創世記10~11章 バベルの塔


 主が、バベルでしたことを、誰が予想できたでしょう。

1、ノアの息子たちの子孫

これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。(創世記10:1)

 ノアの3人の子供から、世界の民族が生まれました。
 ヤペテの子孫は、海沿いの国つまり地中海、カスピ海、黒海沿いの民族となり、ヨーロッパに広がっていきました。(5節)マゴグ、マダイは黒海沿岸の東ヨーロッパの人々。アシュケナズはヨーロッパ人、タルシシシュはスペイン、ドダニムはギリシャの人。

 ハムの子孫は、クシュ(エチオピア)、ミツライム(エジプト)をはじめ、中近東、バビロンへと増え広がり(6節)、イスラエルと後に対立するカナン人もその流れの民族です。(15~18節)

 セムの子孫からは、ユダヤ人が生まれ出ます。(11:10~32)セムの子孫テラの息子であるアブラハムがユダヤ民族の父となります。創世記は、カメラをズームアップして多数の人々の様子からアブラハム一人に焦点を合わせることになります。


2、バベルの塔

さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(創世記11:1~4)

ハムの子孫のニムロデは、地上で最初の権力者(10:8)となり、シヌアルの地でいくつかの町を建て、「バベル」(10:10)も作りました。「頂が天に届く塔」(4節)を建設するつもりでした。世界一番高い建物とは、その町や国の国力が世界一だと示す印です。

シヌアルの地とは、チグリス・ユーフラテス川流域の平野。この地域にはジッグラト(ziggurat)と呼ばれる遺跡が残っています。空から俯瞰すると四角形で、地上から見ると大きな台形を2層、3層に重ねた建造物です。この地では硬いレンガを作る技術が発展し、瀝青を防水材・結合材として使ったようです。瀝青は、石油を産出する地域で見つかる天然のアスファルトです。

そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。(11:5~8)

 この箇所には強烈な皮肉が込められています。バベルの人々は天にまで届く塔を作り、神のようになり、自分たちの名を広めようとしました。けれでも、神が「降りて」みないと様子が分からないほどの低い建物だったのです。神の領域に達したと豪語する人間の愚かさは、すべてこのようなものです。

 神は、人々の「ことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないように」されました。それにより、人々は世界に散って行ったのです。

 今日の箇所で大事な事はこれです。
 私たちが最も大切なものを見失う時、驚くようなショック療法を神は用いられる。

 言葉が通じなくなりました。相手の言ったことが分からない。自分の言おうとしたことが伝わらない。その結果、同じ目的で協力できない。人と人の間が断絶しました。
 もし、あなたが、身近な人との間で心が通じなくなったなら、あなたのバベルの塔を神が壊そうとしているのです。


3、ことばが通じる世界へ

 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。(11:9)

混乱させるというヘブル語が「バーラル」です。バーラルしたので、その町がバベルと呼ばれたのは納得できる。つまりここは、語呂合わせによる説明です。

ヨハネの福音書の冒頭で主イエスが何と呼ばれていたかを思い出して下さい。
「初めに、ことばがあった。」(ヨハネ1:1)
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)
主イエスは、言葉として神と人を結ぶ方です。主イエスは、十字架の救いによって、人と人との心をつなぐ方です。だから主イエスを知った人は、人本来のコミュニケーションを取り戻せるのです。「ごめんなさい」を言えるし、「ゆるす」と言えるし、「愛している」と言えるし、「私もです」と共感する心も、主イエスのゆえに回復できるのです。
 ペンテコステに聖霊を受けた弟子たちが外国の言葉で福音を語りました。それはバベルの塔で分断された人々をつなぎ合わせる印となりました。

 あるアメリカ人男性は心に傷を負ってベトナム戦争から帰ってきました。彼は仕事に没頭して成功、やがて浮気をし、アルコール依存になりました。妻も夫もクリスチャンでした。そんな夫を赦せない妻は、夫を軽蔑しました。そんな時、結婚カウンセラーに話を聞いてもらい、聖書の言葉に従うチャレンジを受けました。「妻もまた自分の夫を敬いなさい」(エペソ5:33)を実行してみたらどうかと。神の言葉なので、結果は神が責任を持ってくれると教えられました。熟慮の上、今の夫の姿に左右されず、神の言葉に従ってみることにしました。夫が仕事をしてくれることを感謝し、尊敬している気持ちをきちんと伝えました。すると、夫の態度が変わり、結婚以来一度も妻の車を洗ってくれたことがないのに、急に洗ってくれました。皿を洗ってくれました。もらったボーナスから500ドルをお小遣いとしてくれました。断絶していたコミュニケーションが回復したのです。

現代は、神を無視し、人間がバベルの塔をあちこちに建てる時代です。そのような価値観から離れて、神と共に生き、神の栄光を求め、身近な人と心通じる生き方をしたいですね。

→あなたの番です
 □あなたがバベルの塔を作っていませんか
□あなたが修復したい人間関係は何ですか
 □主イエスは、愛のことばとして、私達の間にいてくださいます