詩篇119:105  聖書とは


これから4回シリーズで、聖書とは何かを考えていきます。第1回目の今日は、聖書とは何なのか、一言で言えば何なのか、というテーマを取り上げます。
今日は、詩篇119:105を取り上げます。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

1、神と言葉

まず、創世記の冒頭部分とヨハネの福音書1章の最初の部分を比べてみましょう。良く似ています。そこで言われていることは、神がおられる、神が言葉をお持ちだ、ということです。

初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光があれ」すると光があった。 
(創世記113 新改訳第3版)

はしめにあったのは神さまの思いだった。思いが神さまの胸にあった。その思いごそが神さまそのもの。はしめのはしめに神さまの胸のうつにあったもの。神さまの思いがこごって、あらゆるものが生まれ、それなしに生まれたものはひとつももねーぁ。神さまの思いにゃあらゆるものを生がす力があってぇ、それはまた生ぎる喜び人の世に輝かす光だった。光は人の世の闇照らしてだったのに、闇に住む人はそのことに気がつかねえでだったんだ。
(ヨハネの福音書1:1~5 ケセン語訳聖書 山浦玄嗣訳)

宇宙も地球も光も闇も時間もないとき、神だけがおられたのです。神がどんな方かは、神が語られる言葉によって分かります。光よあれと言われるだけで光が現れる。神は言葉に力のある存在です。

その人が言った言葉は、その人柄を表すものです。だから、その人が死んだ後は、その人の言葉が思い出されます。つまり、言葉はその人なのです。
「名誉などいらない、欲しいのはマグマのように噴出するエネルギーだ」と岡本太郎は言いました。太陽の塔を作った情熱的な芸術家らしいなと思います。
「試合で失敗したシュートは9000本、ウイニングシュートでミスして試合に負けたことが26回ある」と言い切れる人は、バスケットの超有名選手マイケル・ジョーダンです。

神とはどんな方か、神の語られた言葉を聞くときそれが分かります。

神は人間だけを神のかたちに似せて造り、人間に語りかけようとされました。神が持っておられた自意識、自由、考えること、善悪の判断、愛、コミュニケーション能力が人間に与えられたので、人は言葉を持つようになりました。それで私たちは言葉で自分を洞察し、言葉を操って自分を表現するようになりました。
私たちの言葉は、神と心を通わすために与えられたと言ってもよいのです。



2、心の耳を澄ます

神の言葉をどのように聴いたらよいのでしょう。そのヒントは申命記6:4の祈りにあります。この言葉は、ユダヤ人が一日に5回唱える祈りであり、ユダヤ人にとって最も大切な言葉です。

「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。」(申命記6:4)

祈りとしてささげられる申命記6:4の言葉ですが、リクエストのリストのようなお願いの祈りとはかなり違います。聞けという命令文です。
私たちは、神が語っておられることを聞くことが一番必要なのです。神の語りかけを聴くことが、私たちに一番必要なことです。

だから、人はパンだけで生きるのではないのです。神の口から出るひとつひとつの言葉によって生きるものなのです。


3、神の言葉が足元を照らす

 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」
(詩篇119:105)

ところで、旧約聖書のヘブル語でダバールという単語があります。ダバールには、本来2つの意味があります。言葉という意味と、出来事という意味です。ユダヤ人は、当たり前のようにこの2つのことを一つの言葉で言い表しました。
神は、言葉としてのダバールで私たちに直接に語られます。また、私たちが経験する出来事によっても神は私たちに語りかけておられます。

詩篇119:105においても、「みことば」という単語がダバールです。ダバールが私たちの足もとを照らす光になると語っています。この箇所の光は、移動する光です。つまり、神との交わりが続く中で、神が光を照らし続けてくださるのです。これは神と共に歩む人生を示しています。

105節の前提は、私たちが暗闇にいるということです。あなたも今、暗闇にいますか。暗闇とは、先が見えない不安と孤独を意味します。

 1900年、34歳の日本人男性が文部省の勧めでイギリスに留学しました。東京帝大を卒業し英語を教えていた男性でしたが、ケンブリッジ大学から入学を拒否され、一人のイギリス人から個人教授を受ける以外は、大学にも、図書館にも行かず、何度も住まいを変え、最後には「猛烈な神経衰弱」と家主に言われ、1903年に日本に戻ります。現代的な視点でいえば、彼はカルチャーショックを受け、うつ状態になったということができるでしょう。彼の名は、夏目漱石です。

現代も漱石のようなカルチャーショックで暗闇に沈みこむ留学生や移住者が多くいます。語られた言葉が理解できない、自分の考えや感情を表現できない、孤独だ、悩みを誰にも分かってもらえない。そんな状態は、闇です。それと似たような困難な境遇にいる人もいるでしょう。

神は、あなたを立ち上がらせてくれる言葉を今も語っています。心の耳を傾けるなら、あなたへの愛のメッセージに気づくはずです。朝、神はあなたにもりもりとやる気を起こさせてくれます。神の言葉によって。

聖書とは何でしょう。それは、神がずっと私に語りかけているという証拠なのです。

聖書。神が生きておられる。神が語っておられる。聖書は、そのことをはっきりと示してくれるものです。あなたも、神の語りかけを聞き、元気になって下さい。


→あなたの番です。
□神はずっとあなたに語っています
□神の言葉と出来事を聴きとりましょう
□神のことば、光で足もとを照らしてもらいましょう