ヨシュア記


 ヨシュア記は、戦記です。
 イスラエルの民が約束の地を獲得するまでの戦闘の記録です。現実の生活で戦っている人に励ましを与えてくれます。

1、恐れるな

「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。」(ヨシュア記1:2~3)

偉大な指導者モーセが死んで、ヨシュアが後継者になりました。神がアブラハムに約束した土地に人々を連れて行く仕事です。400年以上も留守にした土地に再入植するので困難を極めました。強固な城壁を破り、屈強な人々と戦い、勝つ必要があります。ヨシュアたちは自分の足で敵地に踏み出す必要がありました。誰も代わってくれません。

わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。(1:9)

主はヨシュアに、強くあれ、恐れるなと語りました。ヨシュアが後継者として立った時は3度も同じ言葉で主が語られました。アイでの再挑戦の時も(8:1)、ギブオン人に援護を求められた時も(10:8)、カナン連合軍と対峙した時も(11:6)、主はヨシュアに恐れるなと檄を飛ばされました。

 すべての人は平和を愛します。でも、人生のある期間、どうしても戦わねばならない時があります。子供がいじめられた、無実の罪で訴えられた、大病になった、詐欺で大金を奪われたなど、思わぬ出来事に巻き込まれます。

そんな時、人のせいにしたり、なぜと嘆いておろおろしても何も起きません。逃げてはいけません。敵を見据えた時、恐れは去ります。自分が戦うのだと覚悟ができた時、あなたは勇者になっています。神が共におられるので勝利できます。足を踏み出しましょう。


2、主を信じる

 初陣の相手はヨルダン川で、次の難敵はエリコの町でした。敵はイスラエルの実力を測るために注視しています。

ヨシュアは言った。「生ける神があなたがたのうちにおられ、あなたがたの前から、カナン人、ヘテ人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、エモリ人、エブス人を、必ず追い払われることを、次のことで知らなければならない。見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立って、ヨルダン川を渡ろうとしている。今、部族ごとにひとりずつ、イスラエルの部族の中から十二人を選び出しなさい。全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。」(3:10~13)

 水量の多いヨルダン川をどうやって渡るか。思案していたヨシュアに、神は言われました。契約の箱をかつぐ祭司を先頭にして進み、水に足を入れよ。ヨシュアは神の言葉を信じて、その通りにし、4万人の戦闘員が無事に渡り終えました。(4:13)

ヨルダン川を渡って最初に向ったエリコは地域最古の町で、高い城壁で囲まれていました。黙って町の周囲を歩けと主は言われました。

武装した者たちは、角笛を吹き鳴らす祭司たちの先を行き、しんがりは箱のうしろを進んだ。彼らは進みながら、角笛を吹き鳴らした。ヨシュアは民に命じて言った。「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」こうして、彼は主の箱を、一度だけ町のまわりを回らせた。彼らは宿営に帰り、宿営の中で夜を過ごした。(6:9~11)
 イスラエルの民は、主の指示に従いエリコの周囲を毎日一度回り、7日目に7度回りました。ときの声を上げると城壁は崩れ、勝利しました。(6:20~21)

 渡りきれないほどの試練の大河が目の前にあっても、解決不能に見える悩みの城壁があるかもしれません。黙って、主のみことばを信じて、行動してみましょう。

エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。主はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。」(6:1~2)


3、神が戦う

 1~12章には戦闘の様子が記録されています。初期の戦いには主の奇跡が多く見られました。13~22章では、くじで分配された12部族の領地が詳しく説明されています。
 
 晩年を迎えたヨシュアは23章で、過去の恵みを振り返りました。剣を握って突撃したのはイスラエルの男たちだが、本当の意味で戦ったのは主であると述べました。

 あなたがたは、あなたがたの神、主が、あなたがたのために、これらすべての国々に行なったことをことごとく見た。あなたがたのために戦ったのは、あなたがたの神、主だからである。(23:3)

 この世を去る日が近いと悟ったヨシュアは、イスラエルの民をシェケムに集めて(24:1)、主に従いなさいと迫りました。シェケムは、ヨルダン川西側にある町で、のろいを象徴したエバル山が北に見え、祝福を象徴したゲリジム山が南に見える場所です。

今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えなさい。あなたがたの先祖たちが川の向こう、およびエジプトで仕えた神々を除き去り、主に仕えなさい。もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(24:14~15)

イスラエルの民は、神の祝福を世界の民族に届けるために定住し、神の国を作り始めました。それが、どうなったかは次の士師記で確認しましょう。
真珠湾攻撃を知り、29歳のジェイコブ・デシーザー(Jacob DeShazer, 1912~ 2008)は軍に志願しました。1942年4月、彼は空母ホーネットから飛び立ったB25の爆撃手として参戦、名古屋に爆弾を落としました。搭乗機は中国に着陸、日本軍の捕虜となり拷問を受け、戦争が終わるまで収容所にいました。同僚の葬儀の時、日本人看守が聖書を差し入れたので彼はその聖書を真剣に読み、主イエスを救い主として信じました。戦後シアトルに戻り神学教育を受けフリーメソジスト教会の宣教師となって名古屋で伝道をしました。ジェイコブ・デシーザーの書いた体験記は、多くの人の心を揺さぶりました。
ジェイコブには、収容所の記憶という行く手を阻む川がありました。自分が爆撃した日本に戻るという困難な城壁がありました。彼は、それらの恐れを乗り越え、自分の足で日本の地に立ち、主イエスの愛と赦しを伝えました。

私たちの人生も困難の多い人生です。だから、逃げるのは止めましょう。戦うのはあなたです。主を信頼して、戦いましょう。本当の意味で戦われるのは主です。

「主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。」(21:45)

 →あなたの番です
  □戦う覚悟を決める
  □主が戦われる
  □生涯、主に仕えましょう