第2テモテ3:16 霊感を受けた聖書

今回は、3つの神学用語を手がかりにして聖書について考えます。

1、啓示

モノを調べるときは、客観的に観察すれば理解できます。でも、人格を持った存在は、相手が黙ってしまえば何も分かりません。神は、ご自分の方から語り始めました。

神がご自身のことを人間に語ることを「啓示」といいます。啓示は英語で、Revelationです。
人間の知性は有限なので無限の神を理解することは不可能です。教えてもらわない限り、神を知ることはできません。
神が明らかにされた内容は、①神とはどんな方か、②神は何を願っておられるのか、③神が人にして下さったことは何か、ということです。
神が私たちに何としても伝えたいという強い意思が、啓示に込められています。

「わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」(エゼキエル38:23)

啓示には二つの種類があり、自然啓示と特別啓示といいます。自然啓示とは、自然や宇宙が神の偉大さを語っているという意味です。

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。(詩篇19:1)

グランドキャニオンやヨセミテ公園に行った人は、「凄い」意外の言葉が見つからないほど深い感銘を受けます。

特別啓示とは、聖書のことです。神の偉大さは自然啓示で分かりますが、神が愛であること、聖であること、真実であることは聖書から分かります。また、イスラエルの歴史を通して神がどんな方か分かり、主イエスの十字架の意味も聖書から分かります。



2、霊感

神ご自身がを総合プロデュースし、監修し、世に出した書物が聖書です。そのプロセス全体を聖書を「霊感」と呼んでいます。

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(第2テモテ3:16)

私はわずか5年ですが、新聞、出版の仕事に携わりました。そこで気づいたことは、世の中の書物が必ず編集者の手を通って世に出ているということでした。小説でも、論文でも、雑誌でも、編集者が何度も読み直しています。誤字、表現の正確さ、論旨のねじれ、不快語の使用など様々な面からチェックし訂正しています。本によっては、編集者があらかじめ書き手にテーマを提示したり、アイデアを提供することもあり、映画で言えば、プロデューサーの役割を担う場合もあります。

神が伝えたい内容を監修し、聖書の書き手が正確に書き残せるように、神がそのプロセスすべてを守られるというのは当然のことです。
「霊感」は英語では、Inspiration原語のギリシア語でθεόπνευστοςといいますが、 その単語は神と息で構成されており、神が人に息を吹きかけると人間に命が与えらたように(創世記2:7)、神が言葉に息を吹き入れたイメージが思い浮かびます。生きた言葉なのです。

聖書の書き手は、その時代に生きた弱さと長所を兼ね備えた人物たちです。稀有の指導者モーセ、純粋な信仰者でありながら罪に崩れ折れたダビデ王、異国で毅然と信仰を貫いたダニエル、主イエスを3度否んだペテロ、医者で知識人だったルカ、復活の主に出会った元パリサイ人のパウロなど個性豊かです。聖霊がこれら約40人の書き手を守り、導き、書き手の個性を最大限に生かしながら、神のメッセージを伝えたのです。
聖書は、約1600年間にわたり書き続けられました。このような本は歴史上に例がなく、世界のどこにも聖書と似ている書物はありません。時代も違い、場所も違い、著者が違うのに、中心テーマが統一されている奇跡と言える書物が聖書です。

「なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」(第2ペテロ1:21)

聖書が霊感を受けた特別な本だということを説明するには、聖書がどのように守られ、どのように伝えられてきたかを説明することが助けになるでしょう。
聖書のオリジナルが残っていないので内容が信頼できないと考える人います。それは、聖書がどのように伝えられてきたかを知らないから言えることなのです。
ユダヤ人は、聖書を大切に、また厳重な注意を持って書き伝えてきました。聖書を書き写す人はその道のプロにだけ許されていました。覚えている聖句も必ず見てから書くという規則がありました。書き終わったページは読み直し、アルファベットを数えます。創世記は、7万8064語あるので、最初から単語を数え正しく書けているかを確かめます。各書の真ん中のアルファベットを見つけ、その字に誤りがないかを確かめます。詩篇80:14にあるアインという字は、ヘブル語聖書では必ず少し浮き上がって書かれています。それは、詩篇全体の真ん中のアルファベットであることを示しています。もし、何らかの書き間違いが見つかったなら、必ず焼き捨てられます。

