詩篇34篇 どんな時も賛美


 「月なきみ空に、きらめく光、ああその星影、希望の姿」この歌、ご存知ですか。1910年文部省唱歌の『星の界(よ)』という歌です。このメロディーは、実は、賛美歌の『いつくしみ深き』なのです。
 親子で歌える歌が家庭にある。アメリカ留学時に、それに感激した人がいたようです。おそらく、その歌は賛美歌だったのでしょう。文部省唱歌が作られるようになり、メロディーが讃美歌という曲が13曲はありますが、こうした背景を考えるとうなずけます。

 今日は、詩篇34篇から、賛美について考えましょう。

1、詩の背景

 若い頃のダビデは力と純粋さにあふれていました。ダビデはサウル王にねたまれ、殺されかけたので隣国に逃げ、身元が判明しそうになった時に気が狂ったように見せかけて難を逃れました。(第1サムエル21:10~15)表題から分かるように、これが詩篇34篇の背景です。でも34篇には、落胆もなく、神への賛美であふれています。

2、貫く賛美の姿勢

私はあらゆる時に主をほめたたえる。
私の口には、いつも、主への賛美がある。
私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。(1~3節)

 ダビデのような失敗をすれば、惨めさで潰れるところです。でも、この詩篇は、最初から最後まで賛美が貫いています。まさに、あらゆる時に主をたたえています。感謝は良いことがあった時だけするものですが、賛美は成功や失敗に関係ありません。むしろ、苦悩や落胆の最中でもできることなのです。

 親は子供に、「ありがとう」と「ごめんなさい」を教えます。その言葉は、神に向かって使うと、感謝と悔い改めになります。賛美は、私たちの日常におきかえれば、ほめるという行為です。人をほめる人は、神をほめることができます。人をほめない人は、賛美は難しいはずです。あなたは、人をほめますか。神をほめますか。

2歳の孫がわが家に遊びに来たとき、脈絡もなく、突然こう言いました。「おじいちゃん、かっこいい」。それを聞いて嬉しくなりました。その調子で人をほめることを身に着けて、神を賛美する人になるんだよ、と思います。

 神を知らない人の辞書には賛美という言葉はありません。神の素晴らしさを知ると、賛美できます。賛美せずにはいられないはずです。英語のbeliveやtrustは、日本語では「信仰」になります。信じて、仰ぐ。いい言葉ですね。神を見上げるなら、私たちは自然に笑顔になります。

 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。
「彼らの顔をはずかしめないでください。」(5節)

自分ではなく、主を見る。それが悩みの中で輝く秘訣です。あなたが光に背を向けていると暗いままですが、光を見るなら、あなたの顔が輝きます。

主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。
幸いなことよ。彼に身を避ける者は。(8節)

 高級フランス料理を食べた時のように、神の素晴らしさを味わってください。主のして下さったことを思い返しながら、主の愛と主の恵みを喜ぶのです。
 ネガティブな人や恨みがましい人は賛美の達人になる素養があります。嫌な出来事を思い出し、人の欠点をあげつらい、悪口を言い続けてきましたが、その特技をひっくり返してみましょう。悪口や愚痴を賛美にして、しつこいくらい繰り返してみましょう。

私はあらゆる時に主をほめたたえる。
私の口には、いつも、主への賛美がある。(1節)

今週、何があっても、主を見上げましょう。状況に関係なく主を賛美しましょう。自分から目を離し、主に注目しましょう。イエスさま、かっこいいと言ってみましょう。



3、主は助けて下さる方

 主を賛美していると、主がまことの神だと確信できるので、主は必ず私を助けて下さるという結論になります。救って下さった主をふり返り、救って下さる主に信頼できます。

 私が主を求めると、主は答えてくださった。
私をすべての恐怖から救い出してくださった。(4節)

この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。
こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。(6節)

主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。(7節)

主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。(9節)

彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。
そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。
主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。
正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。
主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。
(17~20節)

恐れ、敵、経済的困難、落胆、悩みから、神は救い出して下さるとダビデは書いています。あなたも同じ苦悩の中にいるなら主の助けを信じましょう。

 また、苦しみの中にいるなら、悪口を言わず復讐せず、神の介入を信じて誠実に歩み、平和を作りましょう。(13~16節)

アイルランド生まれのジョセフ・スクライブン(1819~86年)は、二度も婚約者に先立たれました。最初は25歳の頃で、結婚式前夜に婚約者が溺死しました。二度目はカナダ移住後ことで、婚約者は肺炎で亡くなりました。その苦悩は計り知れません。その後、ジョセフは、貧しい人や病人を助ける働きを続け、その生涯を終えました。
ジョセフは、自分の心境を一つの詩に書き下しました。自分で悩みを抱え込まないで、主イエスに何でもゆだねたらいい、祈って任せたらいい、なぜなら、主イエスは素晴らしい友なのだから。まるで、自分自身に言い聞かせる内容であり、また、信仰告白でもありました。この詩が後に、『いつくしみ深き』という讃美歌になりました。
ジョセフの詩は、ダビデの賛美に通じるものがあります。自分の環境が最悪でも、主イエスの愛や誠実さは不変だと言いたいのです。

What a friend we have in Jesus, All our sins and griefs to bear!
What a privilege to carry, Everything to God in prayer!
Oh, what peace we often forfeit, Oh, what needless pain we bear,
All because we do not carry Everything to God in prayer!

 さあ、あなたの番です。感謝だけでなく、悔い改めや願いだけではなく、賛美をまず主にささげましょう。賛美が、あなたを苦しみから守ります。輝かせます。

正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。(19節)

 →あなたの番です
  □自分ではなく、目を主に向けて賛美する
  □主は助けて下さる方です