第一サムエル1:1~28 ハンナの祈り

 「考える時間を持ちなさい。
  祈る時間を持ちなさい。
  笑う時間を持ちなさい。」
 こう言ったのはマザーテレサでした。

 私たちも、自分について考え直し、祈りに取り組みましょう。

1、いらだつハンナ

エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。(第一サムエル1:2)

 ハンナという名は、日本語なら、「恵」とか「好子」の意味になる。夫エルカナと妻ハンナの間には子供がいなかった。子供が生まれずにエルカナが死んでしまうと、当時の法律によれば土地は第三者の手に渡る。やむなくエルカナはペニンナを第二の妻として迎え、息子と娘が複数与えられた。(4節)

 エルカナは毎年、神の箱のあるシロという町に行き、主を礼拝し、いけにえをささげ、特別のご馳走を食べてその日を祝った。二番目の妻ペニンナは年中行事のように毎回ハンナをいじめた。ハンナは判で押したように毎年ペニンナの罠にはまり、食事すらできなかった。

彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。(6~7節)

 ところで、結婚カウンセリングの専門家は不幸な結婚かどうかは、夫婦の会話をしばらく聞いているだけで分かるといいます。会話の出だしが「あなた」から始まるなら、相手を否定したり、馬鹿にしたり、責める言葉が続きます。だから「あなたはいつも」は宣戦布告の印です。自分が交通事故を起こした時に、原因は朝の妻の言葉だと信じて疑わない夫がこの世には存在します。「私」という言葉から始めるなら関係は良くなります。「私が悪かった」「私はあなたを愛している」「私がやります」

 自分が不幸なのは、身近なあの人のせいだ、環境のせいだと考え続けるなら、不幸を自分で引き寄せているようなものです。ハンナも同様です。ハンナは毎年、ペニンナの罠にはまり、自分の優位に気づきませんでした。

夫のエルカナはハンナだけを愛していたのです。「彼がハンナを愛していたからである。」(5節)と書いてある通りです。ペニンナが何人子供を産んでも、夫の愛は依然としてハンナに注がれていたのを知っていたので、ペニンナはハンナを嫉妬していじめたのです。(6節)
 
 あなたは、ハンナに似ていますか。
 あなたは、愛されています。
 環境があなたを不幸にしているのではありません。また、身近な誰かがあなたの不幸の原因ではありません。あなたの考え方が不幸を引き寄せているのです。感謝を見出し、主の恵みに気づくなら、環境に左右されない平安と喜びがやってきます。



2、心を注ぎだす祈り

ハンナは毎年、祈ったはずです。「赤ちゃんを与えて下さい。ペニンナを見返したいのです。復讐したいのです」けれでも、祈りはかなえられませんでした。

シロでの食事が終わって、ハンナは立ち上がった。そのとき、祭司エリは、主の宮の柱のそばの席にすわっていた。ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」(9~11節)

この年のハンナの祈りは、違っていました。堂々巡りからついに脱したのです。祈りの目的は復讐でも、はらいせでもありません。ハンナの目はペニンナから離れ、主ご自身に向きました。ハンナの祈りは、「主に」(10、20、26節)、「主の前に」(12、15節)ささげられた祈りでした。与えて下さい、そうすれば、あなたにすべて与えます。将来、主と人々のお役に立つ赤ちゃんを与えて下さいという祈りになりました。

ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように。」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。(15~18節)

最初は、いらだちの言葉と愚痴のような祈りだったのでしょう。それが、心を注ぎだす祈りに変化しました。最後は、生まれる息子を主にささげると約束して、心が晴れ晴れしました。顔がみごとに変わりました。「彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。」(18節)

主はハンナの祈りに答えて、息子を与えて下さいました。(20節)サムエル(その名は神)という名を付け、ハンナは手塩にかけて育てました。離乳食が食べられるようになると、祭司エリに引き渡し、祭司として育ててもらうことにしました。(24~28節)

ラインホルト・ニーバーの以下の祈りをご存じかもしれません。
 God, grant me the serenity to accept the things I cannot change,
 The courage to change the things I can,
 And wisdom to know the difference.
 この祈りは、静けさと勇気と知恵の3つを求める祈りです。変えられないものを受け入れる静寂さ、変えることのできることを変える勇気、その二つを見極める知恵を求める祈りです。
 ハンナも心を注ぎだして祈ったので不要なものがそぎ落とされ、動機が純化されて赤ちゃんを胸に抱くことができました。そこには、優越感も傲慢さもありません。主にささげ尽くした爽やかさと感謝が残りました。

あなたも、今、心を注ぎだして祈りましょう。

→あなたの番です
□環境ではない、自分を点検しよう
□復讐ではない、心を注ぎだす祈りをしよう