使徒9:26~28、11:22~26 メンタリング

送り出す教会になりたい。そのためには、クリスチャンとしてしての基本を確実に身に付けた人を育てる必要がある。どんな方法があるだろうか。
 たとえば、礼拝に忠実に出席する。ディボーションを続ける。教会を愛し、忠実に奉仕する。スモールグループに加わる。これらは、クリスチャンとして健全に成長するために不可欠な事柄です。
 それに加えて、今日は、メンタリングという事を考えてみたいのです。


1、メンタリングとは何か

 メンタリングとは、クリスチャンとしてのトータルな成長を促すことを目的にした、1対1の人間関係と定義できます。教え導く人がメンター、教えられる人をメンティーと呼びます。
 (メンタリングは男性が男性を導き、女性が女性を導きます。異性間のメンタリングは不適切で絶対にしてはいけません。男性牧師や男性伝道者ですら、女性を個人的にメンタリングしてはいけません。)

 教会に長く通っているけれど、信仰が不安定で、霊的成長が遅く、聖書から個人的に語られた経験がなく、他の人と一緒に祈ることが極端に苦手で、問題に振り回され、生活スタイルが普通の人と変わらないという不時着しそうな超低空飛行のクリスチャンがいます。

 一方、日曜礼拝に最高のプライオリティーを置き、毎日聖書を読み祈る習慣を身に付け、仕事や家庭にクリスチャンとしての生き方が反映され、主イエスの福音を分か合うことを願ってトライし、心の深い部分で主の取り扱いを受け、人格が変えられている人がいます。

 何がどう違うのでしょう。クリスチャンとしてトータルに成長していいる人は、最初に掲げた項目以外に、メンターから学んでいる場合がとても多いのです。

 机に座って本を読む、レクチャーを聞くというタイプの勉強だけでは信仰の成長には不十分です。人間の生き方、考え方、感じ方、行動などのダイナミックな変容は、バランスの取れた信仰の先輩にコーチングされる中で多くの場合起こります。
 主イエスが12人という限られた人を選んだ理由がこれで分かってきましたね。主イエスは、12人と生活を共にし、集中して12人を教えました。折々に、ペテロやトマスやアンデレに個人的に語られ、叱責されたのは、まさにメンタリングなのです。

 今日の結論は二つ。あなたがメンターになりましょう。あなたもメンターを持ちましょう。



2、メンターとしてのバルナバ

 聖書に登場する代表的なメンター、バルナバからメンターの仕事とは何かを学びましょう。

 第1に、メンターは、引き受ける人です。

 サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間にはいろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコに行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。(使徒9:26~28)

 新改訳は「引き受ける」と訳していますが、NIVはtook himとけ訳しています。これは文脈から読み込んだダイナミックな訳なのかもしれません。実際、バルナバはパウロの身元引き受け人になったも同然でした。
 パウロ(サウロ)が回心したと聞いても12使徒は誰も信じませんでした。アルカイダの幹部が昨日回心し、今日礼拝にやって来たようなものです。機関銃を手に、手榴弾を腰にぶらさげ、血走った目でやって来たら、みんな引いてしまうでしょう。
 バルナバは危険を冒してパウロの話を聞き、パウロの回心が本当だと確信しました。それで、十二弟子のもとに行き、バルナバが証言したのです。最初パウロは使徒たちの前で話すことすら許されていませんでした。バルナバは、パウロと本気で関わることに決めたのです。メンタリングとは、相手を責任を持って引き受けることです。

 第2に、メンターは、イニシアティブをもって訓練します。

 この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。(使徒11:22~26)

 バルナバはパウロを「捜し」、「会い」、「連れて来た」。人をやって呼び寄せたのではありません。他人が出かけても、承諾しなかったかもしれません。連れて来るというイニシアティブはバルナバが取りました。
 パウロの律法学者時代の気位の高さや凝り固まった律法主義的考え方は、すぐには抜けなかったと私は予想します。パウロは忍耐を持って、教え、正し、見本を示したはずです。この訓練はon the job training の形で長期間続いたと思われます。
 イニシアティブとは、愛のイニシアティブです。まず、バルナバがパウロを愛しました。可能性を信じるイニシアティブ。期待するというイニシアティブをバルナバが持ったのです。

 私は、ハワイの牧師にメンターになってもらい、2年半近くの期間、月に二度お会いし、様々な励ましを頂いた経験があります。ハワイのビーチで、「あなたたちは、これから、新しいミニストリーに備えるのです」という言葉を頂き、どんなに励まされたか分かりません。その時の黒田先生は涙を流しながらそう励まして下さいました。

 バルナバとパウロがアンテオケ教会で過ごした期間、どんなメンタリングが行われたのか、聖書は沈黙しています。でも、10年ほどの期間、パウロがバルナバからのメンタリングを受けたことは間違いありません。パウロは、主イエスによって救い出され、バルナバによってキリスト者にされた、といってもいいかもしれません。


 第3に、メンターは励ます人です。

 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。(使徒4:36~37)

 バルナバという名は本名ではありません。ヨセフが本名でした。あだ名は十二使徒が付けたのです。ペテロやヨハネが、「あなたは慰めてくれる人だ、励ましてくれる人だ」と言ったのです。だから、バルナバは励ますメンターになりました。


 第4に、メンターは与える人です。

 バルナバは畑という大きな財産を売って、それを献金しました。ですから、バルナバは与えることにおいて、躊躇のない人です。バルナバは、自分の時間を与えたことでしょう。自分の知識、経験、受けた訓練をパウロに与えたでしょう。とりなしの祈りをし、いつもパウロを見守っていました。自分のすべてを与えるといっても過言でありません。

 第5に、メンターは、去って行ける人です。

 幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。
 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。(使徒15:36~41)

 落伍者マルコを巡り、パウロとバルナバは議論しました。パウロはマルコを伝道旅行に同行することを拒否し、バルナバは連れて行くと主張。意見が折り合わず、パウロとバルナバは二派に分かれて出発しました。この後、バルナバは聖書に登場しなくなります。分かることは、脱落者マルコを立て直したということです。(第2テモテ4:11)
 喧嘩別れのようではありますが、摂理的に、バルナバとパウロが分かれる時が来たのだと思います。バルナバは、完全にパウロを育て上げたといえるでしょう。
 メンターは、カウンセリングで言う「共依存関係」に注意しないといけません。自分の弟子を囲い込むようになっては、本末転倒です。自分の弟子ではなく、主イエスの弟子を育てるのがメンターの仕事です。

 バルナバとの苦い別れは、パウロの心に警告を残したでしょう。パウロは、後に、テモテという若者を選び(使徒16:1~3)今度は自分がメンターになって育てました。バルナバから受けたと同じことをしてテモテを育てたのです。(第2テモテ2:2)パウロはメンターとしての自分の引き際をわきまえていたはずです。
 
 神は、あなたにふさわしい信仰の先輩を、その時々に用意してくれます。そのメンターから学びましょう。そのメンターの生き方を模範にしましょう。そして、あなたがメンターになりましょう。

 バルナバは、引き受ける人、イニシアティブをもって訓練する人、励ます人、与える人、去って行ける人として、パウロと関わりました。バルナバこそメンターの中のメンターです。

 →あなたの番です
 低空飛行の中途半端なクリスチャンから脱出しましょう。キリストを喜び、成長し続けるクリスチャンになりましょう。

□メンターから学びましょう。
□あなたが自身がメンターになりましょう。あなたが導く人は誰ですか。