エペソ6:14~17 神の武具

 戦いの前に入念に武具を点検する兵士のように、神の武具がどんなものか確認しましょう。

はじめに

 「しっかりと立ちなさい」(14節)

 多くのクリスチャンは、立ち上がる前に敵に倒されています。戦場にいるという自覚が不可欠です。目を覚まし、地にしっかりと足をつけ、戦いの備えをしておきましょう。

 武具は6種類あります。パウロの念頭にあったのは、当時のローマ兵の装備です。守りの武具が5つ、攻撃の武器は剣だけです。
 いつ飛んで来るか分からない矢と、突然襲って来る敵の剣に十分警戒しならが、剣で決着をつける。堅守と一撃、これが基本的な戦い方です。


神の武具

1) 真理の帯

 「腰には真理の帯を締め」(14節)

 帯が武具。これは、ちょっと驚きます。当時の人々は家の中で帯をはずしてゆったりしていました。いざ戦いとなると、敏捷な行動ができるように帯で衣服の長さを調整しました。
 私たちの帯は真理の帯です。起伏の激しい感情、偽り、人間の経験だけを土台にするなら力は出ません。神の真理に立つなら揺るぎません。

 「真理はイエスにあるのですから」(エペソ4:21)とあるとおりです。


2) 正義の胸当て

 「胸には正義の胸当てを着け」(14節)

 胸当ては、敵の攻撃から心臓や内臓を守る武具です。

 正しくあることはとても重要です。不正をして成功しても、神の前では何の意味もありません。正義の胸当てをつけておきましょう。

 ですが、悪魔は私たちの弱点だけを突いてきます。「罪人になにができる」「本当に罪は赦されたのか」と私たちの義をぐらぐらと揺さぶります。

 私たちの本当の姿は悪いとこだらけの罪人です。だから主イエスは、私たちにキリストの完全な<義>を着せてくださいました。ですからどんな検察官も私たちを罪あるものと訴えることはできません。
主イエスが私たちの正義の胸当てとなってくださったのですから、堂々と生きていけるのです。

 「キリストは私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」(第1コリント1:30)


3) 福音の備え

 「足には平和の福音の備えをはきなさい。」(15節)

 焼けた砂地でも、ごつごつした岩地でも、どんなに足場が悪くても戦えるように、頑丈な靴が必要です。当時の兵士たちはサンダルを履いたようです。

 主イエスさまを伝えたいという伝道の姿勢、それが武具になります。

 信仰が弱いから伝道できない。その考え方は間違っています。それでは、いつまでたっても伝道できません。伝道するから、信仰が強められるのです。

 伝道は、口というより、足なのです。福音は、足で伝えるものです。

 出て行く心、それが伝道の一番の基本です。自分の安全地帯から出ましょう。主イエスも言われました。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28:19)

 「良い知らせを伝える者の足は、山々の上にあって、なんと美しいことよ。」(イザヤ52:7)

 靴をはくとき、私の足を福音のために使ってくださいと祈りましょう。


4) 信仰の大盾

 「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」(16節)

 大盾とは、縦長の大きな盾です。兵士の首から足まで全部おおえる大きさがあり、敵の矢から身を守ることができます。

 戦場では、まず最初に矢が飛んできます。その中でも火矢はとても強力な兵器でした。でも、大盾があれば安心です。信仰こそが、敵の攻撃を防ぐ盾です。

 自分の信仰は弱いので、盾にはならない、とあなたは言いますか。あなたが盾になれとは言っていません。たとえ未熟な信仰でも、あなたが神を信じるなら、神があなたの盾になってくださるのです。それを信じるのが信仰です。

 神はアブラハムに言われました。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。」(創世記15:1)

 「あなたは私の回りを囲む盾」(詩篇3:3)、「私の盾は神にあり」(詩篇7:10)

