第1サムエル記


 主の声を聞こうとしていますか。

 第1サムエル記は、紀元前1100年から1000年頃のユダヤの歴史です。祭司サムエル、初代国王サウル、若きダビデ。この3人がユダヤ王国の基礎を作りました。この3人が神の声をどう聞いたか、それが彼らの人生を決め、国の将来を方向づけました。


1、主の声を聞き、国民を神に向けたサムエル 

サムエルはハンナの祈りの中で生まれ(1:10、20)、祭司エリの元で育てられ、彼は幼い頃から神の声を聞き分ける人(3:10)で、やがて全イスラエルから尊敬を受ける霊的指導者となりました。(3:19~20)幼い頃から、主の声を聞ける人でした。

そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル。」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております。」と申し上げた。(第1サムエル3:10)

祭司サムエルは、最後の士師であり最初の預言者でした。また、王を選び、油を注いで任命し、王に忠告を与えた神の代理者でした。

サムエルは全イスラエルに、神に立ち返れと教え、国民は主にのみ仕えるようになりました。ペリシテ人が攻めて来た時には、サムエルは祈りだけで撃退(7:10)し、サムエルの生きている間は平和が訪れました。(7:13)彼は各地を巡回し神の言葉を語り、人々を治めました。(7:15~17)

そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕えた。(7:3~4)

 サムエルは常に主の声に聞き、従う人でした。それが、彼の最も優れた特質です。
民が王を求めた時、サムエルは不本意であっても主の声に従いサウルを王にしました。(8:4~9)サウルの在位期間にダビデに油を注ぐ事は危険な行為でしたが、主の声に従いました。(16:1~4)
 
 あなたも、朝ごとに、聖書を開き、祈る中で、主の声を聞き取って下さい。主の声を聞く人だけが、世界を変え、祝福を届ける人になります。


2、聞き従わず、滅びたサウル王

キシュにはひとりの息子がいて、その名をサウルと言った。彼は美しい若い男で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。(9:2)

 サウルはハンサムで長身で、リーダーとしての良い資質を持ち、イスラエル王国の最初の王として主に選ばれました。油注ぎを受けた後、主の霊が彼に臨み、新しい人に変えられました。(10:6)最初彼は目覚しく活躍し、王国は活気づきました。たとえば、ヤベシュ・ギルアデの人々を見事に救出し(11:1~11)、イスラエル全体を一つにまとめました。

サウルには決定的な問題的がありました。神の言葉を軽く扱い、神を無視することです。ある時、祭司サムエルが来ないので約束を破ったと勝手に判断、人々の評判を気にするあまり、祭司の資格のないサウルがいけにえをささげました。(13:8~14)また、アマレクを聖絶すべき時に、良い家畜だけを残して、主に従ったと嘘をつきました。(15:9、22~23)
それで、主の祝福は去り、孤独な暴君となりました。神の声が聞こえず、ペリシテとの戦いに敗れ、痛手を負い、自害しました。(31章)
以下の箇所は、サムエルがサウルの行為を断罪した時のものです。

するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」(15:22~23)

 聞き従うことが王として最も大事な姿勢なのです。
 責任ある地位に着いた時、成功した時、あなたはサウルと同じ立場に立ちます。主の声に耳を閉ざすなら、自分の判断が優先され、人々の評判や富の誘惑に負けてしまいます。
地位が上がり成果が上がった時は、主の言葉にいっそう耳を傾ける者になりましょう。


3、主と共に歩んでも、苦しんだダビデ 

ダビデは8人兄弟の末っ子で、兄さんたちからは半人前(16:10~11)とみなされていましたが、サムエルは油を注いで王としました。(16:12~13)こともあろうに、サウル王がまだ生きている時の任命でした。
若き日に、王としての油注ぎを受けたので、ダビデの意識は変わったはずです。将来、王となるのだ。主は私を選んで下さった。その自覚が、ダビデの信仰を深め、王のあるべき姿やリーダーシップを身につけるきっかけとなったと思われます。

当時ダビデは羊飼いで、琴が上手で、武勇にすぐれ、信仰面では「主がこの人とともにおられます」(16:18)と言われていました。

ダビデを一躍有名にしたのは、ペリシテの代表戦士で2mを越える巨漢ゴリアテを石ころ一つで倒した出来事(17章)でした。獅子や熊と戦った時に「救い出してくださった主」が、今回も共におられると確信、「この戦いは主の戦いだ」(17:47)と言って戦いました。

ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。(17:45)

その後、ダビデは歴戦の勇士となり、「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」(18:7)と歌に歌われるほどになりました。これが引き金となってサウルに妬まれ、命を狙われ、サウルが死ぬまで逃亡生活を余儀なくされました。サウルは30歳で王となり、12年間治めたので(13:1)、ダビデは長い年月苦しみました。

 ダビデは主の声を聞く姿勢があり、主の声に従い続けました。ケイラの人々を助ける時にも、そこから去る時も、主の声を聞いて従いました。(23:1~13)
 主の声を聞いて従い続けましたが、人の何倍も苦しみました。

ダビデは、サウルを殺せる場面が2度もありましたが(24:6、26:11)、神に油注がれた方は殺せないと思いとどまり、以下のように言いました。

「きょう、私があなたのいのちをたいせつにしたように、主は私のいのちをたいせつにして、すべての苦しみから私を救い出してくださいます。」(26:24)

ダビデは神に聞き従いながらも苦しみました。出口が見えない苦難が続きました。それで、忍耐と信仰が養われました。危機一髪で助け出された経験から、主が生きておられることを深く体験しました。苦しみは祈りを生み出し、祈りはダビデの詩篇として結実しました。試練は信仰と愛を育てる恵みの雨です。次の詩篇はダビデの逃亡中の詩篇です。

私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。
私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。
私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。
彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」
(詩篇34:1~5)

 あなたは、サムエル、サウル、ダビデの3人のうち、誰に似ていますか。
 今日、主の御声に耳を傾けましょう。あなたが、家庭の王、職場の王、として選ばれているとするなら、主の声を聞かずに王として歩めないことに気づくでしょう。主の声を聞きましょう。そして、従いましょう。


→あなたの番です
 □主に聞き従う者になろう
 □試練は信仰者を育てる