使徒13:1~3 送り出す教会とは

今日は、送り出す教会のお手本、アンテオケ教会の姿に目を留めながら、自分は「送り出す人」なのか、「送り出される人」なのか、を考えてみましょう。


1、送り出す教会

 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。彼らが主を礼拝し、断食をしていると……(使徒13:1~2)

 使徒11:22~26にあるとおり、アンテオケ教会は質も量もぐんぐんと成長しました。アンテオケ教会の開拓はAD30年代、今日の箇所の13章はAD47年前後なので、教会の歴史も10年を過ぎています。1節の記述で分かるように、アンテオケ教会には、異なる賜物、異なる背景、異なる人種からなる優れた教会指導者に導かれていました。

 アンテオケ教会の指導者たちは主のみこころを尋ねたのです。教会が祝福された時に、主の指示を仰いだのです、

 教会が拡大し、喜びに包まれ、教会に勢いがあるとき、アンテオケ教会のリーダーたちは、断食をして祈りに専念し、特別な礼拝を行い主のみこころがどこにあるかを求めたのです。自分たちの教会が大きくなるだけで良いのだろうか。自分達の計画や希望をひとまず横に置き、ただ主のみこころを求めたのです。ここが素晴らしい点です。
 キリスト教主義の学校やお年寄りの施設を作ることもできました。ホームレス支援のミニストリーも病院を建てることも可能でした。

 私達も、アンテオケのリーダーたちのように、虚心坦懐、ただ主のこころを求める時です。



2、送り出される人

 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。(使徒13:2~3)

 こんな礼拝をしてみたいですね。聖霊がダイレクトにみこころを教えて下さる礼拝です。エルサレムから派遣された聖霊に満ち円熟した人格を持つ聖書教師のバルナバ、バルナバに見い出された情熱と神学の人パウロ。この二人が選ばれたのです。
 「わたしのため」とあります。送り出される人は、神のために出て行くのです。「わたしが召した任務」とあるように、これは神から与えられた使命なのです。送り出される人とは、聖霊に押し出される人のことです。

 私たちの教会から日本に帰る青年、若いカップルが多いですが、帰ってしまうのではない。神が選んで、日本に遣わされたのだと私は理解するようになりました。小さな宣教師となって送り出されるのだと確信するようになりました。

 あなたは送り出される人ですか。送り出される人には以下の特徴があります。

 神に選ばれた
 使命を与えられている
 主と教会に期待されている
 他の人から支援を受ける
 祈られる
 神に頼らないと使命を達成できない
 将来は未知数
 使命達成のためトレーニングが必要
 ネットワークを大切にする
 遣わされる喜びを知っている

 ところで、両手を合わせた祈りの手の絵を、キリスト教関係の本でよく見かけますね。あの絵は、アルブレヒト・デューラーの作品です。絵の好きだったデューラーとその友達のハンスは、都会に出て絵の勉強をしたいと望んでいましたがお金がありません。最初に君が勉強に行けばいい、その間、僕が仕事をして援助するとハンスが言いました。デューラーが絵の勉強を終えて、交代しようと思いましが、ハンスは激しい肉体労働のせいで彼の手の指は曲がり絵筆が持てない手になっていました。その友達の手をモデルに、デューラーが描いたのが有名な祈りの手だという逸話が伝えられています。

 日本からアメリカに来た留学生、青年、海外駐在者などは、送り出される人になり、日本や世界に遣わされるのです。用意はできていますか。十分な訓練が終わっていますか。不安な部分があるなら、今年、しっかりとトレーニングを受けましょう。


3、送り出す人

 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
                                     (使徒13:3)

 「断食」とあります。断食は祈りに専念することを意味します。神の助けがあるように、宣教活動が祝福されるよう、道の安全が守られるようにと、まごころから祈ったのです。
 「ふたりの上に手を置いて」とあります。普通按手の祈りは、神の力の付与を意味します。宣教の使命達成には神の力が不可欠です。それだけでなく、アンテオケ教会を代表して遣わすという意味合いも込められているでしょう。

 アンテオケ教会全体は、二人のために宣教師派遣式を行ったのでしょう。教会全体がバルナバとパウロを派遣したのです。この二人が、世界の歴史で最初の宣教師になりました。

 オズワルド・スミスはカナダの伝道者で、宣教師になることを願いましたが病弱のため過酷な宣教地での生活は無理でした。そこで、ピープルズ・チャーチを設立し、500人の宣教師を派遣したり、経済的に援助しました。
 オズワルド・スミス牧師は、以下のたとえを使って、宣教は送り出す者と送り出された者の共同作業だと説明しました。深い井戸に落ちた人を助けるため、ロープで救助者を送り込んだとします。無事助け出したとき、中に入った人が助けたのだろうか、それとも、ロープの端を持って引き上げた人だろうか。両者が助けたのです。

 送り出す人には以下のような特徴があります。

 私は、今、出て行けない
 年齢や立場的には、父や母、兄や姉、先輩たち
 かつて送り出された経験がある
 今度は、自分が誰かをサポートする番だと思っている
 とりなしの祈りをする
 若い人や後輩を育てる使命を感じている
 「私は、ロープの端を握る人」だと決意している
 一人では不十分だから、誰かにも声をかける
 世代交代を喜んでいる

 ・送り出される人は、訓練を受けて成長し、宣教地で主のみわざを体験できます。
 ・送り出す人は、訓練をほどこす立場で、ささげる立場で成長し、与える喜びを体験します。

 江戸時代末期、岡山生まれの緒方洪庵という蘭方医が大阪で開業して患者を助けながら、塾を開いて若者を育てました。その「適塾」で大村益次郎や福沢諭吉などが学びました。先に学んだ者は、若者に学問を教えることが社会に対する恩返しであるという思想が当時あったと歴史小説家の司馬遼太郎は言っています。
 緒方洪庵が塾生に与えた十二か条の戒めの第一条が次の文章です。
 「医師がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分を捨てよ。そして人を救うことだけを考えよ。」
 「医師」という部分を、「クリスチャン」に置き換えることができませんか。

 タイタニック号が沈没したのは今から約100年前でした。死亡したのは、子供が56人、女性が114人、男性は1339人です。船の乗組員に男性が多かったことは想像できまうが、あまりにも男性の死者が多いです。
 タイタニックに乗り合わせたスコットランドの牧師ジョン・ハーバー先生は、人々が救命ボートに我先にと群がったとき、女性と子供、それに、主イエスを信じていない人を優先しなさいと叫んだそうです。クリスチャンの男性たちは、それに聞き従ったのです。見事な覚悟です。ハーバー牧師は、船が沈没した後も、人々の間を泳ぎまわり、「あなたは主イエスを信じて救われていますか」と語りかけ、まだ信じていない人がいたら、主イエスを信じなさいそうすれば救われる、と語り続けたそうです。
 ある男性の前で、そう語ったハーバー牧師は、彼の目の前で水中に沈みました。目撃した男性は、主イエスを信じ、その後、救助されハーバー牧師のことを後世に伝えたといいます。

 この世界は、沈没している大きなタイタニックです。
 送り出されて主イエスを伝える人になりましょう。
 主イエスを伝える人を送り出すために、サポートしましょう。


 →あなたの番です
  □送り出す教会になりましょう。
  □あなたは、送り出される人ですか。必要な準備をしましょう。
  □あなたは、送り出す人ですか。祈りを、訓練を、援助をしましょう。