ヨシュア6:1~27 エリコの城壁



 エリコの城壁がどのようにして崩れたか。それがヨシュア記6章の記述です。
この内容は幼稚園の子供たちも分かるほど単純です。エリコの周囲をイスラエルの兵士たちが1日に1度、7日目には7周歩いて回り、角笛の合図で叫ぶと城壁が崩れたのです。
(とはいえ、聖絶の概念は難しいです。7日目が安息日であり、礼拝行為として戦いが行なわれたと指摘する神学者がいて、とても興味深い視点だと思います。)

さて、エリコの周囲を回ることにどんな意味があるのでしょう。私たちの日常生活に生かすにはどうしたら良いのでしょうか。それを、まず、あなた自身が考えて下さい。

礼拝でみなさんに同じ質問をすると、色々な答えが返ってきました。
  ・この戦いは神の戦いだ
   ・自分の力を過信しない
   ・黙る必要がある
   ・毎日祈る
 あなたの答えは何ですか。


1、あなたの手に渡した

 「エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。」(ヨシュア記6:1)

 難攻不落。エリコの城壁の前では、誰もが戦意喪失しました。でも、主は、ヨシュアにこう言われました。

 「あなたの手に渡した。」(2節)

 まず、この言葉を神からの約束として受け取める必要があるでしょう。

 あなたの前に立ちはだかる城壁とは何ですか。たとえそれが困難な問題でも、神は、あなたの手に渡したと言っておられる。これが、あなたが受け止めるべき最初のメッセージです。



2、沈黙する兵士たち

 神がヨシュアに命じた攻撃方法は一風変わっていました。エリコの周囲をだまって歩くことです。

あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」(ヨシュア記6:3~5)

 毎朝、イスラエルの戦士は戦闘態勢を整えますが、何もせずにエリコの周囲を1周歩きます。神の箱を祭司がかつぎ、イスラエルの民がその前後を歩くのです。

ヨシュアは民に命じて言った。「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」(10節)

この時、どんな音がしただろう。角笛の音と、兵士らの足音、時たま聞こえる鳥の声ぐらいでしょう。角笛は7人の祭司が吹きました。(8節)兵士は声を出してはいけないのです。(10節)イスラエルの民は、暴徒の集まりではなく、統制されていました。

角笛は、モーセがシナイ山に登った時に聞こえた角笛を思い出させます。シナイ山での角笛は、神がおられることを教え、人々に畏敬の念を与えました。(出エジ19:16)

戦士たちは何を考えて歩いたのだろう。目は下を向いたのか、上を見たのか、それとも、エリコの城壁に向いていただろか。黙るとき、人は、何をするだろう。色々な考えが頭をよぎっただろう。
こんな事をいつまでやらせるのだ。早く戦おう。十分準備はできている。そう考えても無理はありません。納得できなくても、神が言われた方法に従う。これは、人間にとって大事な生き方です。

「あながたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」(10節)

角笛の音が聞こえる中、人々の心は最終的には祈りになったと私には思えます。6日間、屈強な戦士たちが沈黙の中で祈っていたのでしょう。神の箱がそこにあって、一緒に移動したいるのですから、神の臨在を深く感じていたでしょう。


 イスラエルの戦い方を私達の生活に生かしてみよう。問題の周囲を回り、祈ってみよう。誰かと一緒に問題の周りをまわり、一緒に祈ろう。神がおられることに意識を集中しよう。問題から距離を置いて、祈ってみよう。6日間祈り続けると何かが変わります。自分の態度が変わるし、神のみこころが見えてきます。平安が与えられます。

納得できなくても、神の言われることに従うことが大事です。あなたも6日間、問題の周囲をまわりながら祈りましょう。

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。(詩篇62:1)



3、7日目に叫ぶ

七日目になると、朝早く夜が明けかかるころ、彼らは同じしかたで町を七度回った。この日だけは七度町を回った。その七度目に祭司たちが角笛を吹いたとき、ヨシュアは民に言った。「ときの声をあげなさい。主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。(15~16節)

7日目に、イスラエルの勇士は7回もエリコの周囲をまわった。エリコの人々は、沈黙を続けながら周囲を歩く人々を見て、ぞったしたはずです。

そこで、民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。民が角笛の音を聞いて、大声でときの声をあげるや、城壁がくずれ落ちた。そこで民はひとり残らず、まっすぐ町へ上って行き、その町を攻め取った。(20節)

 叫ぶだけで城壁が崩れた。これが神のなさることです。

 イギリスのブリストルで孤児院を始めたジョージ・ミューラー(1805-1898)は祈りの人として知られます。ある日、朝食がないまま、ミューラーは400人の子供たちと共に食前の祈りをしました。するとドアをノックする音が聞こえ、焼きたてのパンとミルクが届きました。イベントがキャンセルになったというのです。65年間、こんなふうにして孤児院の働きを続けることができました。祈りは5万回かなえられたといいます。当時のイギリスは化学万能意識が社会を支配していましたが、ミューラーは神は生きておられると信じ、実際的な問題の解決を神に願い求め、応えられました。

 神のなさることは、人の想像を超えています。(第1コリント2:9)
 
→さあ、あなたの番です。
 □神がエリコの城壁を私の手に渡しておられると信じる
□問題のまわりで6日間祈る
 □納得できなくても、神の方法で戦おう