創世記16:1~16  困った時


 人生には3つの坂があると言います。上り坂。下り坂。そして、まさか。(知ってましたか!)
アブラムの妻サライと、サライに仕えていた女奴隷ハガルの間で昼ドラのようなどろどろの争いが勃発しました。何が原因だったのでしょう。どのようにして解決したのでしょう。


1、人間的な手段

アブラムの妻サライは、彼に子どもを産まなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。サライはアブラムに言った。「ご存じのように、主は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにおはいりください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。(創世記16:1~2)

主が子供を与えて下さるという約束をサライも知っていましたが、約束の地に来て10年間何の変化もありません。(3節)主がサライの胎を閉じている現実を彼女なりに考えた結果、自分の女奴隷ハガルを通して子供を手にしたいと夫に申し出ました。3節によると、「妻」としてハガルを差し出したのです。

85歳のアブラムは躊躇したはずです。拒絶もできました。子孫が夜空の星のようになるという神の約束を信じていました。最終的には、妻サライの胸の内を汲みとり、申し出を受け入れました。つまり、人間的な手段を許容したのです。
 
 ハガルは妊娠しました。妻サライの気持ちは複雑だったでしょう。ハガルは、妊娠した事実から自信を持ち、アブラムの正妻のように振る舞い、サライに横柄な態度を取るようになりました。サライは腹にすえかねて夫に文句を言いました。アブラムは妻の好きにさせたので、ハガルは虐待され、身重の体でしたが家出しました。

 今日の問題の第一原因は、主の約束を信じられずに人間的な解決手段を持ち出したサライにあります。第二原因は、神の約束を信じ切れなかったアブラムにあります。後に信仰の父と尊敬されたアブラムも、今回の事件では、見るべき点は一つもありません。

 あなたは今、大きな悩みや試練の中にいますか。そんな時、人間的な解決手段に心惹かれるものです。でも、人間的な解決手段は、手続きが複雑で、いっそう問題をこじらせます。神への信頼に基づく解決方法は、忍耐と祈りがいりますが、いたってシンプルな道です。さて、あなたは、どちらの道を選びますか。


2、ご覧になる方

主の使いは、荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけ、「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」と尋ねた。彼女は答えた。「私の女主人サライのところから逃げているところです。」そこで、主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」(7~9節)

 主の使いは荒野のハガルを見つけました。どこへ逃げ、どこに行くのかと御使いに問われると、女主人のもとから逃げたとしか言えませんでした。行先は不明のままです。御使いは親身になって彼女の話を聞いてくれました。その上で、行き先を教えてくれたのです。謙遜になって主人のもとに戻りなさい。それでハガルは頭を下げて、恥をしのんで、苦労を覚悟して、女主人サライのもとに戻りました。それが最善と気づいたのです。神がイシュマエルの子孫を増やして下さるという約束(10節)も大きな励みになりました。

ハガルが戻って来たので、最初サライは不機嫌になりアブラムは胸をなでおろしたでしょう。ハガルが不遜な態度をわび、謙虚になっていたので、二人は驚愕したはずです。
ハガルは、荒野で主の使いに出会った経験を話さずにはいられないでしょう。妊娠して傲慢になり、トラブルを引き起こした奴隷女にすら神は目に留めて下さった。「苦しみを聞き入れ」(11節)て下さる方が真の神。こんな私を見て知っていて下さる方が「エル・ロイ」(13節)、つまり、ご覧になる(ロイ)神(エル)。主をたたえ、砕かれた心のハガルが家に戻ったことにより、アブラムの家庭は穏やかになりました。

全体を振り返ってみましょう。今回のトラブルはどのようにして解消しましたか。アブラムがハガルを探して荒野に行きましたか。ノー。自分の血が流れている子がハガルのお腹にいることを承知の上でも、何もしませんでした。サライも自分の態度を反省して、ハガルと胎児の命を心配しましたか。ノー。二人は何の行動も起こしませんでした。神が問題の尻拭いをされたのです。

 私たちの人生を振り返ると、私たちもアブラムに似ていることに気づきます。問題を起こすのはいつも私たちのほうです。恥ずかしい限りです。自分で問題解決できず、親や他者に助けられたことが多々ありました。何度も、トラブルの尻拭いをしてもらってきました。

今あなたは一人で悩み苦しんでいませんか。誰も分かってくれないと思っていませんか。ずぶ濡れネズミのような私たちでも、主はご覧になって下さり心配して下さいます。あなたが原因で起きたトラブルであっても、主はあわれみ深い方なので、あなたを助け出して下さいます。

大きな駅の通路で、若い女性がチンピラに因縁を付けられ怯えていました。通行人は見て見ぬふりをして通り過ぎました。そこに彼が走って来て、「遅くなってごめん。さあ急がないと」と言って彼女の手を取って人込みの中に走り去りました。かなり遠くまで二人で走った後、「大丈夫でしたか。気を付けて」それだけ言って男性は姿を消しました。見知らぬ人だったのです。助けられた彼女は新聞に投稿しお礼を述べました。彼の勇気と機転は素晴らしいです。
神は、あなたの苦しみを見て、心配し、走り寄って、尻拭いをして下さる方です。大丈夫かい。大変だったね。でも、もう大丈夫。さあ元気を出して、人間的手段ではなく、信頼して、まっすぐな道を進むんだよ。そう励まして下さる方です。

そこで、彼女は自分に語りかけられた主の名を「あなたはエル・ロイ。」と呼んだ。(13節)

 →あなたの番です
  □人間的な解決方法を取らない
  □神は、私と私の悩みをご覧になり、助けて下さる 
  □主の助けと約束を信じよう