創世記15:1~21 神は私の盾


 昔、日記に「片思い」という言葉を書いた記憶がありますか。
 神の愛は想像を超える壮大な片思いなのだと、私は思います。

1、恐れるな、わたしは盾である

 深刻な恐れは、緊張がほどけた後にやって来ます。アブラムが戦い終えてひと段落すると恐怖に包まれました。命を落としてもおかしくない戦争だった。敵は復讐に来るかもしれない。次の戦いがあったら勝てるだろうか。そんな時に主がアブラムに語られました。幻の中の言葉なので、神の言葉はいっそう鮮やかに心に残ったことでしょう。

 これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」(創世記15:1)

神はアブラムの盾だと言われました。盾とは何でしょう。兵士を敵の攻撃から守る武具です。歴戦の勇士の盾の表面を想像して下さい。傷だらけのはずです。盾は、自分が叩かれても、切られても、刺されても、兵士を守ります。私たちの神は私たちを守るため、身代わりに傷つき、敵の前に立ちはだかってくださる方なのです。十字架の主イエスを見て下さい。私たちの盾となられた神の子の姿です。

私は、自分自身が大きな恐れと困難の中を通った時、この言葉を読みました。そして、この言葉に救われました。気持ちまで変化しました。そして、乗り越えました。もし、今、苦しみと恐れの中にいる人がいたら、1節を暗記し、何度も反芻してみて下さい。

たとえ、あなたが失敗しても、嫌われたとしても、弱くても、みじめな姿でも、神はあなたを守ると約束して下さいました。神は、あなたを守るため傷ついて下さる方なのです。
「恐れるな。わたしはあなたの盾である。」


2、子孫は夜空の星のようになる

「あなたの受ける報いは非常に大きい。」と主が約束されたので、アブラムはその報いとは何ですかと尋ねました。主の答えは二つありました。子孫を与える。土地を与える。2節から6節が子孫について、7節から終わりまでが土地についてです。

すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(4~6節)

この出来事は、アブラムが75歳から85歳の間に起きたことでしょう。アブラムには子供がいませんでした。アブラムの家の使用人頭エリエゼルが跡継ぎになるのだろうと彼は思いました。でも主は、アブラムに実子が与えられ、その子孫の数が夜空の星のようになると約束されました。アブラムは天幕を出ました。満天の星を見上げて、主の言われた言葉をそのまま信じました。
今までの人生で最も印象深い夜空を尋ねてみたところ、ある人はハワイ島の夜空の星が素晴らしかったと言いました。ある方は、モンゴルの草原で見た満天の星だと言いました。
アブラムにとってはいつもの夜空でしたが、神の約束として示された星空は、格別の感動があったはずです。

素直な信仰。アブラムのすぐれた特徴は神の言葉を単純に信じるという点です。パウロはローマ4章でアブラムの信仰を最大級に評価しました。アブラムの命の流れは、これから連綿と何世紀にも渡って続くことになります。

ところで、聖書には色々なタイプの人が出てきますが、あなたはどんな人に似ていますか。情熱と行動の人パウロに似てますか。ペテロは弱さと情けの人。モーセは意志の強固な指導者。そして、アブラムはどんな人かというと、パウロやペテロやモーセとは全然違うタイプの人です。行動面は穏やな人です。主の約束を信じて疑わずに、何十年も淡々と平凡な日々を過ごす人です。まるでガスコンロやガスストーブの種火のような人です。派手さはありませんが小さな炎を消さない忠実な人です。あなたは、もしかしたら、アブラハムに似ているかもしれません。平凡なのに非凡。

「彼は主を信じた。」(6節)あなたも、単純に、主と主の言葉を信頼しましょう。なると言ったら、なる。神の約束とはそういうものです。


3、土地を与える契約

神が下さるもう一つの報いは、カナンの土地を永遠に与えるということでした。アブラムは、「どのようにして知ることができましょうか。」(8節)と確証を求めたので、現代風に言い換えれば神ははっきりと契約書にサインをされたのです。

契約行事の最中に夕暮れになり、アブラムは深い眠りに陥りました。悪夢を見て、「暗黒の恐怖」を体験しました。アブラムの子孫が増えるが、エジプトで400年間も奴隷になり苦しみに会うが約束の地に戻れるという預言でした。(12~16節)

当時の商習慣はちょっと変わっています。動物を二つに切り裂き、その間を契約当事者双方が歩きます。契約を破ったならばこの動物のようになっても構わないという意味なのです。

さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。」(17~18節)

アブラムは3種の動物を二つに切り裂き、夜を待ちました。すると、「煙の立つかまどと、燃えているたいまつ」(17節)が切り裂かれた動物の間を通過しました。これは神が契約したという印でした。アブラムは歩いていません。約束の責任は神が全面的に負う。必ず実現するという意味です。

昔、流行した韓国ドラマ「冬のソナタ」を見ましたか。ヨン様が演じたチュンサンが道に迷ったユージンを探し出した時に言うせりふがあります。ポラリス(北極星)は動かない。」夜空の星は、北極星以外は全部動くので迷った時はポラリスを探せば方向が分かるのです。多くの女性が感動して聞いた有名な場面です。私も妻に言ってみたりしますが、さらりと流されてしまいます。

神は、動きません。人の心が揺れ動いても、神の愛は変わりません。神の約束は必ず実現します。旧約聖書で一番大事な言葉は、ヘセドというヘブル語で、新約聖書のアガペの愛に匹敵します。ヘセドは恵み、いつくしみ、愛と訳されます。神学者はヘセドを<契約に基づく神の愛>と説明します。決して見放さないと誓ってくれた愛です。神がアブラムに約束されたことにも同じ思想が流れています。

18節で「この地を与える」と訳されていますが、原文は完了形で、すでに与えたという意味を持っています。神の約束は、必ず実現します。

「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。」(18節)


→あなたの番です
 □神はあなたの盾です。恐れることはありません。
 □今、何も見えなくても、星を見上げて神の約束を信じましょう。
 □神は全面的に約束を保障してくださる。