詩篇60:1~12  神の右の手


 神に見放されたと感じたとき、どうするか。それが60篇のテーマです。

1、ダビデの周囲の敵
 ダビデがエルサレムで正式に王になると、それを伝え聞いたペリシテ人がダビデを狙って攻め込んできました。(第1歴代誌14:8)
 同じように、周囲の国々はダビデの王としての実力を試し、できれば新米の王を叩き潰そうと考えました。ダビデはそれに応戦しました。これが、詩篇60篇の背景です。
 
 ダビデの周囲の国国々とは、ヨルダン川東側を南から北の順でいうと、エドム、モアブ、アモン、アラムです。地中海沿岸には宿敵ペリシテがいました。第2サムエルを読むと、「アラム、モアブ、アモン人、ペリシテ人、アマレク」(第2サムエル8:12)などの国々が外敵として描かれているのが分かります。
                                                

2、見放されたと感じたら

神よ。あなたは私たちを拒み、私たちを破り、
怒って、私たちから顔をそむけられました。
あなたは地をゆるがせ、それを引き裂かれました。
その裂け目を、いやしてください。地がぐらついているのです。
あなたは、御民に苦難をなめさせられました。
よろめかす酒を、私たちに飲ませられました。
あなたは、あなたを恐れる者のために旗を授けられました。
それは、弓にかえて、これをひらめかせるためです。セラ(1~4節)

 サムエル記や歴代誌には詳しく記録されていませんが、ヨルダン川東側の国との戦いにおいて一時的にダビデは敗北を帰したと思われます。それでダビデは、神がイスラエルを拒み、怒り、顔をそむけられたと感じました。損害は大きく、地面が裂けたような傷を負い、酔いが深くて立てないような深刻なダメージを受けました。

 私たちも人生でも、失敗し、挫折し、意気消沈することがあります。神に見放されたと感じることがあります。今日のあなたは、いかがですか。

 先週、車のフロントガラスに50センチくらいのヒビがあるのに気づきました。小さなキズがあるのは以前から知っていましたが、急にそれが広がったのを見て驚きました。正規のディーラーで修理すると1000ドル程度になると予測して気が重くなりました。ダビデのような重大な被害ではありませんが、ダビデの気持ちが少し分かりました。
 
 ダビデは、そんな時であっても、こう祈りました。

 あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。
そして私に答えてください。(5節)

 神に嫌われたと思えるほど過酷で悲惨な状況にあっても、ダビデは神の愛を疑いません。神に愛されていると固く信じていました。ここが大事なところです。失敗しても、病気でも、倒れても、損害を負っても、神の愛は変わりません。
 ダビデは、愛されているとの自覚に立って、神の右の手による、具体的な救出を願い求めました。


3、神こそ力

神は聖所から告げられた。
「わたしは、喜び勇んで、シェケムを分割し、スコテの谷を配分しよう。
ギルアデはわたしのもの。マナセもわたしのもの。
エフライムもまた、わたしの頭のかぶと。ユダはわたしの杖。
モアブはわたしの足を洗うたらい。エドムの上に、わたしのはきものを投げつけよう。
ペリシテよ。わたしのゆえに大声で叫べ。」
だれが私を防備の町に連れて行くでしょう。だれが私をエドムまで導くでしょう。
神よ。あなたご自身が私たちを拒まれたのではありませんか。
神よ。あなたは、もはや私たちの軍勢とともに、出陣なさらないのですか。(6~10節)

 主は、かつて、イスラエルの居住地の中核部分である、ギルアデ、マナセ、エフライム、ユダが神のものだと宣言されていました。ダビデはそれを思い起こしました。神は、モアブ、エドム、ペリシテに勝利して下さると約束して下さいました。

現在の困難に目を向けると心はしぼみます。9~10節を読むと、ダビデの心が揺れていることが分かります。でもダビデは、神の約束に信頼し、神と共に、神によって、戦おうと覚悟を決めたした。

どうか、敵から私たちを助けてください。
まことに、人の救いはむなしいものです。
神によって、私たちは力ある働きをします。
神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。(11~12節)
 
 人の救いは頼りになりません。「神によって」ならば勝利できます。「神によって」戦った結果、ヨルダン川の東側の敵に勝利することができました。第2サムエル8:3~11によると、ダビデはアラムに勝利し、平和条約を結び、貢物を受ける立場になったことが分かります。60篇の表題では、エドムにも勝利したことが分かります。

 私の車のガラスのことですが、知り合いの日本人メカニックに尋ねると、とても安い値段で張り替えてくれることが分かり、ほっと胸をなでおろしました。(ハレルヤ!)

 あなたの番です。神に見放されたと思える窮状になっても、神に愛されている者としての自覚を持って、神の力によって問題解決に当たりましょう。

→あなたの番です
 □神に見放されたと思える時でも、神に愛されている
 □神の力によって戦う時に、勝利と平和がある