 あなたは今、どんな状況にいますか。矢が飛び交う家庭ですか。槍に狙われる職場ですか。敵に包囲された人生で逃げ場がありませんか。

 信仰という盾は、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができるのです。


5) 救いのかぶと

 「 救いのかぶとをかぶり」(17節)

 かぶとは頭を保護します。守るという実用的な意味とともに、かぶとには目印という意味もあります。敵味方の区別はかぶとで分かるし、自分が何者なのかもかぶとで分かります。

 主イエスによって救われた。それが、私たちのアイデンティティーです。


6) 神のことばの剣

 「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(17節)

 敵の攻撃をしのぐだけでは、勝機は訪れません。悪魔に致命傷を与える剣が絶対に必要です。ローマ兵の剣は日本刀のように長くありませんが、敵を倒すに十分な殺傷兵器でした。

 「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル4:12)

 主イエスも悪魔の攻撃を受けた時、みことばの剣を使いました。
 「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ4:4)

 「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに住まわせ」(コロサイ3:16)
 「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。」(詩篇119:9)

 聖書の言葉。それは、武器です。その剣を握っているなら敵に勝利できます。

 あなたはみことばの剣を持っていますか。毎日、身につけていますか。みことばが一日中支えてくれますか。聖書が勇気をくれますか。みことばによって成長していますか。今でも聖書から新しい発見がありますか。

 北海道に開拓農民として入植したクリスチャン夫婦がいました。困難が何度も襲い、信仰が弱くなり、夫婦仲も悪くなり、借金が増えていきました。
そんな折、一人の伝道者が訪れ、聖書の言葉に基づいて励ましました。「神を第一にしなさい。家庭を第二にしなさい。仕事を第三にしなさい。それでも、いよいよだめだと分かったら、私に電話してきなさい。私が全責任を取ります。」
それ以来18年間、主の恵みで仕事と家庭が守られたといいます。

 小学2年生のビリー少年は、聖書の授業でヴァン・ソレン先生からサムエルについて学びました。休み時間に、神が語りかけるということが今でも起こりますかと真剣に質問しました。先生は、もちろん、と答え、何かをメモに書き出し、夜寝る前に読みなさいと指示しました。夜、その紙を読むと、少年サムエルについての詩が書かれてありました。サムエルの耳を与え、神に従わせて下さいという内容でした。ビリー少年はそれを暗記し、神の語りかけを期待しました。
 小学生は成人してから、教会を建てなさい、という主からのささやきを聞きました。それに従いゼロからの開拓伝道を行いました。小学生の名は、ビル・ハイベルス。アメリカで2番目に大きな教会、ウィロークリーク教会の牧師になったのです。

 神の言葉は今も剣です。あなたに勇気と力を与えます。あなたも神の言葉を受け取りましょう。

 「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(イザヤ55:11)

 今日のまとめです。

①主イエスに真理があると確信していますか。それを、帯としましょう。
②主イエスに罪赦され、義とされましたか。それを胸当てにしましょう。
③福音を伝える決意はできていますか。福音を伝える足を意識しましょう。
④全能の神の守りを信じますか。それを信仰の大盾にしましょう。
⑤十字架で救われたと確信がありますか。それをかぶとしましょう。
⑥聖書の言葉を毎日読みましょう。その剣で戦いましょう。

 すべての武具は借り物で、神からいただく武具です。良く考えてみると、この武具はただの比喩ではないと分かります。

そもそも、主イエスが真理です。主イエスが私たちの義です。私たちが伝えたいのは主イエスです。私たちが信じている対象は主イエスです。主私たちが救われたのは主イエスの十字架によります。イエスは神のことばそのものです。
 つまり、武具とは主イエスご自身です。私たちが主イエスを信じて歩む。それが神の武具を見につけることに他なりません。

 神のすべての武具を見に付けましょう。

→あなたの番です

 □装着していなかった武具はどれですか。
 □あなたにとって、一番大事な武具は何ですか。
 □毎朝、聖書を読み、剣を受け取りましょう
 □力になる聖句を暗記しましょう