第2コリント6:1~18 今は恵みの時

 神の恵み。
 それは、神から人に注がれた愛の別名です。
 今日は、神の恵みを無駄にしない生き方を考えてみましょう。

1、釣り合わないくびき
 
 最初に、6章の最後のパラグラフである14節から7章1節の部分を取り上げることにします。ここでパウロは、率直に、大胆に、これから結婚しようとする人に対して忠告しました。

 「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。」(14節)

 くびきとは、二頭の牛の首に木材を乗せて首をつなぎとめる農耕器具です。信仰を持っていない人がすでに頭を入れているくびきに、クリスチャンが頭を入れないように、とパウロは警告しています。この場合のくびきは、不自由さ、重労働、不平等さ、などがイメージされています。

 パウロは、正義と不法、光と闇、神とベリアル(サタン)などの接点のないペアを列挙し、釣り合わない結婚もそれと同じだと指摘しました。15~7章1節において、パウロは旧約聖書を複数箇所引用し、<分離すること>の大切さを語りました。

 フラー神学校の心理学者で結婚カウンセラーのニール・カレン・ウォレン博士は30年以上の臨床経験から、精神世界を重要視する人とそうでない人の結婚は必ず問題にぶつかる、とその危険性を警告していますが、パウロが2000年前に述べたことを現代的視点で検証していると言えるでしょう。

 結婚に限らず、クリスチャンがこの世の中の罪の伝統、社会や会社の悪いしきたりに染まるということも、同じ問題をはらんでいます。「彼らと分離せよ」(17節)とパウロは言います。こうした生き方は、神の恵みを無駄にしない生き方の一つです。

2、今は恵みの時

 パウロは5章で神の救いの素晴らしさを語り、パウロ本人も私たちも福音を伝える使節として任命されていると語りました。6章の冒頭1~2節では、その余韻が残る中で、今こそ、神の救いを受けよと熱く呼びかけます。罪を知らない方を十字架にかけてまで(5:21)、あなたを救おうとした神の恵みをむだにしてはいけない、今日は救いの日だと述べます。

 「神の恵みをむだに受けないようにしてください。」(1節)
 「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(2節)

 神の恵みは、感謝して受け止める人がいないなら、無駄になります。まるで、受け取り手のいない流しそうめんのようです。
主イエスを救い主と信じる。これが、神の恵みを無駄にしない、最も大事なことです。今、救いに招かれていたら、今、主イエスを信じましょう。

 あなたがすでに、主イエスを信じているクリスチャンなら、愛において成長し、キリストの姿へ変えていただきましょう。
 友達が「パンクして困っている」と電話してきたとします。あなたならどうします。それも、相手がアリゾナにいたとしたら。

 成長のポイントは、決断をして愛の行動をすることです。大切な人のため、まるで車をユーターンさせるように、親切さと思いやりのある行動を選ぶことです。

 恵を無駄にしない生き方とは、神の愛に応答して、実際のアクションに落とし込むことです。



2、福音にふさわしく

 パウロは、自分が語る内容と、自分の生活態度が矛盾しないように生きていると3節から10節まで語ります。これも、恵を無駄にしない姿勢です。

 「あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と」(4~6節)

 福音にふさわしく歩もうとするなら、困難は避けられません。それは、パウロの人生を見れば一目瞭然です。パウロはその苦しみの中でも、寛大な心や思いやりを忘れませんでした。原文のギリシャ語を読むと、苦しみも親切も同じ文章形態で書かれてあり、パウロにとっては、苦しさに耐えることと、人を思いやることに、何の区別もないことに驚きます。

 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。(6~10節)

 私たちは、人から評価されたり非難されたりして一喜一憂しますが、人生とはそういうものだとパウロは達観しています。
外見は、否定的で、弱くて、貧しく、魅力のないものに見えるのがクリスチャン生活の一面です。ところがどっこい、実態は正反対だとパウロは体験的に言います。
 貧しくても人を富ます生き方ができると言います。無一物無尽蔵。それは、主がおられるので可能となるのです。主の恵みゆえに実現する信仰生活の真髄なのです。
「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」

 トム・ハーケンは1992年、レストラン事業で大成功した創業社長としてアメリカで栄誉ある賞を受けました。彼は、長い間字が読めず、書けなかったことをその時のスピーチで自分の子供たちと出席者の前で明かしました。妻の助けで、やっと克服したといいます。
 小児麻痺と結核のため教育を受ける機会を失ったトムは、字が読めないままで掃除機の訪問販売を行い、名前、住所、電話番号、購入機種などを暗記、書類書き込みを夜になって妻に頼みました。そうした熱意が全国一のセールスマンにしました。
 トムがアメリカの有名大学で、名誉博士号を授与され、卒業式の記念スピーチをしたことがありました。その前夜、大学当局者から、我が大学は中立をモットーとする格式のある大学なので神についての話をしないでほしいとやんわりと忠告されていましたが、「大学に必要なのは神です。神を知らない人生は問題にぶつかる。神を求めましょう」と大胆に語り、聴衆のスタンディングオベーションを受けました。トムはどんな場所に行っても、神に助けられ、妻に支えられ、今の自分がある、とあかし続けています。

 神の恵みを無駄にしないため、あなたはどんな選択をしますか。

 神を第一に、福音のためにすべてのことをする決断を絶えずしていくなら、主はあなたの人生を豊かに祝福してくださいます。
 たとえ、苦難があっても、別れがあっても、貧しくても、弱くても、主と福音のために生きる人には神の助けが豊かにあります。


 →あなたの番です
 □あなたのプライオリティーを明確にしよう
 □主の恵みを無駄にせず、今、大事なものを選び取ろう
 □主よ、貧しくても、弱くても、多くの人を富ます人生にしてください

 「私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。」(第1コリント9:23)