詩篇35篇 うなだれた時に


 ゴミ集積所で、たまにゴミが散乱していることがあり、「こんな事するなんて、人間のすることじゃない」と妻と語り合っていました。ある晩、その大きなゴミ箱に近づくと、アライグマが飛び降りて逃げて行きました。確かに、人間のすることじゃなかったのです。とても、立ち向かえる相手ではありません。

1、強敵と出会ったら

 詩篇35篇をものすごく簡単に要約します。

 1)敵は私より強いので、主よ、私の代わりに戦ってください。(1~10節)
 2)あんなに良くしてあげたのに、裏切られました。(11~18節) 
 3)敵に嘲笑されて辛いです。主よ、立ち上がって下さい。(19~28節)

 3つの段落の末尾の10、18、28節に、賛美の言葉があるのは偶然ではありません。何が起きていても賛美を忘れないダビデの姿勢です。今、賛美できなくても、必ず賛美できるとも信じています。 

主よ。私と争う者と争い、私と戦う者と戦ってください。
盾と大盾とを手に取って、私を助けに、立ち上がってください。
槍を抜き、私に追い迫る者を封じてください。
私のたましいに言ってください。「わたしがあなたの救いだ。」と。(1~3節)

 ダビデはうなだれていました。でも、主に祈りました。
私を強くして下さい、そうすれば戦えます、とダビデは祈りませんでした。敵は強すぎると、はっきり認識していたので、主に戦ってほしいと願いました。
当時、国内で最強の戦士だったダビデですが、敵は自分より強いと判断しました。なぜなら、敵は、一国の王のサウルで、軍隊を従えており、執拗に命を狙って来るからです。

あなたは、自分より「強い者」(10節)に、今、直面していますか。ならば、主に前面に出てもらって、戦ってもらいましょう。必ず、主を高らかに賛美する事態がやって来ます。

私のすべての骨は言いましょう。「主よ。だれか、あなたのような方があるでしょうか。悩む者を、彼よりも強い者から救い出す方。そうです。悩む者、貧しい者を、奪い取る者から。」(10節)


2、敵は穴を掘る

 第1サムエル16:23を読むと分かりますが、サウル王が心の病で苦しんでいた時にダビデは琴を演奏して心を静めました。ダビデはサウル王のことを身内のように心配し、断食して祈ったのです。でもサウルにねたまれ、命を狙われる事態となりました。

彼らは善にかえて悪を報い、私のたましいは見捨てられる。
しかし、私は――、彼らの病のとき、私の着物は荒布だった。
私は断食してたましいを悩ませ、私の祈りは私の胸を行き来していた。
私の友、私の兄弟にするように、私は歩き回り、
母の喪に服するように、私はうなだれて泣き悲しんだ。(12~14節)

ねたみにかられた人は、網をしかけ、穴を掘るものです。それは、相手の苦しむ姿を見たいからです。

 まことに、彼らはゆえもなく、私にひそかに網を張り、
ゆえもなく、私のたましいを陥れようと、穴を掘りました。(7節)

そんな中でもダビデは、敵が死ぬことは求めませんでした。自滅して、自分の掘った穴に落ちれば十分でした。

思わぬときに、滅びが彼を襲いますように。
ひそかに張ったおのれの網が彼を捕え、滅びの中に彼が落ち込みますように。
こうして私のたましいは、主にあって喜び、御救いの中にあって楽しむことでしょう。
私のすべての骨は言いましょう。
「主よ。だれか、あなたのような方があるでしょうか。
悩む者を、彼よりも強い者から救い出す方。そうです。
悩む者、貧しい者を、奪い取る者から。」(8~10節)

学校でも、職場でも、先輩が後輩をいじめることは良くあります。場合によっては、家庭でも起きます。そんな中で、誠実に歩み、苦しくても主に助けを求めた人を私は何人も知っています。そして、主が助けて下さった例を見て来ました。

あなたも今、誰かに罠をしかけられていますか。自分で復讐はせずに、ダビデのように祈りましょう。神があなたを罠から守って下さいます。神に戦ってもらいましょう。


3、笑われる経験

あなたの義にしたがって、私を弁護してください。
わが神、主よ。彼らを私のことで喜ばせないでください。
彼らに心のうちで言わせないでください。「あはは。われわれの望みどおりだ。」と。
また、言わせないでください。「われわれは彼を、のみこんだ。」と。
私のわざわいを楽しんでいる者らは、みな恥を見、はずかしめを受けますように。
私に向かって高ぶる者は、恥と侮辱をこうむりますように。(24~26節)

一番辛い経験とは何でしょう。信頼していた人に裏切られ、笑われることです。
たとえば、夫と妻の不倫、嫁と姑の争い、尊敬していた上司の態度の硬化、友達の陰口などは嫌です。そんな相手に馬鹿にされ、嘲笑されることはとても辛いことです。

ある幼稚園の運動会の時、徒競走で子供がころびました。その子は涙をこらえて、立ち上がらずに、手足を四つんばいにしたまま前に行きました。そばにいた園長先生の女性は、その子と同じポーズを一緒にして進み、ゴールインするとその子を高く持ち上げてほめてあげました。最後はみんなから大きな拍手をもらいました。
その人の失敗や恥を笑わず応援する姿はすがすがしいものです。

十字架を思い起こして下さい。主イエスは着物を剥ぎ取られて釘付けられました。本来なら、私の罪や恥が人々の物笑いの対象になるべきはずでしたが、主イエスが身代わりに引き受けてくれたのです。

あなたは、今、敵の攻撃を受けて、笑われていますか。馬鹿にされていますか。主は、あなたの悲しみを知っておられ、その屈辱を取り払ってくれるお方です。ダビデのように主に願いましょう。

主よ。私と争う者と争い、私と戦う者と戦ってください。(1節)

 →あなたの番です
  □主に、私と争う者と争ってもらう
 □敵が掘った穴に落ちますように
  □恥を取り去ってください