第1コリント16:1~24 男なら、愛を


 この手紙の最後は、連絡事項と挨拶です。このわずかな文面からもパウロの信仰と愛がうかがえます。

1、連絡事項

 まず、具体的な連絡事項が4つ書かれています。
 1)エルサレム教会のために献金を集めなさい(1~4節)
 2)パウロのコリント訪問予告(5~9節)
 3)この手紙を持参するテモテを丁重に迎えるように(10~11節)
 4)伝道者アポロはコリント訪問の意志がない(12節)

 さて、聖徒たちのための献金については、ガラテヤの諸教会に命じたように、あなたがたにもこう命じます。私がそちらに行ってから献金を集めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい。私がそちらに行ったとき、あなたがたの承認を得た人々に手紙を持たせて派遣し、あなたがたの献金をエルサレムに届けさせましょう。(1~3節)

 経済的窮乏にあえぐエルサレム教会を援助するため献金するようにパウロは勧めました。献金はあまったらするのではなく、「週の初めの日に、収入に応じて」(2節)先にささげるものです。

私は、いま旅の途中に、あなたがたの顔を見たいと思っているのではありません。主がお許しになるなら、あなたがたのところにしばらく滞在したいと願っています。(7節)

 パウロはこの手紙で問題の早期沈静化を図り、テモテに持参させるつもりでした。(10節)。若い愛弟子テモテを軽く扱わないようにと(11節)注意も加えています。エペソでの迫害が激化していたので安全を見届けるまで留まり、パウロはその後ピリピやテサロニケ教会を訪ねながら南下し、冬の間コリントに長期滞在する計画を立てました。

 兄弟アポロのことですが、兄弟たちといっしょにあなたがたのところへ行くように、私は強く彼に勧めました。しかし、彼は今、そちらへ行こうとは全然思っていません。しかし、機会があれば行くでしょう。(12節)

 コリント教会の分派の一つは伝道者アポロ派でした。パウロはアポロと親しい交流があることを「兄弟アポロ」と呼んで示しています。自分が出て行くのは得策ではないとアポロ自身が判断したことを、パウロはコリントの人々に伝えています。

 4つの伝達事項から分かるのは、パウロが行動の人だということです。今、気がかりな事がありますか。放置していませんか。山の手線のようにぐるぐる回るだけでは何も始まりません。なすべき事を絞り、行動に移しましょう。


2、あいさつ

 パウロは手紙の最後に称賛と挨拶と署名を行っています。
 1)ステパナらの労をねぎらうように(15~18節) 2)アクラとプリスカからの挨拶(19~20節) 3)パウロの署名と挨拶(21~24節)

ステパナとポルトナトとアカイコが来たので、私は喜んでいます。なぜなら、彼らは、あなたがたの足りない分を補ってくれたからです。彼らは、私の心をも、あなたがたの心をも安心させてくれました。このような人々の労をねぎらいなさい。(17~18節)

コリントからはるばる旅をしてエペソを訪ね、教会の問題や質問等を伝えたステパナらをパウロは賞賛しました。

アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。(19節)

エペソ、コロサイ、ラオデキヤの教会からの挨拶が書かれています。コリント伝道初期に活躍したアクラとプリスカ夫妻がエペソにいたので、彼らの挨拶をパウロは丁重に伝えました。

私たちも、周囲の人への気配りや感謝を忘れないようにしましょう。



3、まとめの言葉

 13~14節が今回のキーワードです。

 目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。いっさいのことを愛をもって行ないなさい。(13~14節)

 「目を覚ましていなさい。」 トトロで有名な宮崎駿さんは、目で見た印象的な景色を心に記録し、資料を見ないでほぼ再現できる方です。見ている部分が私たちと違うのですね。主イエスは「だから、目をさましていなさい」(マタイ24:42)と言われました。毎日の生活に埋没したり、時代の流行に流されないようにしましょう。主イエスをしっかり見ていましょう。主は再び来られます。主イエスの見たように世界を見ましょう。

「堅く信仰に立ちなさい。」 生きることに疲れる一つの理由は、自分以上の自分を見せようとするからです。男なら強く見せたい。女なら美しく見せたい。でも実態とのギャップに悩みます。信仰とは、主イエスが見てくれて、受け入れてくれた、ありのままの自分からスタートします。弱さと罪の汚れをご存じの上で、主イエスは私たちを愛してくれました。だから、固く信仰に立つというのは、頑張って信じたふりをするのではなく、私を愛してくれたイエスに頼り切るということからスタートするものです。

「男らしく、強くありなさい。」 人生を切り拓くために、勇気が必要です。「恐れていることをせよ。そうすれば、恐怖は確実に死ぬ」と言ったのはマーク・トウェインです。愛する人のためなら、私たちは安全地帯から飛び出すことができます。主に信頼して、勇気を出してみましょう。

「いっさいのことを愛をもって行ないなさい。」 新渡戸稲造は『武士道』(1899)を英文で書き、武士道とキリスト教が似ていることを説明しました。武士道にないのは、愛だと述べています。手紙の末尾は、「私の愛は、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべての者とともにあります。アーメン。」(24節)です。これはパウロの手紙の末尾としては異例で、ここだけです。問題の多いコリントの教会の人々を、パウロはとことん愛したのです。
強いだけの人になるのではなく、愛の人になりましょう。自分のしていることが正しいと自覚できたなら、次に、愛があるかを確認しましょう。

男たちよ、どんな時も勇敢であれ、そして愛を忘れるな。女性たちよ、しなやかであれ、そして隠し味に愛を忘れるな。そのために、目を覚まし、主イエスに信頼しよう。

 →あなたの番です
  □行動を起こそう
  □人から受けた恩を感謝しよう
  □勇気の人、愛の人になろう