ヨシュア記7:1~26 アコルの谷


 ヨシュア記7章を読むと、大阪弁で言いたたくなります。「アカン!」 

1、聖絶とは何か。

「聖絶のもののことで罪を犯し」(1節)と書かれてありました。

聖絶とは、何でしょう。その地に住む人々を殺害し、持ち物や家畜、偶像とその神殿、町を焼き払うことを意味します。旧約聖書のある時期にだけ、神がイスラエルの人々に命じた命令です。
申命記7:1~6によると、聖絶して、約束の地に住む住民を殺し、異教の神殿を破壊し、カナン人と婚姻関係を結ぶなと命じています。申命記20:16~18によると、聖絶の目的が、偶像の神をイスラエルに持ち込むことを防止する措置だと納得できます。レビ27:28によれば、聖絶されるべきものは神にささげられたもので、それを自分が奪い隠すことが罪であることが分かります。

聖絶とは、恐ろしい伝染病を水際で防ぐ方法に似ています。鳥インフルエンザに汚染された鳥が見つかると、その農家の健康に見える鳥も全部処分されます。
申命記12:31「自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために、火で焼くことさえしたのである」とあるように、当時のカナンの宗教は子供を犠牲にする残酷な宗教であり、神はその影響を取り去ろうとされたのです。

神は、今もあなたの心が天然痘やペストにならないよう、必死になって守っておられます。大声で警告してくださっているのです。麻薬、ドラッグには絶対手を出すな。魔術やあやしいスピリチュアリティーに関わるな。ギャンブルするな。姦淫するな。
神は何を止めようとしていますか。あなたは、何を神から警告されていますか。



2、本当の敗北理由

 ヨシュアたちはエリコで勝利し、アイという小さな町に向かいました。偵察隊は、3千人出せば勝てると報告しました。(2~3節)いざ戦ってみると、完全な敗北で、死者を出し、坂道を逃げ帰って来ました。(4~5節)ヨシュアは落胆して、泣き言のような祈りをしました。(7節)

なぜヨシュアたちは負けたのでしょう。心のゆるみですか。戦術の不備ですか。いいえ、もっと本質的な問題的があったのです。

しかしイスラエルの子らは、聖絶のもののことで罪を犯し、ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶のもののいくらかを取った。そこで、主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。(ヨシュア記7:1)

 1節が鍵です。歴史が語られる前に、問題点がすでに指摘されています。大勝利の陰に、次の敗北の芽が生えていたのです。

イスラエルは罪を犯した。現に、彼らは、わたしが彼らに命じたわたしの契約を破り、聖絶のものの中から取り、盗み、偽って、それを自分たちのものの中に入れさえした。だから、イスラエル人は敵の前に立つことができず、敵に背を見せたのだ。彼らが聖絶のものとなったからである。あなたがたのうちから、その聖絶のものを一掃してしまわないなら、わたしはもはやあなたがたとともにはいない。(11~12節)

聖絶すべきものをアカンが隠し持ったので、イスラエル全体が聖絶の危険に陥ったのです。伝染病を囲い込んだのと同じなのです。神は、聖絶のものを隠し持つ者を見つけ出し、処罰することが解決方法だといわれました。

立て。民をきよめよ。そして言え。あなたがたは、あすのために身をきよめなさい。イスラエルの神、主がこう仰せられるからだ。『イスラエルよ。あなたのうちに、聖絶のものがある。あなたがたがその聖絶のものを、あなたがたのうちから除き去るまで、敵の前に立つことはできない。(13節)

敗北したことが目に見える問題でしたが、本当の問題は、聖絶のものを隠しておいた事にありました。
もしかしたら。今あなたに起きている問題の原因はどこか別にあるのかもしれません。失敗のきっかけになった「あの人」「あの事」にばかり目を奪われず、もう少し深くを見つめましょう。神から分析する智恵をもらいましょう。きよめが必要な分野があるかもしれません。きよさを求めましょう。

神は、「立て。民をきよめよ。」(13節)と言われました。立ち上がりましょう。きよさを求めましょう。


3、失って得るもの

こうして彼らは、アカンの上に、大きな、石くれの山を積み上げた。今日もそのままである。そこで、主は燃える怒りをやめられた。そういうわけで、その所の名は、アコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。(26節)

わざわいをもたらすというヘブル語「アカル」を語源にして、その地はアコルの谷と呼ばれイスラエルの人々の記憶に残るようになりました。イスラエルの人々は、アカンのような事はすまいと心に誓ったはずです。

根本的な問題解決をしようとすると、かなりのダメージを受けます。でも、悪いことばかりではありません。初期の癌なら手術して摘出すれば健康にすごせる場合も多くあります。隠していた罪をはっきり告白し、処罰や社会的制裁を受けることで再出発できた人もいます。
失って得るものもあるのです。

べサニー・ハミルトンは小さい頃から優れたサーファーとして広く知られたハワイの女の子でした。2003年、13歳の時、ハワイのマウイ島でサメに襲われ左腕を失いました。
神がいるなら、なんでこんなひどい事がおきるんだと考える人がたくさんいますが、べサニーは違います。事故以来、左肩を見せながら、神は真実な方だとあかししています。
彼女は今22歳、最近、被災地を訪れて、サメに噛まれた後にイエスさまがどんなふうに力づけてくれたかを明るく積極的に語りました。話の後の質疑応答のとき、被災地の日本人が質問しました。もし神が一つ願いをかなえてくれるとしたら腕を戻してほしいと願いますか。べサニーは答えました。今まで腕を戻してほしいと祈ったことはありません。腕を失ったことによって、世界のあちこちに行き、イエスさまのことをあかしできるようになったのでむしろ感謝していますと語りました。

 きちんと対処するなら、失ったものはもっともっと豊かなものに代わって戻ってきます。

 「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(第1ヨハネ5:5)

 あなたの番です
 □神はあなたを悪から必死に守ろうとしています
 □本当の原因を見極める洞察力を主に求めましょう
 □失って得るものがあります