第2サムエル

 第2サムエルは、ダビデがどんな王だったかを教えてくれます。紀元前1010年から970年頃の記録で、1~10章はダビデの上り坂、11章からは下り坂になります。

マラソン金メダリストの高橋尚子さんは、上り坂を走る時はあごを引いてやや前傾姿勢で走り「ここは平地だ」と自分に言い聞かせて走り、下り坂に入ったら「ここは上り坂だ」との意識を保って走るようにアドバイスしています。なんだか、意味深長ですね。


1、賛美をささげる王

ダビデは、王国南部のヘブロンに居を構え、全国統一の機が熟すのを7年半待ちました。サウル王の残党が滅びた後、ダビデはエルサレムを首都と制定、33年間王として君臨しました。ダビデは30歳で王となり、ヘブロンとエルサレムでの期間を通算すると40年間の在位期間になります。(第2サムエル5:4~5)

ダビデの優れた点は、神を賛美する人だったことです。神の箱を首都に招き入れた模様を見ると、ダビデがどれほど神を愛し、神を喜ぶ人だったかが分かります。

主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。
ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上った。
(6:13~15)

 神を賛美するための聖歌隊やオーケストラを組織したのはダビデでした。アサフ、ヘマン、エタンなどのレビ人が角笛・ラッパ・琴・シンバルなどを演奏し、聖歌隊として主をたたえました。(第1歴代15:16~21)
 それまで、礼拝の形式として動物のいけにえが広く行われていましたが、賛美のいけにえに力を入れたのはダビデが初めてでしょう。
 「ダビデは、主の前で、力の限り踊った」とあるように、ダビデの目には主だけが見えていました。主がいて下さるのが嬉しかったのです。このような王がいたので、「イスラエルの全家は、歓声をあげ」ました。

 ダビデは、周囲の諸外国と戦って勝利し、主は王国に平和を与えて下さいました。(7:1)ダビデは、神の箱を安置する神殿建設のビジョンを持ち、預言者ナタンに伝えました。神は、ダビデの考えを喜び、預言者ナタンの口を通して以下のように言われました。

 「主はあなたのために一つの家を造る」(7:11)

 神がダビデのために家を作ると言われたのです。つまり、ダビデの子孫を代々王とすると主が約束されたのです。(7:13)この預言は、ダビデの子、まことの救い主であるイエスキリストによって成就しました。

 
2、悔いた心をささげる王

 年が改まり、王たちが出陣するころ、ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出した。彼らはアモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。(11:1~2)

 ダビデ三十勇士の一人で、忠実な部下のウリヤという人物がいました。ウリヤは戦場におり、アモン人と闘っていました。ダビデは、ウリヤの妻、バテシェバの入浴姿に心奪われ、姦淫の罪を犯し、彼女が妊娠したと知って(11:5)、ウリヤを戦場で殺させました。(11:24)

神は預言者ナタンを遣わしダビデの罪を責めました。(12章)また、罪の処罰を予告し(12:10~12)、それはすべて実現されました。

ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」(12:13~14)

人生の上り坂を駆け上がり、勝利、成功、権威、富、多くの妻をダビデは手に入れました。そこに隙ができました。一つの罪は別の罪を引き起こし、嘘に嘘を重ねる事が多いのです。できるだけ早く立ち止まり、悔い改める勇気が必要でした。ダビデは、心の苦悩の記録として詩篇51篇を残しました。

「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました」「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。」(詩篇51:4、17)

創世記を読むと、神が全能の神だと分かります。出エジプト記で、神は救う方だと分かります。レビ記から、神が聖い神だと分かります。申命記から、神は生きる指針を下さる方だと分かります。第2サムエル記で分かるのは何でしょう。神は、人の罪を赦す方だと分かるのです。姦淫と殺人の罪という重い罪でも、赦されました。
パウロは自分が罪人のかしらだと告白し、神がパウロをあわれみの「見本」にして下さったと語りました。(第1テモテ1:16)それと同じ意味で、ダビデも神に罪赦された者の見本になりました。

あなたも、胸に手を当てると思い当たる罪に気づくでしょう。「私は主に対して罪を犯した」と悔い改めましょう。誠実な心で、低い心で。

「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。」(12:13)


3、欠落した部分

 13章からは、ダビデの家庭で起きた数々の悲劇が記録されています。

 ダビデの長男アムノンが、母を異にする妹タマルをレイプしました。(13章)三男アブシャロムは血のつながった彼女の兄だったのでアムノンを憎み、2年後にアムノンを殺しました。(13:28~29)アムノンに何の処罰もしなかった父ダビデに対しても、アブシャロムは憤ったのです。アブシャロムは、それから5年後に政治運動を始め(15:1~6)、4年後にクーデターを成功させ王としてエルサレムに入りました。ダビデは着の身着のままで泣きながら都から逃げました。(15:30)
 アブシャロム軍はヨルダン川を越えて北東に進み、父ダビデが身を潜めたマハナイム付近のエフライムの森で戦闘を行いました。(18:1~9)アブシャロム軍は劣勢となり、ダビデの将軍ヨアブがアブシャロムを槍で殺して、戦いは終わりました。

 「わが子アブシャロム。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。」(18:23)

 ダビデの人生には、家庭という部分が欠落していました。ダビデは、アブシャロムを愛していました。けれども、「愛しているよ」と伝えられず、「そんな事をしてはいけない」と叱ることもできず、アブシャロムの悲報を聞いて我が身を責めるばかりでした。

 ヘブロン時代のダビデの妻は7人、息子は6人生まれました。(3:1~5)、また、エルサレム時代には、さらに息子が11人増えています。
 申命記17:16~17の律法が言うように、王が多くの妻を持ったり、多くの金銀を持ってはならなかったのです。
 王である前に父であるべきでした。愛情深さと毅然とした態度を兼ね備えた父親であったら、と悔やまれます。仕事は誰かが肩代わりできますが、父や母のスペアはありません。

 71歳の末期患者の男性がホスピスに入院しました。余命が短いと知った彼のひとり息子は、結婚式を父親の前でしたいと願い出ました。双方の親と近親の者だけが集まり、病室で式が行われました。式後、息子は、お父さん、今までありがとうと述べました。ベッドに横たわった父親は、大粒の涙を流しながらそれを聞きました。下稲葉医師の著書によると、父親は4日後に亡くなりました。
 ありがとう、ごめんね、大好きです、という3つの思いが伝えられ、受け止められた時、私たちは生きて来て良かったと感じられるのです。

 家庭の中で、もっと、ありがとうを言いましょう。夫や妻や子供に、ごめんなさいと言いましょう。照れずに、夫や妻や子供に、大好きだよと伝えましょう。

 ありがとうを主に言うなら賛美になります。ごめんなさいを主に伝えるなら悔い改めになります。大好きですと主に向かうなら礼拝になります。


 →あなたの番です
  □毎日の生活で、主に賛美をささげましょう
  □主に、ごめんなさいと言いましょう 
  □家族を大切にして、愛を伝えましょう