第1テサロニケ5:1~28 喜び、祈り、感謝


 いつも喜べ、絶えず祈れ、すべての事について感謝せよ。これは、この手紙で一番有名な言葉です。迫害で苦しむテサロニケの人々に、パウロはなぜ、そう命じたのでしょう。

1、目を覚ます

 聖書によれば、主イエスが再び来られることは確実。でも、いつかは誰も知らない。5章の前半部分は、4章後半の流れを引き継いで再臨への備えに言及しています。
 パウロのオリジナルというより、「だから目を覚ましていなさい。あなたがたはその日、その時を知らないからです。」(マタイ25:13)という主イエスの言葉の言い直しと理解できる。

 「あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。」(5~6節)

 「昼の子」、「光の子」の「子」とは、英語ではchildではなく NIVではsonと訳されている。だから、光の後継者、光に所属する者と理解できます。あなたは、暗闇にいますか、光にいますか。私たちは、世の光であるキリストに属しています。
 目をさました態度こそ、再臨を待つ根本姿勢です。信仰と愛を胸当てとし、救いの望をかぶと(8節)をかぶり、主の兵士として常に備えよとパウロは教えました。

 再臨にはいくつかの意義がありますが、命の恩人に再開し、感謝を述べる日と言えます。
 私が新聞記者をしていた時、脊髄ドナーとなってくれた人に感謝の言葉を伝えたいので記事にしてほしいという男性が社を訪ねて来たことがありました。医療上は匿名の約束ですが、その人を見つけて、「おかげで、命を長らえることができました。」と伝えたいというのです。

 私たちも再臨の時に、主イエスに同じことを言うのです。命の恩人に感謝の言葉を言うのです。10節には、主イエスが私のために死なれたとはっきりと書いてあります。
 「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。」(10節)


2、互いに励ます

 主イエスの再臨を待つ間、互いに励まし合う(11節)ようにとパウロは語りましたが、その具体的内容が12~22節に記されています。今日のあなたに必要な助言はどれですか。

 みことばを教える人を尊敬する。(12節)
 弱い人を配慮し助ける。(14節)
 復讐しない。(15節)
 喜び、祈り、感謝をこころがける。(16~18節)
 御霊の助け、神の導きを大切にする。(19~20節)
 物事の本質を見極め、悪を避ける。(21~22節)

 私たちは健康に良いことには敏感で、運動という予防手段も、定期健診によるチェックも、処方薬やサプリメントを飲むことも、進んでします。でも、心や魂の健康のために何もしていません。  12~22節を普段から心掛けましょう。それが、魂を悪から守り、魂を強め、魂の健康を豊かにするのです。以下のパウロの祈りを見て下さい。

「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。」(23~24節)

テサロニケの人々は日常的に迫害を受けていました。悪を受けたので悪で仕返ししたかったのです。でも、パウロは、悪で悪に報いるな、復讐するなと教えたのです。

 最後に触れたいのが、16~18節です。辛い毎日だったテサロニケの人にこそこの命令が必要だったのです。こんなに辛いから喜ぶ必要があり、感謝する必要があったのです。これこそが、神のみこころだと確信していたのです。
 
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(16~18節)

ひまわりのように、いつも喜びに顔を向けたい。自分の弱さに謙虚で、神に信頼して祈る者になりたい。環境に左右されずに感謝を見つける人になりたい。
新共同訳では、「どんなときにも感謝しなさい」、NIVではgive thanks in all circumstancesとなっています。あらゆる時に、あらゆる環境で、感謝は見つかるのです。

ロジャー・クロフォードは、右手に1本、左手に2本の指しかなく、片足は義足の人です。でも、テニス指導員としてプロ認定されて活躍し、その後は、講演活動などで多くの人を励ましています。常に微笑むだけで人生は変わる、という彼の言葉には説得力があります。


 1909年2月28日、北海道の塩狩峠で鉄道事故が起きました。連結器が壊れて列車最後部の客車が坂を逆走、クリスチャンで鉄道員だった長野政雄さん(29歳)が自分の体を車体の下敷きにして乗客の命を救いました。乗客は、亡くなった長野さんを見て号泣したといいます。車内には、長野さんがいつも携帯していた聖書と妹さんへのお土産の饅頭が残されました。長野さんの生き方は、主イエスの生き方を現代に伝えてくれる実例です。 
 「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。」(10節)


ネガティブな世界に影響され、誰かへの復讐のために生きるとしたら、それは空しい生き方です。
あなたの番です。今週、喜びませんか。感謝を見つけませんか。それが、あなたの魂を健康にします。また、それは、絶えず祈ることにより可能になり、主イエスにあって実現します。それが神のみこころだからです。
再び主イエスにお会いし、命を頂いた感謝が言える日が来ることを忘れないでください。

 →あなたの番です
 □「昼の子ども」として生きる。
 □復讐せず、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事を感謝する。