ローマ10:1 私たちの心の望み

今日は、伝道について、ゆっくりと考えてみましょう。

1、伝道における失敗とは?

 私は生涯一度も失敗したことがない、と言う人がいるでしょうか。もし、いたなら、その人は、なにもしなかった人だと思います。
 伝道には失敗はありません。むしろ、失敗をしなさすぎるのです。もっと、「失敗」しましょう。

 リー・ストロベルは長年無心論者の新聞記者として生きてきました。1981年に主イエスを救い主と信じました。そんな時、会社で、教会の礼拝に行ったそうだね、どうだった、ボスに聞かれ、心が動揺しました。正直に話せば、周囲の新聞記者仲間から馬鹿にされるかもしれない。でも、「私は福音を恥とは思いません。」(ローマ1:16)、というローマ1章の言葉に励まされ、「もしお聞きになりたいのなら、ボスの部屋に行かせてもらえませんか」と答え、結局45分間も聞いてもらうことができました。これが、主イエスを伝えて生きるというライフスタイルの幕開けになったと「The Unexpected Adventure: Taking Everyday Risks to Talk with People about Jesus」という本に書いています。

 しばらくしてストロベルさんは、新聞社の友人のデスクを訪れ、イエスさまのことを伝え、イースターに教会に行こうと誘いました。でも、まったく関心を示してくれません。失敗したのです。
 ところが数年後、ストロベルさんは、一人の男性から礼拝後に挨拶され、あなたのおかげで、私は救われましたと言われましたが、見覚えがありません。
 ストロベルさんが知人に伝道している時、私はあの部屋にいたのです。職を失い、新聞社の知り合いがタイル修理作業を回してくれて、ひざをかがめて作業をしていた時にあなたの声を聞いたのです。私にはイエスさまが必要なんだ、と本気で思ったので、妻とティーンエイジャーの息子を誘いました。妻は、驚いた顔でしたが、結局、みんな救われてここにいるのです。
 伝道には、失敗などないのだ、という事を励ましてくれる実話ですね。

 パウロの伝道旅行を見ると、成功と失敗が入り混じっていることが分かります。
 第1回伝道旅行では、大勢のユダヤ人が信じる事と、別なユダヤ人に憎まれ殺されそうになることが入り混じっています。(使徒13~14章)何が成功なのか、何が失敗なのか、分からなくなるほどです。でも、それで福音は広がっていったのです。

 キャンパス・クルセードの創設者ビル・ブライトの次の言葉は励まされます。
 「伝道における成功とは、ただ単に聖霊の力によって、キリストを伝え、結果は神におゆだねすることである。」"Success in evangelism is taking the initiative to tell others about Jesus, in the power of the Holy Spirit, and leaving the results up to God."


2、パウロの望み

 兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。(ローマ10:1)

 パウロの心の望みは、彼ら、つまり、同国人であるユダヤ人がイエスさまを信じて救われることです。

  「心の望み」という言葉をパウロは使っています。それは、望みの中でも、最も心の奥深くにある願い、一番強い望み、という意味でしょう。パウロは次の言葉で、その心の願いがどれほど強いものかを表しています。

 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。(ローマ9:1~3)


3、私たちの望み

 私たちの望みもパウロと同じです。身近な家族、親戚、友人がみな救われてほしいのです。日本人全員が救われてほしいです。
 
 誰に救われてほしいのか、ノートに書き出してみましょう。
 右側に、救われてほしい人の名前を書きます。
 書きましたか。
 次に、左側に、この人は救われないだろう、イエスさまを信じるのは困難だろと思われる人の名前を書いて下さい。
 そのリストをよく見直して下さい。どんな気持ちになりますか。右側も左側も同じに見えてきますね。そうなんです。同じことなのです。私たちは、もしかしたら、左側の困難リストの一人だったのかもしれません。

 次にしてほしいことは、イメージすることです。その人たちが主イエスを信じて、あなたと一緒に教会に行くシーンを心に描きましょう。礼拝で隣り合い、一緒に賛美する様子を夢見ましょう。
パウロは、次のように語り、異邦人が救われる様子を先取りしてイメージしています。

 それは、こう書いてあるとおりです。「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」(ローマ15:21)


4、神の願い

 パウロの願い、私たちの願い、と順に見てきました。次は、神の願いが何かを見ましょう。

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(第2ペテロ3:9)


5、どうすればいいのか

 1)まず、祈りましょう。
 リック・ウォレン牧師は言いました。教会に誘われて人は断ることはできますが、祈りの力を拒絶できる人は地上にいない、と。とりなしの祈りを防ぐために壁を作れる人は誰ひとりいないのです。祈りは力があります。
 救われてほしい人の名を祈りのノートに書いて、毎日祈りましょう。

 一緒に食事する機会があったら、今、祈っていいですかと聞いて、声を出して祈ってみましょう。相手のために祈るのです。

 クリスチャンを見つけるとくってかかっていたような青年がいました。ある時、年配のクリスチャンの方に祈ってもらい、帰宅する車の中で自分の病がいやされていることに気づき、主イエスを信じたというあかしを聞いたことがあります。主は、私たちの祈りを通してもみわざを為してくださるのです。

 2)主イエスを信じてほしい人と、何らかのコンタクトしましょう
 この1ヶ月の内にアクションを起こしましょう。どこかに一緒に行くのもいいです。食事はとてもGoodです。

 3)耳の伝道をして、相手の心の願いを聞き取り、共感しよう
 会うことができたら、心を込めて相手の話を聞きましょう。聞くことは愛です。聞いてくれる人に、人は心を開きます。

 4)家族には、言うべきことがある
 伝道したい相手が家族なら、まず心を込めて「ありがとう」を言うべきです。相手に迷惑をかけてきたと思うなら、「ごめんなさい」をきちんと言いましょう。この二つの言葉が、愛と真実さを伝えることになります。

 このようなプロセスは、畑仕事を例にとれば、地面を耕す作業だといえます。草を取り、石や切り株を取り除け、肥料をまいて、良い土地に福音の種をまくのです。

 5)聖書を開いて、主イエスを言葉を伝えよう

 聖書の言葉を直接紹介しましょう。教会や聖書の周辺的な事を話すのではなく、主イエスを伝えるのです。

 ウイリアム・ムーアという男性は、泥棒に入った家の男性を射殺した人物です。ムーアのお母さんの願いでクリスチャン二人がが福音を伝え、ムーアはイエスさまを信じました。生まれ変わったムーアは、刑務所で通信教育で聖書を学び、謙虚で、誠実な生き方をするようになりました。やがて、囚人だけでなく、刑務所外の人まで相談に来るような人に変えられ、最終的には罪が赦され、釈放され、牧師として働いています。彼が救われたとき、こう言ったのです。
  「主イエスが私を愛していると、誰からも聞いたことがなかった。主イエスが、私のために命を捨てて、私の罪を赦してくださったということを、聞いたことがなかった。」

 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。(ローマ10:14)

 あなたが伝えないなら、一生、主イエスの福音を聞かずに生涯を終える人がいるかもしれません。

 あなたの祈りと、勇気が、その人に永遠の祝福をもたらします。

 →あなたの番です
  □祈る
  □こちらからコンタクトを取る
  □聞く
  □家族には、「ありがとう」と「ごめんなさい」を言う
  □聖書を開いて、主イエスを紹介する