創世記27:30:46 崩壊した家庭

 3つの質問を手がかりに、神のみこころに沿う道は何かを考えてみよう。

1、長子の権利は誰に譲られたか?

  「イサクは言った。『見なさい。私は年老いて、いつ死ぬかわからない。だから今、おまえの道具の矢筒と弓を取って、野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。そして私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福できるために。』」(創世記27:2~4)

 父イサクは高齢で視力が衰え、近くにいるのが長男のエサウか次男のヤコブか見分けられないほどだった。死期が近いことを感じたイサクは、長男エサウを呼び、長子の権利の相続手続きを完了させようとした。そのために、ささやかな会食の席を設けさせた。

 ヤコブがやったことは、「なりすまし詐欺」だった。兄の服を着込み、兄のように話し、子ヤギの毛皮を腕に巻き毛深い兄の肌を真似し、父が好きなカモシカ料理をヤギの肉でごまかした。

 父は、エサウが狩から帰るのが早すぎることと、声がヤコブに似ていることから、最初は疑った。「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ」(22節)「ほんとうに、おまえは、わが子エサウだね」(24節)
着物に付着した臭いがエサウの特徴を持っていたことから、父は自分の疑問を捨て去り、喜びながら祝福する祈りをした。
イサクが長子の権利を譲った相手は、エサウではなくヤコブだった。
 
 長子の権利は他の兄弟の2倍の財産分与があるほか(申命記21:17)、霊的な面から言うと、世界の国々の祝福の基となる地位だ。エサウもヤコブも、こうした霊的な役割は頭になったようだ。

 ところで、創世記の中心テーマの一つは家族であることに気づく。なぜ、家族がテーマになるのか。それは、人の罪が明らかにされるのが家庭だからだ。
 家庭の中なら約束を破っても平気だ。わがままになる。残酷になる。家庭こそが信仰の必要な場所だ。家族が手を取り、祈り合えるなら世界は変わる。まさに祝福の基となれる。
 
 あなたの家庭は、祝福の発信地になっているだろうか。


2、ヤコブが欺いたのか?

 ヤコブは、ずる賢い男だ。まるで詐欺師のようだ。食べ物と引き換えに長子の権利を兄エサウから買い取った。今日の事件もヤコブが主役なのだろうか。
 リベカはヤコブにこう告げました。「いま私は、父上が、あなたの兄エサウにこう言っておられるのを聞きました。」(6節)リベカは盗み聞きしていたのです。
 「それで今、わが子よ。私が命じることを、よく聞きなさい。」(8節)そして、兄になりすますための具体的方法を伝えました。(9~10節)

 そうです、これはヤコブの計略ではなく、母リベカの作戦だったのです。イサクがどう行動するか予測できていました。エサウがあわただしく呼ばれたのを見て、もしやと思い、立ち聞きしていたのです。ヤコブはむしろ詐欺が露見するのを恐れてしり込みしています。(11~12節)母はこう啖呵を切りました。「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。」(13節)
 母はしたたかな女だった。手段をいとわない。それが、リベカだった。「兄が弟に仕える」(25:23)という神のみこころは、自分の願いを補強する口実の一つでしかなかった。神のみこころであっても、自分の策略で手に入れる。嘘でも、裏切りでも、構わない。

 リベカは神のみこころを利用して、自分の願いを成し遂げようとしました。あなたは、リベカに似ていますか。

 神の祝福が欲しいあまり、手段を選ばすに嘘や不正をするのは間違いです。また、家族の中に策略や裏切りは必要ありません。
 良いことなのに、それをしようとすると心がざらつく。それは、聖霊様があなたに知らせておられうのです。リベカになるな。わたしを信頼しなさい、信仰の王道を歩きなさいと言っておられるのです。


3、父はなぜ怒らない?

 ヤコブにまんまと騙されたのに、イサクはヤコブを叱責しただろうか。ヤコブの背後にリベカがいることを感じたはずだが、リベカに文句を言っているだろうか。いずれも答えはノーだ。
 本来、長子の権利を譲る儀式は、家族全員を集めて盛大に行うはずです。でも、イサクは秘密裏に行おうとしました。イサクは妻の反応が怖かったのでしょう。
 手段は汚いかもしれないが、エサウが長子の権利を譲ったことは事実だからヤコブに相続の権利がありました。イサクはヤコブに譲るべきでした。

 イサクはもっと重大なことをしたのです。イサクは、神が言われた言葉に意図的に逆らったのです。「兄が弟に仕える」(創世記25:23)という神のみこころを無視しました。神の予告通りに事が進んでいるのを見ながらも、イサクはかたくなに神のみこころを拒みました。嫌だ。ヤコブに長子の権利を譲るのは嫌だ。そこで、秘密裏にエサウに祝福の祈りしてしまおうと思ったのです。家族を欺き、神を無視したのです。

 「イサクは激しく身震いして言った。『では、いったい、あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。おまえが来る前に、私はみな食べて、彼を祝福してしまった。それゆえ、彼は祝福されよう。』」(33節)

 だまされたと分かった瞬間、神をあざむいた自分の姿が、くっきりと見えたのです。神をあざむいたはずが、ヤコブに欺かれた。神は生きておられる。
 それで、イサクは妻を責めることもせず、ヤコブを叱ることもできませんでした。

 「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7)

イサクは神のみこころを無視して、自分の願いを成し遂げようとしました。あなたは、イサクに似ていますか。

 ハーバード・ビジネススクールには成績優秀なトップ5%の生徒だけが受けられる<ベーカー・スカラー>という賞があります。その賞はエリート中のエリートの証明となり、その後のキャリアに絶大な力になります。ところが、その受賞通知を受けても、計算間違いだと自主申告した学生がいて、実際、教務課が再計算したところ基準を下回ることが分かり、取り消しになりました。学部長は1993年の卒業式で、その学生を紹介し、いきさつを説明しました。すると、どうでしょう。卒業生ら全員がその場で立ち上がって、その学生に惜しみない拍手を送りました。本当の祝福が何か、明らかになったのです。

 神は、あなたに本当の祝福を与えようとしています。あなたに霊的な意味での長子の権利を譲りたいと思っておられます。そのみこころを、嘘や裏切りで手に入れることをせず、神の方法で、神のときに、神の喜ばれる方法でしっかりと受け取りましょう。