ルカ24:36~53 イースターと魚


 2002年の全国高校野球の地方大会で、9回裏ツーアウトで14対5で負けていたチームがありました。誰もがあきらめる場面ですが、それから10点を入れて逆転勝ちしたというのです。
 今日はイースター。私たちの人生を逆転に導く主イエスの復活に目を留めましょう。

1、真ん中に立つ主イエス

これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真中に立たれた。(ルカ24:36)

 「これらのことを話している間に」とは、弟子たちが5種類の話題を何度も繰り返し語り合っていたのだろうと私は想像します。

悲嘆:大好きな主イエスが死んでしまったので、悲しくてしょうがない。
自責:主イエスを裏切り、見捨て、自分たちだけが助かってしまった。
失望:イスラエルをローマ帝国から解放してくれると思っていた。
不安:自分達も主イエスのように殺される。どうやって生きていこうか。
不信:主イエスの復活の噂を耳にしたが、ありえない。信じられない。

 あなたは、これら5つのうち、どれを今、抱えていますか。生きている限り、悲しみ、自責の念、絶望、明日への不安、信じられない弱さは避けられません。それが生きているということです。
 主イエスは、その問題を抱えた私たちの真ん中に立って下さる方です。イースターは9回裏ツーアウトのあなたに大逆転を与える出来事なのです。すべてがダメでも、主イエスは大丈夫と言うお方です。

「イエスご自身が彼らの真中に立たれた」(36節)ここに、イースターの希望があるのです。


2、魚を食べる

 私たち日本人は、主イエスの復活の話を聞くと「ありえない。信じられない」と知性派になりますが、幽霊はいるかという質問になると「いると思う。きっといるよ」と真顔で言います。

 実は、弟子たちも主イエスを見て驚き、恐れ、幽霊のようにしか思えませんでした。(37~39節)この場面は、主イエスのユーモア、ゆとりを感じさせます。

それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。(41~43節)

 主イエスは、本当によみがえられたのです。幻でも幽霊でもありません。部屋の中に突然現れることができる体で、かつ、魚を食べることのできる体でした。
復活の主イエスの目撃者は第1コリント15:6によると500人を越えています。主イエスは、イースターの日曜だけでなく、その後40日間弟子たちに現れたと使徒1:3に記録されています。

パウロは、復活こそがキリスト教の根幹であると次のように言いました。「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」(第1コリント15:17)
主イエスは弟子たちによみがえると約束したので、もし主イエスの復活がなかったなら、主イエスは嘘つきになります。また、弟子たちも嘘つきです。キリスト教も聖書も無意味です。罪のゆるしも、救いもありません。

フランスの数学者ブレーズ・パスカル(1623-)は主イエスを信じたクリスチャンです。神がいる、神がいない、と二つの場合を想定した時、神がいると信じて生きるほうが益が多いと確率的な視点から神を信じることを勧めました。
パスカルの死後、彼の衣服の襟に縫いこまれていたメモが見つかり、「パスカルの覚書」として知られていますが、パスカルが主イエスを信じた時の喜びが伝わってきます。

あなたは、主イエスの復活を信じますか、信じませんか。


3、聖書を悟らせる

さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。(44~46節)

弟子たちは、復活の姿を目撃したから、燃える証し人になったのでしょうか。違います。それなら、復活の姿を現すたびに主イエスは魚を食べればよかったのです。
主イエスは、復活の体を示してから、聖書を教えました。これなくして確かな信仰は維持できないのです。主の証人となって世界に出て行くために、十字架と復活が神の計画であり、聖書があらかじめそれを預言していた事を理解する必要があったのです。

たとえば、詩篇16篇から救い主の復活、詩篇22篇から十字架の苦悩、イザヤ53章から罪の身代わりが預言されていたことが分かります。
そして、主イエスは、私たちが聖書の真理を悟ることができるように、私たちの心を開いて下さるお方でもあるのです。

次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。(46~48節)

九州で生まれたある男性は、20歳代前半でカリフォルニアに出かけ、陶器を売って大もうけしようと試みました。英語も話せない彼が、うまく商売ができるわけはなく、借金をかかえ、希望を失いました。そんな時、アメリカ製のキャンディーを食べ、「これだ!」と直感、日本で製造販売しようと思い立ったのでした。
生活のため、ある家でハウスボーイをしました。その主人はM.C.ハリス牧師でした。キリスト教が大嫌いな彼でしたが二人の優しさに触れ、2年後にイエスを救い主と信じて洗礼を受けました。紆余曲折あった後、洋菓子製造方法を学び、日本で洋菓子屋を開店。移動販売の車の屋根に、キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られたと書いて、商売と同時に、主イエスの福音を伝えました。彼が森永太一郎です。

主イエスがよみがえったと目で見るだけでなく、聖書が予告していたお方であるとの理解はとても大切なのです。

あなたの人生に大逆転を起こすお方、それが復活の主イエスです。あなたの心の真ん中に立ち、あなたを今日も励ましておられます。

→あなたの番です
 □悩みと問題の真っ只中に、復活の主イエスは立たれます。
 □主イエスは、本当によみがえりました。
 □聖書が予告した救い主がイエス・キリストです。