そのような手続きを経ていますから、1947年に発見された死海写本(BC2世紀~AD100年頃作成)の正確性に世界が驚嘆し、旧約聖書は正しく伝えられて来たと納得したのです。

新約聖書の正確性について次に触れましょう。古典と呼ばれる書物は、そのほとんどがオリジナルを失っています。今から約千年前に書かれた源氏物語もすべて写本でしか読むことができず、大きく分けると3つの系統があることが分かっています。清少納言(966年頃~1025年頃)は『枕草子』の中で、自分の物語がしばしば劣悪な形に改作される事を嘆いています。
ヨーロッパに目を向けると、シーザーの書いた『ガリア戦記』も原本が残っていませんが、私は岩波文庫で読むことができました。実は、その信頼できる写本は5つしかなく、オリジナルから約1000年たった写本が一番有力なのです。プラトンの書物に関しても同じことが言え書物によっては7つの写本しかなく、オリジナルからやはり1000年たったものです。
新約聖書は、紀元100年頃には書き終わっており、現存する『ジョン・ライランド写本』(AD125年)は、ヨハネの死後30年ごろのものです。新約聖書の写本の総数は5366もあります。

聖書は特別な書物だということは、その伝達方法からも言えるのです。


3、照明

「そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」(使徒24:45)

この箇所は、復活された主イエスが、弟子たちの心を開き、聖書の意味がよく分かるようにされた場面の記述です。

一般人が読んでも分からないというのでは、神とのコミュニケーションが始まりません。私たちが聖書を読むとき、聖書の内容を正しく理解できるように神が助けて下さるのです。それを、神学用語で「照明」と言います。英語で、illuminationといいます。神は、人の心をひらき、神の言葉への興味を与え、聖書理解を助けて下さいます。

「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)

神は、今も、私たちの心を開いて下さいます。だから、聖書は、神の助けを求めて祈ってから読みましょう。


4、伝えたい情熱をお持ちの神

 「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(第2テモテ3:16)

聖書は、4つの実際的な効果を持っています。何が正しい事かを教え、してはならないことを明確に戒め、教えから逸脱した時には、本来あるべき場所に戻し、神の求める道を真っ直ぐに歩けるように鍛えてくれる書物です。

それで、聖書は、哲学の本よりも奥が深く、同時に、現実世界ですぐに役に立つ実用書でもあるのです。


神は、私たちにご自身を明らかにしたいという強い意思をお持ちです。それは、啓示、霊感、照明の3つの要素を考えるだけで分かります。神は自分から語られ、正確に伝わるように守り、理解できるように助ける方です。

以下は昔の教科書に載っていた「稲村の火」という文章の一部です。

「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。

これは、1854年(安政元年)12月23日、安政の東海地震(M8.4)が起きた時、現在の和歌山県広川町に住んでいた庄屋の濱口儀兵衛さんが自分の稲束に火を放ち、村人を津波から救おうとした実話です。何としても伝えたい時は、思いきった行動を取るものですね。

私たちの神の熱意に影響され、誰かに神の言葉を熱意を持って伝えられないでしょうか。
あなたが、文章を作る才能が与えられているならそれを用いましょう。ブログでも、フェイスブックでも、小説でも、文章にして神の言葉の素晴らしさを伝えましょう。聖書は神の言葉なので、そのまま聖句を紹介するだけでインパクトがあります。
絵が描ける人なら、あなたの絵に聖書の言葉を添えて誰かに渡しましょう。習字ができるなら色紙に聖句を書いて差し上げましょう。音楽ができるなら、神の言葉を歌にしましょう。料理が上手なら、誰かを呼んで食事して、さりげなく聖書を伝えましょう。


神は、何としても私たちに伝えたい事があるのです。それで、自然を通して語り、聖書を通して語り、正確に書き記せるように書き手を守り、私たちが読んで分かるように私たちの心を開いてくださる方なのです。聖書って思っていた以上に凄い本なのです。

→あなたの番です。
□神は私たちにぜひ伝えたいという熱意をお持ちです
□聖書を読むとき、まず祈って、理解の助けを求めよう
□聖書をあなたらしく伝える努力をしよう