使徒8:26~40 人と関わる賜物  ―ピリポの4ステップ―


 人と関わる賜物について考えてみましょう。特に、人を主イエスに導く伝道の賜物と聖書を教え育てる賜物を取り上げます。伝道の賜物はエペソ4:11に、教える賜物はローマ12:7に書かれてあります。
 
 使徒8章に登場するピリポは、伝道の賜物と聖書を教えてクリスチャンの信仰を育てる賜物を持っていました。彼は、4つの事をしました。①御霊に従い、②自分から近づき、③質問し、④主イエスを伝えました。


1、御霊の導きに従う

ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)(使徒8:26)
 
 ピリポはエルサレム教会の役員で(使徒6:5)、ギリシャ語を使うやもめたちへの食料配給に携わった地味な人でした。迫害で散らされてサマリヤにたどり着くと、ピリポは伝道者として、また、聖書を教える人として爆発的に用いられました。(使徒8:5~8)賜物は、環境が変わったり役目が変わると開花することがあります。

 天使はピリポにガザに行くよう指示しました。サマリヤから直線距離で80マイル南西にある海岸近くにあったガザにはアフリカ方面への幹線道路が通っていました。

御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と言った。(29~30節)

 ピリポは、第1に、御霊の導きに従い移動しました。今日も、御霊はあなたの関心を誰かに向けてくれます。

2、自分から近づく

 第2に、ピリポは、エチオピアの宦官の馬車に近づきました。
 御霊の語り掛けに従い、ピリポは走り出し、馬車と伴走しました。誰が乗っているのか知らないまま近づきました。すると、イザヤ書を読んでいる声が聞こえました。神を求めている人が乗っていると確信したことでしょう。

3、質問する

 第3に、ピリポは、質問しました。「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」とても的を得た質問でした。
 本当に教え上手な人は、質問が上手です。主イエスは、質問の名手だったことを思い出して下さい。良い質問は、相手を深い理解に導き入れます。

すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」(31~34節)

 馬車に乗っていたのは、エチオピア女王に仕える財務大臣のような役人でした。その宦官は、エチオピア人でありながらユダヤ人の神を求め、エルサレムの神殿で礼拝して帰る途中だった求道者です。イザヤ書53章を読んでいて、その中に出てきた「彼」が誰なのかを考えあぐねていたので、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と答えました。宦官の聖書は、ヘブル語旧約聖書からギリシア語に翻訳した70人訳聖書だったと思われます。この聖書は当時とても高価でした。ピリポはギリシア人のやもめを助けた人で、当時の国際共通語ギリシア語を解するバイリンガルでした。

4、主イエスを紹介する

 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」(35~36節)

 ピリポが単なる聖書オタクなら、知識を披歴しただけで終わります。でも、ピリポは違いました。第4に、ピリポは、まっすぐに主イエスのことを語りました。伝道の賜物や人を教え育てる賜物を与えられた人は、主イエスさまを指し示す人です。ピリポはイザヤ書に書いてあるのは主イエスのことだと教えました。さらに、主イエスの十字架と復活を語ったことでしょう。すると宦官は、主イエスへの信仰を表明し、自分からバプテスマを受けたいと申し出て、ピリポはその場で宦官に洗礼を授けました。

 あなたのそばに現代のエチオピアの宦官がいます。それは、誰でしょう。「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」「どうか教えてください」と叫んでいます。

 大学の研究職に就いていた28歳の男性が、学内の学者と知り合いになりました。その学者は、学識が深く、人格も魅力的で、会って話すことが楽しくなりました。学者はカトリックのクリスチャンで、神について、主イエスについて、一生懸命に教えてくれました。28歳の男性は徹底した無神論者でしたが、31歳の時に神の存在を認めるようになりました。33歳の時、深夜に及ぶ真剣な語らいなどを通じて、主イエスを救い主と信じ、礼拝に通うようになりました。熱心に神を教えた人物は、『指輪物語』で知られるJ・R・R・トールキン。無神論者からクリスチャンになったのが、後に『ナルニア国物語』の著者となる、C・S・ルイスです。二人はオックスフォード大学内で知り合い、ルイスは1931年9月に主イエスを信じました。
 あなたの隣りに未来のC・S・ルイスがいます。

伝道の賜物や人を教える賜物はないと思う人がいます。たぶん、多くの人がそう思うでしょう。でも、この分野は、賜物のあるなしに関係なく、必要が生じたら誰でもが用いられることになります。ルカ12:12で、聖霊が語るべきことばを必ず与えてくれるという約束があるので、勇気を持って語りましょう。また、「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です」(第1コリント3:6)とあるように、人を育てるのは神なので、賜物のあるなしに関係なく、安心して人を育ててください。

あなたは、主から、伝道の賜物や人を教え育てる賜物をもらっていますか。そうならば、御霊に導かれ、自分から誰かの所に出て行き、質問し、主イエスを伝え、信仰の決断に導き、育てて下さい。

 →あなたの番です
  □御霊の導きに従い、誰かの所に出て行き、質問しましょう
  □主イエスを紹介しましょう