ヨハネ13:1~38 愛されて、愛す


   今日お話したいのは二つの事です。
主イエスは私を愛して下さった。
だから、私たちも愛し合う。

1、主イエスは私を愛して下さった

 弟子たちと過ごす時間は、あとわずか。主イエスは、そう自覚しておられました。

さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。(1節)

 主イエスは、十二弟子を教え、訓練し、叱責し、励まし、奇跡を行い、約三年の間、生活を共にされました。その期間の本質を問うならば、それは、愛、ということができます。
 主イエスは、愛したのです。弟子たちは、愛されたのです。

 井伊直弼は茶人でもありましたが、「独座観念」ということを言いました。茶席を終えた主人は、すぐに後片付けに入らず、一人で茶を点て、帰られた人々を静かに思い起こす、という意味で独座観念と言っています。

 あなたも、一人静かに座って、主イエスがあなたを愛している、という事実を心で思いめぐらしてください。親に愛された思い出を何枚かの写真のように思い描いて、親の愛を味わい、感謝してください。そうすることは、主イエスに愛されて来たことを理解する助けになります。

 あなたは、主イエスに愛されています。それを頭で理解してください。そして、心で分かってください。愛されていると分かるなら、主イエスを信じることが自然になります。あなたは、主イエスに愛されていますか。どんなふうに?

 最後の晩餐の席で、主イエスはその愛を惜しみなく注ぎ出しました。その表れが、弟子たちの足を洗うという行為でした。(5節)

 舗装されてない道を歩けば足はひどく汚れます。当時、足を洗うのは身分の低い下働きの仕事でした。この行為は、誰かに見せるためのスタンドプレーではありません。主イエスは、弟子たちの足を洗いたいと思われたのです。主イエスはこの翌日に十字架にかかりますが、その意味(8節)をあらかじめ弟子たちに教えたのだと理解することもできます。

「イエスは、彼らの足を洗い終わり」(12節)とあるように、ご自分を裏切って殺そうとしているユダの足も洗いました。これから3度主イエスを否むこと(38節)を承知の上で、ペテロの足も洗いました。これが、主イエスの愛です。

 沖縄で生まれた一人の女の子は、顔立ちがアメリカ人だったので幼い頃からいじめられ、両親と信じていた人達が本当の親でないと知り、愛されているのだろうか、自分は誰なのだろうかと心が折れてしまいました。学生時代は非行で荒れすさみ、どん底になった時に主イエスと出会い、人生が変わりました。主イエスに愛されていたと分かったのです。その後、主をたたえる賛美をする歌手になりました。これは、上原令子さんというゴスペル歌手のあかしです。
 
 愛しているということは、普通、以下のような行為で分かります。
 言葉で「愛している」と言う。
 態度で、抱きしめる。
 耳を傾け、あなたの声を聞き、共感してくれる。
 困った時は、具体的に助ける。
 プライオリティーのトップとして、あなたのそばにいる。
 裏切ろうが、罪を犯そうが、汚れてしまおうが、決して見放さない。
 あなたのためなら、どんな犠牲もいとわず、命を捨てることもある。

主イエスは、世界中にあなた一人しかいなくても、十字架で命を捨ててくださる方です。
主イエスは、ずっとあなたを愛しています。人が愛してくれなくても、主イエスはあなたをまごころから愛してくれます。

 「私の父、私の母が、私を見捨てるときは、
  主が私を取り上げてくださる。」(詩篇27:10)



2、私たちも愛し合おう

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(34節)

 最後の晩餐の席で、弟子たちに命じた最も大事な命令がこれです。愛し合いなさい。互いに愛し合いなさい。主イエスが、愛して下さったように、愛しなさいと言われました。

 「あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。」(14節)という言葉の本質は、互いに愛し合う事と同じ意味です。「それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。」(17節)という祝福の約束まで付いています。さらに、互いに愛し合うなら、「わたしの弟子であることを、すべての人が認める」(35節)と主イエスはコメントされました。

 主イエスに、たっぷりと愛されたなら、自然に誰かを愛したくなるのです。さあ、あなたの番です。誰を愛したいですか。誰を愛すことが苦手ですか。愛すというなら、誰を、どう具体的に愛しますか。どうやって、外からは見えないあなたの愛を見える形に表しますか。

 「イエスが愛したように」(長沢崇史作詞作曲)の歌詞は、今日のみことばをそのまま賛美にしています。♪イエスが愛したように、私たちも愛し合う。その愛の中で、枝となる時、多くの実を結ぶ/(中略)共に支え合い、共に助け合う、イエスの愛で、共に祈り合い、共に笑い合う、イエスの愛の中。♪

 飛行機から降りる客の一人がCAの一人に、あなたの笑顔はとびっきりにすばらしかった、とほめました。それを見ていた先輩スチュワーデスも、私も同感だと言ってくれました。言われたCAは、早朝に父が危篤という知らせを受け、このフライトで東京に戻ったら駆けつけようと予定したいたと話しました。笑顔の裏には、深い意味があったのです。

 あなたが、今日、あなたの身近な人に微笑むことは、そんなに難しくはないはずです。笑顔で愛を伝えることもできます。言葉で伝えることも、行動で伝えることもできます。

主イエスに愛されていることを実感し、それを感謝し、身近な誰かを具体的に愛しましょう。

わたしがあなたがたを愛したように、
そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(34節)


→あなたの番です
□主イエスに愛されています
□互いに愛し合いましょう
□誰を、どんなふうに、愛しますか