ヨハネ20:1~31 マリヤとトマス



  悩みや葛藤は人それぞれ違いますが、主イエスはどのように接して下さるのでしょう。復活した主イエスがマリヤとトマスにどう関わって下さったかを見れば、それが分かります。

1、泣いていたマリヤ

 マグタラのマリヤは感情的に大揺れでした。
主イエスが死なれた。大きな苦悩から救い出してくださった主イエスが死なれた。目の前の十字架でむごたらしく血を流し苦しむ姿を目の当たりにした。マリヤの精神的ダメージは、十二弟子よりひどかったでしょう。
埋葬の場所をはっきり見届けたマリヤ(マルコ15:47)は、アリマタヤのヨセフたちの埋葬作業では満足できず、自分の手で丁重に香料と香油を塗ろうと(マルコ16:1)日曜の朝早くに墓に出かけたのです。ところが、遺体が無いのです。

「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」(2節)

マリヤの困惑は、主イエスの遺体がなくなった事です。復活するなど考えの外にあったので、想像すらできません。ヨハネとペテロは、マリヤの報告を聞いて駆けつけ、空の墓を確認し(3~8節)、マリヤの言ったことは信じましたが復活は想定外でした。
マリヤは、一人残され泣いていました。遺体が盗まれた事でひどく心を痛めて泣きました。

しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。(11節)

天使が現れ、「なぜ泣いているのですか」(13節)と言いました。主イエスも「なぜ泣いているのですか」(15節)と言われました。でもマリヤは、復活された主イエスと会話しても、園の管理人としか思えません。(15節)彼女は遺体のあった場所に目を向けたので、主イエスは彼女の背後に追いやられました。
悲しみばかりを見つめ続けるマリヤ。主イエスに気づかないマリヤ。マリヤの姿は、私やあなたの姿です。

イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。(16節)

主イエスの声を聞いていたのですが、さきほどは何も気づきませんでした。でも、主イエスが名前を呼んでくれたとき、体全体で反応しました。懐かしい主イエスの声。1節と11節のマリヤはギリシア語表記で、16節のマリヤはアラム語の音をそのまま残した「マリヤ」つまり、主イエスが発音された音そのままが書いてあります。マリヤの「ラボニ」も、その時の音そのままの表記です。

「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。」(イザヤ43:1)

主イエスは、今日もあなたの名を呼んでくれます。想像して下さい。世界に70億人の人がいたとしても、主イエスはあなたの名前を呼んでくれるのです。主イエスに、実際に名前を呼ばれた瞬間をイメージして下さい。あなたの弱さ、あなたの過去、あなたのすべてを受け入れ愛してくれる方が、あなたに目を留めて呼んでくれる喜びでいっぱいになるはずです。

あなたも、失ったものばかりに目を向けて泣くだけではだめです。あなたの名を呼ぶ主イエスに、きちんと応答しましょう。はい、ここにいますと。



2、怒ってしまったトマス

 マリヤは泣いていましたが、トマスは憤ってしまいました。

十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。(24~25節)

 トマスはかつて、「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか」(ヨハネ11:16)と発言したほど、情熱家で激情タイプで一途な男でした。彼は死ぬ場所を探していたのかもしれません。そのせいで、十二弟子と同じ部屋にいなくて、復活の主に会えなかったのでしょう。

トマスはいいやつだったのですが、10人の弟子が笑顔満面で主イエスの復活を語ると、無償に怒りが込み上げ、逆切れ状態でプチンと切れてしまいました。「決して信じません」と叫び、つっぱったのです。意地を張ったのです。引っ込みがつかないのです。後悔とみじめさがひたひたと追って来たことでしょう。

 主イエスは、1週間後(26節)、つまり、トマスが冷静になった頃に再び姿を現し、トマスにだけに語られました。

それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(27~29節)

 主イエスは、トマスの暴言をなぞるように言われました。指をここにつけなさい。主イエスは、私たちの失言や失敗に寄り添ってくれる方です。トマスという人と、トマスのこだわりを理解してくれて、スペシャルメニューで応対してくれるのです。今も、トマスのようなあなたに、同じようにしてくれます。

 悲しみ落胆したマリヤには、名前を呼んでくれました。
 失言してみじめになったトマスには、寄り添ってくれました。
 それが、私たちの主イエスです。
 
 マリヤとトマスがこの後、どんな信仰を持ち、どんな生活をしたのか、考えるだけで楽しいと思いませんか。泣いてる人がいて、その理由を知っているのに「なぜ泣いているの」と語りかけるマリヤの姿も想像できます。信じ切れない人がいれば、見ないで信じるんだと諭すトマスの姿が想像できますね。

 「私の主。私の神。」「見ずに信じる者は幸いです。」この言葉を心に留めましょう。

→あなたの番です
 □あなたの悩みと葛藤を知っていて下さる方が、主イエスです
 □あなたの涙と憤りを分かって下さるのが、主イエスです
 □今週、誰かの涙や疑問に付き合いませんか