創世記26:1~35 父の足跡をたどる


 「最近、お父さんに似てきたね」、「お母さんとそっくりだね」と言われませんか。顔立ちだけでなく、体型、しぐさ、言い方も、知らず知らずに似てくるものです。

父の足跡をたどる。創世記26章はそんな気持ちにさせてくれます。

1、神との出会いの中で

主はイサクに現われて仰せられた。「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。それはわたしが、これらの国々をすべて、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たすのだ。そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。これはアブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めと命令とおきてとおしえを守ったからである。」(創世記26:2~5)

父が死んでもなお神を信じて歩んだ息子の存在なしに、神とイサクの邂逅はありえません。また、変わらない神がおられたゆえの出会いです。
創世記12:1~3、15:5を見て分かるように、神がイサクに語られた内容は、アブラハムに語られたとそっくり同じです。

「これはアブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めと命令とおきてとおしえを守ったからである」と神は言われました。イサクは、父の信仰者としての足跡に出会いました。


2、同じ弱さ

アビメレクは言った。「何ということをしてくれたのだ。もう少しで、民のひとりがあなたの妻と寝て、あなたはわれわれに罪を負わせるところだった。」(10節)

飢饉で苦しんだイサクは、ペリシテ人の王アビメレクの許可を得て領内に身を避けましたが、妻のリベカを妹と偽ったので王の部下がリベカを妻にするところでした。創世記20章で、イサクの父アブラハムはまったく同じ失敗をしていました。イサクは無自覚でしたが、父の弱さを引き継いでいた事が分かります。

あなたも、父と同じ弱さを持っていますか。母親と同じ欠点を持っていますか。私たちは、父や母の弱さや欠点を引き継ぐものです。それが事実なら、両親の長所や強さを必ずもらっているはずです。

シンガーソングライター馬場俊英の『右と左の補助輪』という歌は、子供を愛す親の気持ちを表した歌です。弱さや不完全さを持った子供を、親は無条件に受け入れ、愛すと歌います。補助輪なしで初めて自転車に乗った子の背中を見て涙が出たと歌います。自分が死んだ後もお前の光になって照らしてやりたいと歌います。
こうした親の心を私たちは忘れています。自分が子供であったとき、親から無条件の愛で受け入れられていました。自分が親になった時は、子供を誰よりも応援し、誰よりも誇りに思う親になっているはずです。

神は、アビメレクを通してきちんとイサクの非を叱りますが、見捨てません。同じように、神は私たちの弱さや失敗を知っていますが拒絶しません。弱虫でも、挫折しても、そのまま抱きしめてくれるのが神です。見て下さい、みっともない失敗をしたイサクを神は100倍の祝福で満たして下さいました。

イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。(12~13節)

自分はダメな人間だとか、生きて行く価値のない存在だと言わないでください。今も、神の愛と祝福はあなたをおおっています。


3、父の業績と信仰

 こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。彼が羊の群れや、牛の群れ、それに多くのしもべたちを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。それでペリシテ人は、イサクの父アブラハムの時代に、父のしもべたちが掘ったすべての井戸に土を満たしてこれをふさいだ。そうしてアビメレクはイサクに言った。「あなたは、われわれよりはるかに強くなったから、われわれのところから出て行ってくれ。」(13~16節)

アビメレク王とペリシテ人はイサクをねたみ、井戸の取り合いが起き、アブラハムの掘った井戸は埋められ、領地から追い出されました。イサクは苦労しながらも、どこに行っても父の掘った井戸があることに気づきます。父さんはすごいな。イサクは父アブラハムの業績に改めて感心したはずです。

やがてパレスチナの南端ベエル・シェバにイサクは移動し、井戸も確保できて一息ついた頃、再び主はイサクに現れて下さいました。

主はその夜、彼に現われて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」(24節)

イサクの父アブラハムの神であられた神が、今、息子イサクに声をかけて下さっています。具体的な生活において、恐れる必要はなくなったのです。弱さがあり、失敗したイサクであっても、神は共におられます。大収穫と家畜の増加に見られるように、神は祝福して下さいました。イサクに生まれる子供と子孫が増えるという約束も頂きました。それらは、すべて、父親アブラハムが神のしもべとして忠実に歩んだ信仰ゆえでした。

26~33節を読むと、喧嘩別れしたアビメレクが、イサクと友好同盟・平和条約を結びたいと申し出たことが書いてあります。驚くべきことです。アビメレクは、「主があなたとともにおられることを、はっきり見た」(28節)と述べ、「あなたは今、主に祝福されています」(29節)と証言しています。神の祝福は、第三者から明確に見えるのです。

 イサクは実感したことでしょう。自分が神の約束をもらえたことや、祝福をもらっていることは、自分の努力だけではない、先に父が主と共に歩いてくれたからだと。

そうです。私たちも、両親の愛と犠牲なしにここにいません。また、信仰を持った父と母がいるなら、両親の祈りと具体的な助けと愛がなければ今のあなたはないのです。

1933年、21歳で来日したドイツ人の神父、グスタフ・フォス(1912-1990)は、後に栄光学園という私立学校の校長になり長年日本で働き、『日本の父へ』という彼の本に以下のようなエピソードを載せています。
1965年、フォス神父は故国を出て実に32年ぶりにドイツに帰り、様々な仕事を済ませた後、実家のそばのカトリック教会を訪れ、彼のお父さんと交流の深かった地元の神父と会いました。教会の裏手にあったフォスのお父さんの墓の前で、その老神父は彼にこう言いました。
あなたが日本で立派な仕事をしていると聞いています。すばらしいことです。でも、それがどれほどお父さんのおかげをこうむっているか知っていますか。あなたのお父さんは偉かった。息子のお前に会いたくてたまらないと、時折私にもらしていました。いつかあなたに会えるだろうと死ぬ日まで思っていましたが、それもかなわなかった。父である自分が犠牲を払うことで息子を支えたい、そして、祈りによってあなたを助けたいと口癖のように言っていました。あなたのお父さんは本当に立派な人でした。あなたは精一杯やってきたけれど、あなたの力は、お父さんの力でもあることを忘れてはいけない。
グスタフ・フォス神父は当時50歳を過ぎていましたが、お父さんの墓の前で涙を止めることができませんでした。

イサクは、父アブラハムの労働、犠牲、信仰、祈りのゆえに神の祝福を受けました。
私たちも、父の労苦、母の愛に支えられ、親の祈りによって、今日、ここにあります。もし健在なら、手紙を書いたり、電話をしたり、直に話して父と母に感謝を表しましょう。そして、変わることのない神の守りに感謝し、神を賛美しましょう。

「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」(24節)

→あなたの番です
 □父の犠牲、母の愛のゆえ、今の自分があることを感謝する  
□欠点や弱さがあっても、私たちは神に愛されている
  □私たちも、祝福を次世代に伝える人になる