使徒11:19~21 送り出す教会のはじまり

送り出す教会になりたい。
 それが、カリフォルニアに来てから祈り求めてきて、主に導かれたビジョンです。今日は、新約聖書の最初の送り出す教会、アンテオケ教会の始まりに目を留めましょう。

1、散らされた人たち

 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。(使徒11:19)

 アンテオケ教会は、偶発的にできた教会です。エルサレムで迫害を受けたクリスチャンが着の身着のままでたどり着いた場所が、エルサレムから北へ360マイルにあったアンテオケだったのです。主イエスの十字架がAD30年ごろなら、その数年後の出来事になります。

 教会の基礎を築いた人々は、散らされた人でした。たまたま流れ着いた場所、それが宣教地になったのです。不本意と思える職場、第3希望だった学校、知り合いがいたのでやって来た、色々な理由で今の場所にいますが、散らされた場所、そこが主の導かれた宣教地なのです。

 散らされた人はお金も、家も、仕事も、立場も、一切を失ったいました。持っていたのは主イエス・キリストの福音だけでした。美しの門でペテロが、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・ キリストの名によって歩きなさい。」(使徒3:6)と言った心と同じです。



2、名のない普通の人


 ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて(使徒11:20)

 教会の礎を築いた人々の名は不明です。有名な伝道者でも、弟子でも、教会指導者でもなかったのです。普通の人、目立たない人でした。それも、幾人かが伝道したに過ぎませ。

 伝道は、誰か有名な人、立派な人が用いられると考えやすいのですが、ここでは名前さえ記録に残らなかった人たちが主に用いられました。「主の御手」(21節)があるとき、宣教のわざは進むのです。



3、外国生活者

 ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。(使徒11:20~21)

 キプロス人とは地中海のキプロス島で生まれ育ったユダヤ人のことです。クレネとはエジプトの西、リビアの海岸都市のことで、クレネ人もやはり外国育ちのユダヤ人のことです。

 これらの人々は、普通のユダヤ人と違って、海外生活経験がありました。ユダヤ人の言葉ばかりでなく、当時の国際語ギリシャ語も話せました。
 現代風に言えば、アメリカの市民権やグリーンカードを持っている人や、アメリカ留学をしている日本人と同じです。つまり、「変な日本人」が宣教に用いられるのです。海外生活経験者は、自国の文化に縛られない自由さを持っています。真理だと分かったら、まっすぐに実行できる力を持っています。神は、そうした変なユダヤ人を用いて異邦人伝道の突破口を開かれたのです。

 私たち海外生活者は、主から期待されています。大胆に、福音を語りましょう。

 送り出す教会とは何か、次回ゆっくり取り上げます。



→あなたの番です
□散らされた場所は、あなたの宣教地です
□問題を抱えた、弱さを持った人が伝道で用いられます
□主は海外生活経験者に期待しておられます