第1コリント12:1~31 賜物を生かす


 第1コリント12章のテーマは賜物です。賜物とは、ある種の能力と言えば分かりやすいと思います。たとえば、洞察力、歌、リーダーシップ、もてなしなど、様々な能力を指します。
 まず、二つの大切な質問に答えて下さい。
 あなたの賜物は何ですか。
 あなたは、その賜物を使っていますか。

1、あなたの賜物は何か

 12章の内容を簡単に説明します。コリントの教会には、すぐれた賜物を持つ人が多くいたようです。そうした優秀な人は平均的な人達を下に見るという風潮(21節)がありました。そこでパウロは、賜物の源は神にあるので(11節)誇ることはできず、賜物が多様であっても一つの体であり(12節)、賜物は互いの益となるために(7節)、また、互いを支えるために(26節)用いるべきだと語りました。

 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。(11節)

 11節によると、御霊が、つまり神が人に賜物を与えるのです。8節から10節を見ると、「与えられた」という言葉が繰り返され、強調されているのがわかります。
 さらに、御霊は、もれなく、すべての人に賜物を与えることが分かります。私には何の賜物もないと言う人がいますが、神から賜物をもらわない人は一人もいません。あなたも、私も、神から何かの賜物をもらっています。

 ある日、宅配便が届いたとしましょう。差出人は神です。あなたに送られてきたのは小さな錠剤です。それを飲んでみると、とたんに英語がペラペラになりました。そんなあなたは英語の能力を誇れません。だって神からもらった能力なのですから。違う錠剤を飲むと、とたんに歌が抜群にうまくなりました。
 私が言いたいポイントが分かりますね。賜物は、神があなたに与えたもの、神からのもらいものなのです。たとえ、あなたが人の何倍も努力したり練習したとしても、英語も歌も神からもらった賜物なのです。だから、誇らずに、隠さずにだから、用いるべきなのです。

 次の箇所に賜物のリストがあります。あなたの賜物が見つかりましたか。

 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。(8~10節)
 そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。(28節)

 8~10節と28節によると、14の賜物があります。でも、これはすべての賜物を網羅していません。なぜなら、ローマ12:7~8、エペソ4:11、第1ペテロ4:11にも別の賜物のリストがあり、それらを加えると全部で22くらいの賜物になります。ということは、ここに書かれていない賜物もきっとあるはずです。

 第1の質問を繰り返します。あなたの賜物は何ですか。
 もし分からないなら、身近な人に聞いて下さい。きっと的確に教えてくれます。


2、賜物を使っているか

 しかし、みなの益となるために、
 おのおのに御霊の現われが与えられているのです。(7節)

 賜物には目的があります。賜物は、他の人の益となるために与えられたものです。ですから、賜物は発見すべきもの、使うもの、そして、磨くものです。

 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。(25~27節)

 私たちは、キリストを頭とした一つのからだです。だから、体に属する誰かが苦しむ時は、あなたの賜物を使いましょう。慰めの賜物、共にいる賜物、助ける賜物もあるはずです。

 私たちの教会でも、賛美の賜物のある人が賛美をリードしてくれます。また、通訳の賜物のある人が日本語を英語にしてくれます。サンデースクールで子供に教えている人もいます。教会の役員となって指導の賜物を発揮してくれる人もいます。そのような目に見える賜物以外にも、たくさんの賜物があります。
 生け花の心得のある人は、中心となる花とそれをサポートする花があることを知っていますね。賜物も、目立つ賜物もあるし、その働きをサポートする賜物もあります。そこに上下はありません。
 
 日本人クリスチャンは過度に遠慮したり、行き過ぎた謙遜になる傾向があります。私は、そういう日本人クリスチャンを<海老クリスチャン>と呼んでいます。「いいえ、私は何もできません」「私の賜物など、お恥ずかしい」「まだ、そのレベルではありません」「あの方を差し置いて、私がしゃしゃり出るなど無理です」エビが敵に出会って、急速に後ずさりする姿とそっくりだからです。

 賜物は神から送られたプレゼントです。だから、隠さない、恥じない、恐れない。みなの益になるよう用いましょう。賜物はあなたの物ではありません、あなたが属するキリストの体が必要としているのです。

 1859年、ジェームスは44歳の時、奥さんのクララと共に横浜にやってきました。ニューヨークでの医師としての名声や富をふり捨てて、ちょんまげと刀の日本人に福音を伝えるため海を越えました。お寺に住み、診療所を開き、多くの日本人の病気を治しました。それは、いやしの賜物と考えても良いでしょう。また、日本語―英語の辞書を作り、ローマ字を考案し、聖書を日本語に翻訳しました。それは知恵の賜物です。奥さんのクララは英語を教え、それがやがて明治学院大学やフェリス女子大になりました。教える賜物です。キリスト教禁止令が解除になるとすぐに教会堂を建設しました。与える賜物、宣教の賜物です。
 ジェームスとは、ジェームス・カーティス・ヘップバーン(1815-1911)。当時の日本人は、彼の名をヘボンと発音しました。ヘボンは70歳過ぎまで日本で奉仕し、日本政府は勲章を授与しました。与えられた賜物を主と人々のために用いた人生でした。

 →あなたの番です
  □あなたの賜物は何ですか。
  □あなたの賜物を使いましょう。