第2コリント7:1~16 悲しみと慰め

 悲しむ時、落胆した時、私たちが求めるものは何でしょう。それは、慰めです。今日は、慰めについて考えましょう。

1、安らぎを失い、気落ちした時

 マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。(第2コリント7:5)

 パウロは、安らぎを失っていました。信仰の勇者パウロでも狼狽することがあるのです。厳しすぎたかとコリントに宛てた手紙の内容を一時は後悔しました。(8節)
 パウロは、コリント教会に書いた手紙の反応を心配し、トルコ半島の北西部の町トロアスでいてもたってもいられず、海を渡ってギリシアに渡りマケドニア地方に移動したほどでした。(第2コリント2:12~13)

 あなたは今日、安らぎがないかもしれません。仕事や家庭の問題で、まさに「外には戦い」(5節)という状態ですか。あるいは、心の中の心配事が多すぎて「うちには恐れ」という状態かもしれません。このようにストレスの多い毎日の生活に、決定的と思えるような大きな問題が一つ加わると安らぎを失い、気落ちします。正面から問題に立ち向かう気力を失います。

 かなり昔のことです。サーカスのチケットを買うために夫婦とその子供8人が立っていました。良くしつけされた子供達は二列に並び、サーカスの楽しさを想像して期待に胸をふくらませて語り合っていました。
 父親が担当者からチケットの総額を聞いて「えっ、いくらですって」と困惑の表情を浮かべました。思った以上に高額だったのです。そのとき、誰かが肩をたたきました。見知らぬ男性が「失礼ですが、この紙幣があなたのポケットから落ちましたよ」と言うと、入場料に見合うお金を差し出しました。その父親は目に涙を浮かべ、感謝してそれを受け取りました。

 私たちの神は、「気落ちした者を慰めてくださる神」(6節)です。生きて働く神が、あなたを慰めてくださいます。あなたは、それを信じますか。

 「主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。」(詩篇138:8)


2、悲しみの力

 コリント教会で何かトラブルが発生したようです。12節によれば、悪を行った加害者とそのために被害を受けた人がいるようです。教会の対応が適切でなかったため、問題解決ができず、悪い影響が残ったようです。
 パウロは、根本的な解決のために、問題の原因がどこにあるのかを厳しい言葉で指摘し、何をすべきかを指導したようです。テトスが戻って来て、良い知らせを伝えてくれました。

 しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。ただテトスが来たことばかりでなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、私たちは慰められたのです。あなたがたが私を慕っていること、嘆き悲しんでいること、また私に対して熱意を持っていてくれることを知らされて、私はますます喜びにあふれました。(6~7節)

 コリント教会の人々は、パウロの手紙を読み、テトスの説明を聞き、二つの点で大きく変化しました。罪を悲しみ、態度を変えてパウロを心から慕うようになったのです。
 問題解決の鍵は何だったのでしょう。それは、神のみこころに添った悲しみです。

 今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。(第2コリント7:9~10)

 悲しみには、力があります。

 神のみこころに添って悲しみ、悔い改めるなら、前に進む力が与えられます。

それは、憎しみを引きずった悲嘆のことではありません。悔し涙でもありません。神の前での自分の罪を嘆くことです。

 神のみこころに添った悲しみからは、赦しの喜びが生まれます。優しい気持ちになれます。自然な形で、周囲の人に「ごめんなさい」と言えます。自分らしくなれます。神に愛されていることを、しみじみと感じさせてくれます。現実的に問題解決をしようという勇気が与えられます。

 悲しみは、慰めの注ぎ口になるのです。

 主イエスの言葉を思い出します。「悲しむ人者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)

 若い女性が、買ったばかりの新車を運転中、停止していた車に追突しました。夫に買ってもらった車なので、ショックが大きく、思わず泣いてしまいました。
 事故処理のため車の登録証を出そうとダッシュボードから封筒を出すと、中に紙が入っていていました。夫の字で事故を起こした時の対処法が書いてありました。その中に、「僕が愛しているのは車じゃなくて君だということを忘れないでほしい」と書かれてありました。

 父親の皆さん。妻と子供たちに、「すまなかった」と心から言いましょう。あなたの悲しみが、誰かを慰めることになります。奥さんたち、夫と子供達に言いましょう。「悪かったわね」と。子供達、兄弟や父母に言いましょう。「ごめんなさい」と。

 あなたの神の前での悲しみは、周囲の人をいやします。

 あなたの番です→
 □「気落ちした者を慰めてくださる神」は、あなたの肩に手を置いて下さいます。
 □神のみこころに添った悲しみをあなたのものにしましょう。