ヨハネ15:1~27  実を結ぶ人生



 人生の最期の日、実り豊かな人生だったと振り返りたいですね。今日は、実を結ぶ人生について考えましょう。

1、私たちは選ばれていた

私たちは、主体的に考え、判断し、主イエスを救い主として選び、信じたと思っています。でも、本当は、主イエスに選ばれていたのです。

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。(ヨハネ15:16)

 十二弟子の一人、マタイ(=レビ)も主イエスに選ばれました。(マルコ2:14)ヨハネもペテロも、主イエスの目に触れ、主イエスが「わたしについて来なさい」と言われ、ついて行きました。(マタイ4:18~19)つまり、主イエスに選ばれたのです。私たちも同様です。

 主イエスは、弟子たちや私たちを選んだ目的を持っておられました。それが、実を結ぶことです。

 あなたの人生は、実を結ぶ人生になっていますか。君は愛されるため生まれた、という有名な賛美がありますが、君は実を結ぶため生まれた、と歌ってみませんか。


2、実を結ぶとは何か

 ところで、実を結ぶとは何でしょう。
別な言葉に言い換えてみましょう。あなたなりの実があるはずです。少し考えてください。
考えることなしに、次には進まないで下さい。

実を結ぶとは何か、主イエスは15章で明確にその意味を語っておられません。そこに、何かの意図があるように私には思えます。

人格的な豊かさを増し加える。いわゆる、ガラテヤ書の御霊の実を連想する人が多いですが、主イエスが最初から御霊の実という品性の熟成を意図されていたのなら、良い人になりなさいと言ってもよかったのです。実を結ぶことが伝道なら、もっとはっきり語られても良かったと思います。けれども、実を結ぶという抽象的な言い方で方向性を示されました。

イザヤ5章で、イスラエルを象徴するものとしてぶどうの木が語られています。イスラエルは、実を結ぶことに失敗しました。主イエスを中心とした新しいイスラエルは、神の望まれる実を結ぶように期待されています。主イエスを信じる者たちによって、神の国が実現されることを主イエスは想定されていたのでしょう。

実を結ぶとは何でしょう。ヨハネ15章にはその意味を推測できるヒントがあります。

1)自分の力では実を結べない。
(5節)「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです」

2)主イエスの弟子になること。
(8節)「わたしの弟子になることによって」

3)実を結ぶとは、最終的に神の栄光をあらわす
(8節)「わたしの父は栄光をお受けになるのです」

4)主イエスの喜びになること。
(11節)「わたしの喜びがあなたがたのうちにあり」

5)自分の安全地帯を出る行為、チャレンジが伴う。
(16節)「あなたがたは行って実を結び」

6)一時的な実、個人的な実ではない。
(16節)「あなたがたの実が残るため」

欲望追求人生と決別し、自分に閉じこもる生き方を止め、福音を伝え、温かい品性を持ち、正義を実現し、誠実に働き、困った人を助け、神を礼拝し、社会に影響を残し、家庭に潤いを与え、小さな主イエスがそこにいるような人生を送ること。それらが、実を結ぶ人生と言っても良いでしょう。神の国の大使として生きる様々な生き方すべてを包含していると思うのです。



3、実を結ぶための秘訣 

 実を結ぶための秘訣は、主イエスにとどまることです。

わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。(1~4節)

 「わたしにとどまりなさい」(4節)と何度も語られているので、これはキーワードに間違いありません。主イエスにとどまるとは、主イエスを信じ、主イエスと語り合い、主イエスと交わりを深め、主イエスの力を体験し、主イエスの導きの中で進み、主イエスの慰めと愛を受け続けることでしょう。
 
 主イエスにとどまるとは何か。主イエスの説明を見てみましょう。

 1)主イエスのみことばを信頼する。
(7節)「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら」

2)主イエスの愛の中にとどまる。
(10節)もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。

 多くの実を結ぶために、父なる神による刈り込みが不可欠です。2節wよく読んでください。実を結ぶ人生を送っている人が、もっと多くの実を結ぶようにと受ける痛みや試練が、刈り込みなのです。

 (2節)「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」

 誰の言葉か忘れましたが、私は、次のフレーズが大好きです。
船は港にいれば安全だ、だが、船はそのために作られたのではない。

「もっと多く実を結ぶために」

実を結ぶ人生を送りましょう。そのために、主イエスはあなたを選ばれました。

→あなたの番です
□あなたは実を結ぶ人生を送っていますか
□あなたにとって、何が、実を結ぶことですか。
□主イエスにとどまりながら、何を始めたいですか