ヨハネ14:1~31 心配いらない



 ヨハネ14章全体を読んで以下の質問に答えてください。
 When, Who, Where, What? (いつ、だれが、どこで、何をした?)
十字架にかかる前の晩、主イエスが、最後の晩餐の部屋で、弟子たちに教えられた。
それに加えて、How, Why? (どのように、なぜ?)という質問にも答えて下さい。
答えは、質疑応形式で、心配する必要がないことを伝えたいから。

 ヨハネ13章をひとことで言えば、Love。
ヨハネ14章は、Don’t worry! 14章を読むとあなたの心配が減るはずです。


1、心配しなくていい理由

弟子たちは、ただならぬ主イエスの雰囲気を感じ不安になっていました。主イエスはどこか遠くに行ってしまい自分たちは取り残されるのでは、と漠然と感じていたようです。主イエスはそんな弟子たちに、心配しなくてよい理由と対策を8種類語られました。

①主イエスを信頼すれば、心配は飛び去る(1節)
②主イエスは私たちの家を備えに行かれるので、死後の心配はない(2~3節)
③主イエスが父のもとに行く道だから、迷うことはない(5~6節)
④主イエスを見たなら父を見ているので、安心(8~10節)
⑤困った時に主イエスが助けて下さるので、大丈夫(12~14節)
⑥聖霊がいてくれるので、心細くない(16~19節)
⑦聖霊がみことばを教えてくれるので、あわてる必要はない(26節)
⑧主イエスの平安は特別なので、不安にならなくていい(27節)

 ところで、裏側に英文字が刻まれているビーチサンダルがハワイで売られているようです。砂浜を歩くと、左足はDon’t worry、右足はBe Happyと足跡が残るのです。

 主イエスは心配するなと言っておられます。あなたの今の心配事は何ですか。5年後に日記を読み返すと、そんな事を心配していたのかと驚くはずです。

①主イエスを信頼すれば、心配は飛び去る(1節)
 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(1節)

 多くの場合、心を騒がすことは無意味で有害です。私たちは、心のブレーキを神から与えられているので、ストップをかけましょう。むしろ、主イエスを信頼しましょう。

②主イエスは私たちの家を備えに行かれるので、死後の心配はない(2~3節)
 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。(2節)
 
 主イエスの言葉で、私たちは死後にどこに行くのかはっきり分かりました。主イエスは、私たちが永遠に住む場所を備えて下さるのです。だから、安心して死ねます。

③主イエスが父のもとに行く道だから、迷うことはない(5~6節)
トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(5~6節)

 つまり、父なる神に至る道は、善行、努力、犠牲、精進、決意ではないのです。主イエスを信じ、主イエスにつながることが父なる神のもとに行く道なのです。
④主イエスを見たなら父を見ているので、安心(8~10節)
ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。(8~9節)

 父なる神をひとめ見れば、不安はなくなると誰でも思います。弟子のピリポも同じです。主イエスは、もう見ているよ、と言いました。主イエスこそ、神ご自身なのです。
⑤困った時に主イエスが助けて下さるので、大丈夫(12~14節)
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。(13、14節)

 主イエスの御名によって我々が祈るのは、この箇所が根拠です。主イエスが、求めにこたえると約束しています。だから、願いましょう。
⑥聖霊がいてくれるので、心細くない(16~19節)
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。(16~18節)

 主イエスがいなくなった後、主イエスと同じくらい頼りになる聖霊を遣わすと主イエスは言われました。主イエスは助け主ですが、聖霊はもう一人の助け主なのです。助けてくれる神が、あなたの心に住んでくださっています。
⑦聖霊がみことばを教えてくれるので、あわてる必要はない(26節)
 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(26節)

 主イエスから直接教えを聞けない時がきても心配いりません。聖霊が、主イエスの言葉を思い出させてくれます。4つの福音書は、聖霊がマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネを導かれたという証拠です。

⑧主イエスの平安は特別なので、不安にならなくていい(27節)
 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(27節)

 人が作り出す平和は、とりあえずの平静、打算に基づく平和、不安定ですぐに争いと混乱に変わるものです。主イエスが与えてくれる平安は、柔軟でありながら強く、何が襲ってこようとも揺るぎません。神である主イエスが私たちの碇だからです。孤立でなく、つながっているゆえの安定です。



主イエスは、このようにして転ばぬ先の杖をたくさん用意して下さいました。
だから、Don’t worry!なのです。それでも不安ですか。
心配するために、努力しているのですか。
主イエスの励ましの言葉8つを受け入れて、希望ある歩み方をしませんか。

最後になりますが、私は、今日の箇所で以下の言葉が心に残りました。
「わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(3節)
「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」(19節)

私たちが最後に行く場所は、主イエスのおられる所なので安心です。今、私たちに生きる力が与えられているのは、主イエスの命をもらっているからだと、納得しました。

あなたも、信仰のビーチサンダルを履いて歩き出しましょう。左足を出せばDon’t worry、右足を出せばTrust in Jesus。

→あなたの番です
 □不安になったら、心を騒がすことを止める
 □主イエスに信頼し、丸ごとお任せする
 □助けが来ると信じて、主イエスの名によって願う

 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(1節)