詩篇55:1~23 丸投げでいい


 あの勇士ダビデが、「翼があったらな」と現実逃避を夢見るほどの強いストレスと悩みにつぶされた時がありました。あなたは、今、心配やストレスで押しつぶされていますか。それなら、詩篇55篇を読んで下さい。

1、恐れ

神よ。私の祈りを耳に入れ、私の切なる願いから、身を隠さないでください。
私に御心を留め、私に答えてください。私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。
それは敵の叫びと、悪者の迫害のためです。
彼らは私にわざわいを投げかけ、激しい怒りをもって私に恨みをいだいています。
私の心は、うちにもだえ、死の恐怖が、私を襲っています。
恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包みました。(詩篇55:1~5)

 ダビデはひどく取り乱しています。「苦しんで」「心にうめき」「泣きわめいて」「もだえ」「恐れ」「おののき」「戦慄」と心境を述べています。ダビデの悩みは、まず、生きるか死ぬかの問題でした。殺されそうなので「死の恐怖」に震えていたのです。

 私たちにとっての「死の恐怖」とは何でしょう。病気やケガや老いです。人によっては、今まさに、死と隣り合わせの人もいるでしょう。

そこで私は言いました。「ああ、私に鳩のように翼があったなら。
そうしたら、飛び去って、休むものを。
ああ、私は遠くの方へのがれ去り、荒野の中に宿りたい。(6~7節)

翼があれば遠くに逃げられるのに。英文法の仮定法の例文のような文章です。勇者ダビデにしては珍しい現実逃避です。よっぽど辛かったのでしょう。
ストレスが極端に強い時、私たちも現実逃避します。アマゾンでやたらにリサーチしたり、ゲームを長時間してみたり、無理に食べたり、深夜の公園でポケモンGOをやってみたり。アルコールや薬物に逃げたり、ギャンブルにはまる人もいます。

ダビデは、ストレスでつぶされそうになり、現実逃避の気分に傾きながらも、「私に御心を留め、私に答えてください。」(2節)と祈ったのです。そこがダビデの長所でした。


2、いらだち

主よ。どうか、彼らのことばを混乱させ、分裂させてください。
私はこの町の中に暴虐と争いを見ています。
彼らは昼も夜も、町の城壁の上を歩き回り、町の真中には、罪悪と害毒があります。
破滅は町の真中にあり、虐待と詐欺とは、その市場から離れません。(9~11節)

 この詩篇は、息子アブシャロムがクーデターを起こし、ダビデが都エルサレムから避難した時に作られたものだと思われます。(詳しくは第2サムエル15章を参照)ダビデがエルサレムから去った後、アブシャロムが都に入って好き勝手にふるまいました。その結果、エルサレムには不正と暴力がはびこり、ダビデは心を痛めました。

 ダビデにとっての「町」とは都エルサレムで、王としての仕事場です。職場が荒らされているのは、いたたまれません。これが、ダビデにとっての第二の悩みでした。あなたも、仕事の悩み、あなたの関わる責任分野の悩みがあるかもしれません。

そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。
私たちは、いっしょに仲良く語り合い、神の家に群れといっしょに歩いて行ったのに。
死が、彼らをつかめばよい。彼らが生きたまま、よみに下るがよい。
悪が、彼らの住まいの中、彼らのただ中にあるから。(13~15節)

ダビデは、第三に、親友に裏切られたことがつらいと述べています。苦楽を共にした友で、純粋な心で主を礼拝した信仰の仲間が、アブシャロムの側に付きました。
特に、アブシャロムの補佐官になった知恵者アヒトフェルには失望したことでしょう。やり場のない怒りから、ダビデはきつい言葉を言い放っています。

エルサレムを占領した後、アヒトフェルは、「ダビデは疲れて気力を失っている」(第2サムエル17:2)ので、今、叩けばダビデに勝てるとアブシャロムに進言しました。これは、ダビデを知りぬいていた「親友」だったからこそ言えた言葉でしたが、アヒトフェルの助言は採択されませんでした。


3、ゆだねる

私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。
夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。
すると、主は私の声を聞いてくださる。(16~17節)

 うめきとは、言葉にならない祈りです。いらだちや不平や感情の高ぶりが音になっただけです。ダビデはそのままの気持ちを神にぶつけました。神はそのうめきを受け止めて下さいました。

あなたの重荷を主にゆだねよ。
主は、あなたのことを心配してくださる。
主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。(22節)

 命の危険、仕事上の心配、親友に裏切られたショックをダビデは抱えていましたが、22節の言葉が唐突表れました。第三者に呼びかけるような口調をとって、「あなたの重荷を主にゆだねよ」と述べていますが、これは、第一に、自分自身に語り掛け、自分を励ましているのです。

ダビデは悩みのすべてを、主にゆだねました。英語の聖書では、Cast your cares on the Lord and he will sustain you(NIV)となっています。重荷を神に投げて渡せばよいのです。信仰の世界は、丸投げで良いのです。

 22節の動詞כּוּל(クール)は、支える、養う、扶養する、心配する、という意味を持っています。神の側が全面的に面倒を見てくれるという意味になります。

 先週IKEAでL字型のソファーを買いました。ソファーが配達される朝、「買ったソファの形態では我が家のリビングを二つに分断してしまう。逆方向のタイプが良かったんだ」と妻に告げました。「買う時になぜ言わなかったの」と責められましたが、もう遅いのです。後はよろしくと私が教会に出かけた後、配達担当者が二人来て、ソファーの組み立てを始め、しばらくすると、その二人が低い声で相談して、顔を青くして妻に言いました。「実は、お客様の願うような形には組み立てられません。違うタイプのソファーを持ってきてしまいました。」つまり、逆L字タイプのものでした。ハレルヤ!
 妻は朝、「主よ、業者が間違えてソファーを持って来て下さい」と祈ったのだそうです。私は考えるだけの人でした。妻は、主に祈り、ゆだねることができた人でした。


 ダビデは、主の助けによって絶体絶命のピンチから救われ、エルサレムに戻ることができました。
 あなたの番です。悩みに押し潰されて現実逃避しても道は開けません。命、仕事、人間関係の悩みがある時には、まず、主に重荷のすべてをゆだねましょう。キャストして、自分の手から一度離してみましょう。主は、あなたを助け、あなたを守り、あなたのことを誰よりも心配して下さいます。
 
あなたの重荷を主にゆだねよ。
主は、あなたのことを心配してくださる。
主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。(22節)

 →あなたの番です
  □私の重荷を主にゆだねます
  □主は私を心配し、守ってくださる