ愛をもって愛するすべての人の上に、恵みがありますように。」(23~24節)

 神だけが与えることのできる祝福。その祝福を願い求めるのが祝祷です。本当の平安は神から来る。深い愛は主イエスの十字架から注がれる。驚くばかりの恵みは神が与えてくださる。

 パウロが簡略化して祝祷をする場合は、たった一言、恵みがあるように、と書きます。祝祷の核は恵みなのです。

 24節の原文のギリシャ語では、恵み(カリス)だけに冠詞がついています。パウロがエペソ人への手紙で語ってきた神からの絶大な恵み、受けるに値しない者が受ける祝福、<あの恵み>があなたにあるように、という意味だと私は理解しています。

 パウロは手紙を受け取る人々を励まそうとしました。テキコはパウロに忠実であることにより、人々を励ますことができました。神は、平和と愛と恵みによって私たちを励まそうとしておられます。

 最後にマザー・テレサの話をします。マザー・テレサの仲間のシスターがオーストラリアのアボリジニーの年配の男性宅を訪ねました。荒れ果てた家の掃除を申し出ると最初は断れましたが説得した結果、家中をきれいにできました。マザー・テレサが、埃だらけのランプを指差し「使わないのですか」と聞くと、老人は「夜は誰も来ないから必要ない」と答えます。それなら、私たちが来ますと応答しました。
 2年後、インドのマザー・テレサのもとにその男性から手紙が届きました。「私の人生にともしてくれた明かりは、まだ今も輝いていると、私の友に伝えておくれ。」

 あなたも、誰かの心に明かりをともす人になりましょう。主イエスに対して忠実に歩み、誰かを励ます人になりましょう。

→あなたの番です
 □今週、主に忠実に歩もう。人に対しても忠実に生きよう
 □あなたは、誰かを励ますために生まれた