創世記25:20~34 双子と煮物

 私たちは皆、物語の主人公です。
それぞれの物語は書きかけで、現在進行中です。

 過去は変えることはできません。でも、その一部分は書き換えることができます。どうやって?


1、ヤコブの物語

 ヤコブの人生を学ぶことはとても有益です。ヤコブという人が、私やあなたにとても似ているからです。自己中心で、不完全だからです。
 ヤコブの人生にあなたの人生を重ねて、自分探しの旅に出ましょう。自分を掘り下げることは、神の豊かさを知るためのいわば門になるのです。

 イサクとリベカの夫婦に生まれた双子に、エサウとヤコブという名が付けられました。赤くて(ヘブル語でアードーム)毛深い(セーアール)のでエサウ、兄のかかと(アーケーブ)をつかんで生まれたからヤコブ。幼児の名を呼ぶとき、「毛深い赤毛ちゃん」「かかと君」と呼んでいたわけです。

 出産前に母リベカは、「兄が弟に仕える」(創世記25:23)という神のみこころを知りました。これは、母親の意識をかなり方向付けたことでしょう。
 
 双子が大人になると、性格や行動が大きく異なりました。エサウは粗野な男になりました。猟の才能があり、野原を何日も駆け巡りました。欲しいものがあればすぐに欲しいという衝動的な生き方をして、どちらかというと捨て鉢、荒れた性格になりました。
 一方のヤコブは母と共に過ごし、外見は穏やかに羊を飼う生活に満足しました。その内面に一歩入ると、兄を押しのける機会をうかがう、ずるがしこく、人を踏みつけても何とも思わない、実に嫌な人物でした。

 するとヤコブは、「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。」と言った。エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。」と言った。(創世記25:31~32)

 ある日、エサウが腹ペコで狩から帰ってくると、おいしそうなスープの香りがします。ヤコブが調理したレンズ豆の煮物でした。これはヤコブの策略でした。長子の権利と引き換えるなら、食べさせると言いました。単なる口約束では不十分なので、誓わせたました。この辺は用意周到です。
 エサウは、長子の権利など何の興味もありませんでした。ヤコブは、してやったりとにんまりしたはずです。

 長子の権利については次回詳しく触れます。今日のところは、長子の権利は兄から弟に移ったという事実だけを確認しておきましょう。


2、物語の背景

 この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかイサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。(創世記25:27~28)

 27節と28節を読むと、エサウとヤコブの家庭が歪んだ家庭であることが分かります。母はヤコブを偏愛します。父はエサウを大切にします。

 家族のそれぞれが当時の心境を語りあえば、理解や共感も不可能ではなかったでしょう。

 エサウなら、こう言うでしょう。母さんがヤコブをえこひいきしたのが分かったから、腹が立って、いらいらしていたんだ。どうでもいいという気持ちになって、野原に飛び出していたんだ。

 ヤコブは、こう説明するでしょう。世の中は不平等だと思う。僕のほうが能力があるのに弟の立場で甘んじないといけない。父さんがエサウと一緒に狩りに出る姿を見て、うらやましかった。

 母、リベカもこう述懐するでしょう。エサウは毛むくじゃらで、外見はかわいくないけど、長年祈り求めた子供で、私が腹を痛めた子よ、同じように手をかけ、育てたわ。だけど、だんだん、エサウの心が私を離れたので追っても無駄だと分かったの。

 父、イサクも弁解するでしょう。妻がヤコブを大事にするにも程があると思った。エサウが不憫でね。だから猟に連れ出して手ほどきをしたんだ。すると、飲み込みが早く、素直なんだ。口は悪いし態度は粗暴だが、いいやつなんだ。

 けれども、穏やかに互いの気持ちを聞きあうチャンスを失った家庭は、沈み始めた客船のようなもので、沈没するしかなかったのです。

 あなたの家庭は、今、大丈夫ですか。まだ、間に合います。愛とゆるしを伝え合ってください。


3、私たちの物語

 私たちはみな、物語の主人公。
あなたの人生を見つめ直しませんか。
 
 過去は変えられないが、物語の一部は書き直せると書きました。なぜ、そう言えるのかというと、素晴らしい編集者、主イエスが共にいてくれるから可能なのです。編集者は通常、著者に新しい視点を与えたり、書き通しようにと励ましたりします。

 主イエスは、あなたの物語に新しい光を当ててくれます。

 たとえば、私の父は貨物船の船員で一度航海に出ると6か月間家に戻らない生活をしていました。私は、父がいないことを寂しく思いました。私が大人になって父と語り合うと違う視点が見えました。父が航海から帰ると、2歳くらいだった私は知らないおじさんがいると泣き出したといいます。父の切ない気持ちを初めて理解しました。
 事実は一つですが、父の感じたことと、私の感じたことは違っていました。父の本音が分かった私は、自分の物語を自分の心で書き直しました。<私は、父に愛されていた>と。こんなふうに、私たちは物語の一部を書き直せるのです。

 親や兄弟とのやりとりを、静かな心で思い出してください。相手の気持ちになって考えてください。実際に会うことができるなら、あなたが傷を受けたと思う事件について、違う視点が見えてくるでしょう。
 
 自分探しは、実は、神の愛探しにつながっています。親や兄弟に愛されていたんだと気づきます。神が愛だという事柄が、抽象的な概念ではなく、実感として分かるはずです。

 あなたの物語はあなたのヒストリーですが、それは、His Story(彼=神の物語)と読み直すことができます。神があなたと共に歩んでくださった物語です。

 今日は、ヤコブの生涯の第1回目でした。詐欺まがいに長子の権利を奪い取るヤコブの姿を見ました。歪んでしまった家庭を見ました。生まれつきの性格や生育環境は今さら変更できません。ですが、主イエスと共に歩むなら、主イエスと共に過去を振り返るなら、聖霊に導かれた新しいキャラクターが与えられ、気付かなかった親の愛と神の愛について感謝が生まれます。

 あなたは不平等に造られたのではなく、他人から見ると不公平と思えるほどユニークな存在として神に造られ、神に愛さて今日まで生きてきたのです。

 あなたの番です→
□自分と家族の歴史を冷静に見つめなおしましょう
□先入観を外して、父母や兄弟の話を聞きましょう
□家族に感謝の心を伝えましょう、必要なら謝りましょう
□私を造り、導いて下さった神をほめたたえましゅおう


恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。
わたしはあなたを助ける。
――主の御告げ。――
あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。
(イザヤ41:14)