創世記9:1~29 命と虹と上着


 さあ、新しい国を作ろう。ノアはきっとそう思ったことだろう。神の国建設が始まったのです。新しい国の憲法は何か、ビジョンは何か、規則は何か、何をするのか、決めなくてはいけない事がたくさんありました。

1、命の尊さ

それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。野の獣、空の鳥、――地の上を動くすべてのもの――それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。しかし、肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。(創世記9:1~4)

 大洪水が終わり、新しい出発に際し、主はノアと3人の息子たちを祝福されました。主は、創世記1:28でアダムに語られた言葉を繰り返し、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」(1節)と命じました。主はノアたちに世界の適正な管理をゆだねました。(2節)

創世記1:29では人の食物は植物とされていましたが、ここで主は、動物も人の食料として許可されました。(3節)ただし、血は避けなければなりません。「肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない」とありますが、血とはいのちの象徴なのです。

福岡県の県立高校で命の大切さを十数年も教え続けている真鍋先生がおられます。生徒は、9月から鶏を卵から育て、名前を付けて大切に育て、12月には食肉として解体して食べるという授業です。生徒たちは泣きながらに鶏を押さえて命の最後を見届け、放血器にぶら下げられて血が流れる姿を見る事になります。その肉を料理して食べる時、「いただきます」という言葉の重みを知るのです。人間の私たちは、いのちを頂いて生きているのです。

動物の命を大切にできる人は、人間の命も大切にできます。神のかたちに造られた尊い命を奪ってはいけません。「産めよ、増えよ、地に満ちよ」、との命令に従って人類が増えるなら、嫌いな人も増えるでしょう。その時、互いの命を大切にせよという命令です。

人の血を流す者は、人によって、血を流される。
神は人を神のかたちにお造りになったから。(6節)

 私達人間は、植物と動物の命を「いただいて」生きる者です。生きとし生けるものを大切にしましょう。主に生かされている事を感謝しましょう。食前の感謝の祈りを心を込めてしましょう。



2、虹は契約のしるし

わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。(13~15節)

 虹は突然目の前に現れるもので、心が洗われる気がします。私が9年間住んでいたホノルルは虹の町と言われるように、たびたび虹が出ました。雨が小降りになり、雲の切れ間から太陽が顔を出すと、太陽の反対側にくっきりと虹が現れます。

 ノアの目の前にも虹が現れました。神は、その虹に意味を与えました。この虹は、神の「契約のしるし」(13節)だと言われました。「すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない」(15節)という約束でした。強い雨が降るたびに、ノアたちは洪水の再来かと不安になっていたことでしょう。ですから神の約束を聞いて虹を見たとき、ノアと息子たちはどんなに安堵したことでしょう。幸せという名のカーペットがあるなら、それをめくると神が約束された安全という名のフロアリングが必ず見つかるはずです。

 8節から17節に、「わたし」が7度、「契約」が7度使われています。契約という言葉は聖書ではとても重要な概念で、旧約聖書には280回も出てきます。聖書における契約は、神のほうが率先して、あるいは一方的に、約束をしている場合がほとんどです。たとえば、アブラハムへの祝福、神が共にいる約束、ダビデの王国の繁栄の約束するなど、人間にとってありがたい約束ばかりです。

主イエスは最後の晩餐の席で、新しい契約を結ばれました。これも、主イエスからの突然の、しかも一方的な申し出でした。主イエスの命と引き換えに罪をゆるすという約束でした。

食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」(ルカ22:20)

 これから、虹を見る機会があったら、ノアの気持ちになってみて下さい。決して世界的な大洪水は起きません。虹は、神の守りの印なのです。そして、神の愛の印です。神は、私たちの安全を気づかい、24時間守っていて下さいます。あなたも、守られています。



3、セム、ハム、ヤペテ

 正しい人、従順なノアも、失敗することもあります。ぶどうを育て、収穫した実でぶどう酒を作り、飲み過ぎて酩酊して裸になってしまいました。

さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。(20~23節)

父の様子を知らされた息子のセムとヤペテは注意深く後ろ向きに近寄って父に着物を着せました。父の醜態を最初に目撃し兄弟に知らせたハムの息子カナンは、のろいを受けてしまいました。

ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」(24~25節)

ハムの息子カナンがのろわれたのは唐突すぎて理解が追いつきません。ハムとその息子カナンが、泥酔していたノアに対して何かをした可能性があります。これは私の推測にすぎませんが、何が起きたのかを書くだけでノアを侮辱するよう内容だったのでしょう。

カイン―レメクの家系は神に反逆する都市と文化を造りました。今度は、ハム―カナンというマイナスの系譜ができてしまいました。人間の罪は深いです。

ある男子高校生が沖縄の教会を訪ね、牧師さんと話をしました。ラジオで聞いた讃美歌を歌いたいので教えてほしいという内容でしたが、やがて身の上話になり、最後には父や母や助産婦を殺したいという話になりました。父はアメリカ軍兵士、母は沖縄の女性、生まれてすぐ助産婦の医療ミスで少年は両目とも失明していました。まもなく、父はアメリカに戻り行方知れず、母は再婚し、祖母に預けられ、その祖母も彼の中学時代に亡くなり、天涯孤独になりました。
彼の生い立ちを聞いていた城間牧師は涙を止めることができませんでした。私の家に来て一緒に暮らそうと牧師は申し出てくれて、家族同様に愛され、彼は信仰を持ち、神学の勉強もして見違えるようになりました。歌が上手だったのでイタリヤ人の有名テナー歌手のオーディションを受けると、「君の声は日本人離れしたラテン系の明るい声だ」との賛辞を受け、メキシコ系アメリカ人だと話すと、「お父さんに感謝しなさい。神からのプレゼントだよ。多くの人を歌で励ましなさい」と言ってくれました。はじめて、父に対する感謝が生まれました。
その高校生が若き日の新垣勉さんです。テレビでも有名になったテノール歌手で、。彼の半生は中学の英語の教科書でも紹介されています。20年以上前に私が牧会していた教会に来て頂いて賛美してもらったこともあります。

あなたは、ハムやカナンのように父の心を苦しめていますか。主イエスに出会う前の新垣さんのように父親を軽蔑していますか。親や祖父への軽蔑心は、軽蔑している人自身を破壊します。悪い影響は子供にも受け継がれます。
両親、祖父母に対しての感謝の念を大切にしましょう。なぜなら、あなたの両親や祖父母は神が立てて下さった人だからです。きっと感謝できることがあるはずです。


 →あなたの番です
  □命を大切にし、生かされていることを感謝しましょう
  □虹は約束の印。神はあなたを守っておられます
  □軽蔑せず、両親や祖父母に感謝しましょう

 その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。(エゼキエル1:28)